「よう、何かり
かりしてるんだ?」 大学の教室で万里に声を掛ける。 誰が見ても分るようなお怒りモード真っ最中。 俺だってこんな状態の万里にわざわざ話しかけたくはないが、怒っている理由が想像つくだけに今回は無視するわけにもいかない。 「あら、晦。 それがね、聞いてよ。 真人がね、真人ったらね…… こともあろうに変な女なんかにたぶらかされちゃってるの!」 そう言いながら席を立つと手招きしてそのまま教室を出て行こうとする。 どうやら講義を聴くつもりは無いらしい。 ふむ、万里にばれたか。 真人が自分から話したにしろ、アクシデントにしろ放っておくわけにはいくまい。 まあ昼過ぎというこの時間帯に怒り始めたのだからどちらなのか察しはつく。 取り合えず数時間は愚痴に付き合うのを覚悟した方が良いな。 そう考えると俺も万里の後について教室を出る。 だが、万里も俺の態度から何かを感じ取ったようだ。 目が、険しくなる。 「そう、晦も知ってたのね? それなら、何で? 知ってて何で私に教えてくれなかったのよ!」 「教えて欲しかったのか?」 「あったり前でしょ!」 「で、教えたらどうした」 「邪魔するに決まってるじゃない。 真人を騙してる相手の女のところに行って直談判よ。 大丈夫、真人は私が必ず守ってあげるんだから」 これだ。心の中でお手上げポーズ。 「今からどうしようと思ってる」 「真人のサークルへ行って待つわ。 どうせサークルで捕まったんでしょ。 だから私は真人をあんなサークル入れるのには反対だったのよ」 「騙してる、か。 俺も会ったがそんなに悪い子には思えなかったな。 むしろお互いぎこちなくて微笑ましい感じすら漂わせていたぜ」 「それはあんたも騙されてるの! 全く、男どもは二人してだらしない。 いいわ、私一人でも真人を救ってみせるから」 万里はなにやら一人で燃えている。 やはり、こうなるか。 分かっていたことだ。 そう思うと前々から用意していた切り札を出す。 「だが、真人はどう思うかな」 その一言に万里はピクリと反応する。 「あいつと話した感じじゃあれは結構本気だ。 もしお前が彼女にちょっかいを出したらそれなりの反応をしてくると思うがな。 ま、真人を騙している相手に制裁を加えることでお前が真人に『拒絶』されてもいいのなら構わないが」 相手からの拒絶、これこそが万里の弱点。 そして、万里が真人と二人きりになっても真人を犯せなかった理由。 万里はいつでも真人に、そして他人にわがままを通して来た。 ……自分の意が通ると確信している範囲で。 もし犯してしまったら最後、その後の真人との関係は変わってしまう。 最悪それ以降真人に『拒絶』されるかもしれない。 完全なおもちゃにしてしまえば、『取り上げられる』かもしれない。 帝国の社会保障はそれなりに及第点を挙げられる程度には有能で、すぐ近くにいる俺という監視人を欺くのは至難の業。 なんのことはない。そんな打算が今まで万里を最悪の行動から押し留めていたのだ。 そして、もし真人が本気なら今回のわがままが通らない可能性は十分にある。 「何よ、脅しのつもり? そんなのに私が引っかかるとでも……」 そう言う万里にいつもの強引さはすでに感じられない。 「脅しとはひどいな、せめて忠告と言ってくれ。 さっきも言ったが真人は本気で惚れている。最近自立したがっていたようだしな。 そんな時期にお前に邪魔されたら真人がどんな行動に出るかは推して知るべし、かな」 最悪、万里と真人の別居。 別にありえない話じゃない。 『大学に入ったんだから一人暮らしをしてみたい』お金ならその程度の理由でおじさんが簡単に出してくれる。 「じゃあ、なに? 私には真人が彼女を作るのを認めるか真人に嫌われるかしか無いって言うの」 「そうなるな」 「どうしろって言うのよ。 真人が女を作るなんていう馬鹿げた話、本当に指をくわえて見てろと言うの? 本気で?」 「ああそうだ。 真人ももう大学生だしな、彼女の一人や二人作ってもそう問題は無いと思うが?」 「二人も作ったら真人を殺して私も死ぬわ」 目が真剣だ。 「例えばの話だ例えばの、な」 そう言いながら万里を押さえる。 万里は俺の方を今まで見たこともない程ものすごい目で見ていた。 しばらく睨み合う。 が、結果ははなから分っている。 折れるのは万里の方。 万里は俺を睨み続けたまま続ける。 「相手が良い子だと言う保証は?」 「真人にふさわしくないと思ったら俺も黙っちゃいない」 さらに続く沈黙。 「ふん、だ。 わかってるんでしょう?私の気持ち。 それでも私にそんなことを受け入れろっていうの?」 「大丈夫さ」 「何を根拠に!」 「俺が何年間耐えてきていると思う?」 はっ、と息を飲む声。 「俺に出来るんだ、お前にだって出来るさ。 いや、それ以上のこともやってもらう。 俺がお前に期待してるのは真人が彼女を作るのを黙って見てることだけじゃあない。 真人の良いお姉さんを彼女の前でやって見せるんだ」 「そんなこと。 私に出来ると思ってるの? 出来るはずが……」 万里の追及を、 「出来るさ」 あえて明るくかわす。 その晩、真人が訪ねてきた。 真人の方から俺に、しかも自宅まで会いに来るなんて本当に珍しいこと。 母さんはあら久しぶりなどと和やかに話しながら俺の部屋へ案内すると、俺への挨拶もせずそのまま降りていく。 「まだ、起きてたんですか」 そう、いつもならもう寝てる。 俺にとって活動すると言うのは限られた貯蓄を食い潰して行くのに等しい、一秒だって無駄には出来ない。 「ちょっと考え事をしててな」 「また姉さんのことですか? 他の人以上に命が限られてるのなら他にもっと違うことに費やすべきじゃないんですか。 例えばおばさんのこととか!」 相談ごとがあって来たんだろうに。 自分が大変なのに他人のことを心配するのは誰に似たんだか。 「本人が望んでああしている以上、俺にはどうしようもないさ」 俺に似たのではない、俺の親切は方向付きの限定品だ。 「晦さん、まだおばさんがあのままの方が良いと思っているんですか」 その時ちょうど部屋のドアが叩かれ、真人は口を閉ざす。 母さんはお茶一杯とお菓子を真人の前にだけ置くとゆっくりしていってねと言ってそのまま出ていった。 本人に悪意があってのことならどれほど救われることか。 「この前も親父に言われた。 『今はあれが楽かもしれないし、ひょっとしたら一番良いのかもしれない。 だが、この状態が一生続くとは限らないぞ。 もし、ふとした拍子で正気に帰ったらどうなる? そこにはもはや謝るべき相手も居ないんだぞ』ってな。 確かに息子、しかもこんな状態にある俺に対してあんな態度を取り続けた後悔の念はものすごいものだろうな。 母さんは義理の息子だということで自分を騙せる人じゃない。 だからこそああなっちまったんだ。余計自分を攻めちまう。 正気に戻った瞬間に今度は自殺しちまいかねない。 そう考えてからは俺だってどうにかしてやりたいが……」 「なら!」 「けどな、俺だって時間が無いんだ」 どう考えても正論な真人の意見を俺は簡単に退ける。 やるべきことの後にやりたいこと。 普通ならこう順位付けをする。 だが時間の限られた俺に、優先順位は変えられない。 一番やりたいことからやるしかない。 「お前の姉さんと俺の母親。 同時に二人をどうにかするのは無理だ」 「それなら、姉さんを諦めるのが筋でしょう? あの人はもう壊れているんだ。 それに両親から捨てられたとは言っても、まだ僕がいます。 僕等は二人だけでも暮らしていける。 晦さんまで犠牲になる必要は……」 「犠牲じゃないさ。 望んでそこにいるのだから。 それに、まだ希望はある」 「希望?」 「お前がわざわざ俺のところに来たんだ、用件くらい分かっているさ。 遙君のことだろう?」 「はい、そうです。 今日大和さんと居たところを見られちゃってて、しかも姉さん鼻が異様に利くから」 鼻が利くのは万里みたいな性格には必須の能力。 「その後ずっと会いにくくって。 今までサークルの部室にいて、まだ家に帰って無いんです。 けど……」 言いよどむ真人。 今気付いたが真人の手にはかばんがある、言葉の通り学校帰りなのだろう。 「安心しな。 あいつには手を出させやしない。 言ったろう。 もう手は打ってある。 ま、それ以上のことは出来ないがな」 「でも、姉さんが簡単に……」 真人はそれでもなかなか信じようとしない。 そりゃそうだ、あいつが手を出さないと聞いて信じられないのは良く分る。 だが、 「任せろ。 だてに何年も彼氏をやっちゃ居ないさ。 あいつを押さえる手くらいないわけじゃない。 こっちにとってもこれはチャンスなんだ。 俺が安心して逝けるようにするためのな」 「晦さん」 「そんな顔するなって。 好きな奴がいつも側に居て、心配してくれる後輩がいる。 それだけで十分じゃないか。 長生きしたってこんなことすら満足に出来ない奴はたくさんいるんだ。 現在の俺は万里と仲良く暮らすなんていうのは少しも望んじゃいない。 だけどそれは無理だから諦めたんじゃない。 もっとやりたいことが見つかった、単にそれだけなんだ」 言いながら頭をなでてやる。 「な、俺は幸せだ。 だから、泣くな」 万里と二人だけの時間。 愛しあって結婚する? そんなことはどうでもいい。 万里の記憶に残る。 一生忘れられない? それももうどうだっていいんだ。 たとえ忘れられたっていい。 万里のために何かしてあげられるなら。 万里のための何かになれたなら…… 「晦、ついて来て」 翌日、一限の授業後に万里がやってきた。 今朝は一人で勝手に学校へ行ったようで会うのは昨日以来。 なんだか怒っているような感じだが、これは緊張しているときの万里の癖。 さすがに恋人が怒っているのか緊張しているのかの見分けくらいはつく。 昨日の今日だ、周りに心配されるのを『大丈夫』と言いながら抜けていく。 連れて行かれたのはある校舎裏。 「晦はここで待ってて」 万里はそう言うとそこから更に奥まった場所に入って行こうとする。 「ちょっと待て、遙君の件か?」 校舎裏への呼び出し? まあ確かに人は来ないが。 「そうよ、だから晦は黙って待ってなさい」 「了解。 で、今から会うのか?」 こくりとうなずく。 「そうか、なら……」 「なら?」 ピン、と指でおでこをはじく。 「その顔はいただけないぜ。 はい、大きく息を吸ってー、はいてー。 そうそうそう。 じゃ、笑ってー」 「何なのよ?」 「いいからいいから」 「全く、私をここまで馬鹿に出来るのは晦だけよ」 そう言いながらも万里は言われた通りにして笑う。 ぎこちない笑み。 けれど先程の怒ったような、そして泣きそうな表情よりは数段ましになっている。 俺は前の顔の方も好きだが、あの顔は俺だけもの。 あれを見て喜べるのは俺だけの特権、遙君にはまだ無理だ。 「よっしこれでどこから見ても俺のかわいい万里だ。 弟の恋人に会うのにしかめ面する必要は無いだろう? さ、行ってこい」 そう行って俺は手を振って去ろうとする。 「待って」 それを万里は小声で、しかし服の裾をつかんで確実に止める。 「ここで待っててって言ったでしょ。 晦には私のかっこいい所も見てもらわないとね。 それと、この後で晦にも話したいことはあるんだから。 授業? さぼったところて何の問題があるのよ」 ま、ここまで言われたら『それでも』と無理を言う必要もあるまい。 万里を笑顔で送り出すと盗み聞きさせてもらう事にする。 送り出す時に見えた万里の顔は俺がさっき無理やり作らせたそれとは比べもつかないほどしっかりとしていた。 「そうだ、それでこそ俺の万里だ。」 歩いていく万里に向けてそっと呟く。 あらかじめ待ち合わせしていたのだろう、万里の行く先には遙が待っていた。 遙は一礼すると万里に挨拶する。 万里は挨拶も抜きで遙に話かける。 「真人は私のモノだったのよ。 そう、私のモノ『だったの』 あなたはそれを奪うんだから、覚悟しなさい……」 さすがは万里、いきなりの台詞に遙君は面食らっている。 そう、それで良い。 俺の真人を手にいれるんだ、ただで持っていかれてはかなわない。 瞬間、そう考えている自分に気づきぞっとする。 何だ。 俺も万里と同じじゃないか、万里の陰に隠れて気づいてなかっただけか。 そう思うと妙にすがすがしい気持ちになった。 これはきっと誰でも持つ思い、程度の差があるだけ。 大丈夫、それならきっと万里も乗り越えられる。 「真人を不幸にしたら絶対に許さないからね!」 ほら、怯えが消える。 遙の顔が明るくなる。 万里のことについては真人から色々聞いていただろう。 「お姉さん、それって!」 そう、許してあげると言う天の声。 許可なぞ無くでもどうにかなるが、あるに越したことは無い。 「その通りの意味よ。 けど今ので条件を一つ思い付いたわ」 再び遙の顔が暗くなる。 実に分かり易い。 やはり素直な良い娘なのだろう。 が、万里の次の一言でその影も霧散する。 胸を張って堂々とした万里、目の端に浮かべた涙を見るのは肉眼じゃきっと無理。 「私は万里、あなたの姉じゃ無いわ。 私を姉と呼べるのは真人だけ。 良い?」 「はい! おねえ、万里さん」 その言葉に万里はにっこり笑顔を浮かべて『それじゃ』と言うと遙に背を向けて俺の待つ建物の中へと入ってきた。 「お疲れさん」 怒っているのか泣いているのか。 それでも歯を食いしばって俯きそうになりながらも前を向いて俺の前まで来ると俺の胸に顔をうずめようとしてしばらく躊躇した後、遠慮したのか左腕に抱きつ き…… しばらくたって俺が頭の二回叩いてやる。 もう大丈夫の合図。 「う、うあ…… わああああぁぁぁぁああああ!」 黙って泣き崩れた万里の肩に手を掛ける。 大丈夫、周りに泣き声はもらさない。 病院行ったら怒鳴られるんだろうな、と思いつつ機器だらけの自分の体に少しだけ感謝をする。 万里のこの涙は全て俺のモノだ。 しばらくそのままでいると、少し落ち着いたのか万里が顔を起こした。 「あのね私、あなたとも別れようと思うの」 瞬間、体が凍る。 先ほどまで持っていた心理的な優位なんか笑い話のよう。 「あなたに今まで迷惑を掛けたのは分かってるわ。 迷惑ついでの最後のわがまま」 ナニ、を言っているんだ? 「ひどいよね、さんざ付き合わせといてキスもしないではいさようなら。 どう考えても最低の女よね」 そんなこと無い。誰が許さなかろうが、俺は許す。 「もしここまでさせといてって言うのなら償いはいくらでもする。 今までは真人のことを考えるとそんなの絶対出来ない相談だったけど…… 死ねっていうなら死ぬし、やらせろって言うならそれももうどうだって、良い」 報われないのははなから承知だってのに。 「真人はあの子に預けてきちゃったし。 ふふ、娘を嫁にやる父親の気持ちってやつかしら? なんかさっきまでホント色々考えてたのにあれ言った後は逆にすっきりしちゃった。 肩の荷降ろした感じ? 今なら死んだって思い残すことも無いし困る人もいないのよね。 あと、私の中に残っているのはあなたくらい。 だから、もし死ねって言うのならあなたのために死ぬわ。 でもね、もし別れようって言う私のわがまま、それを許してくれるのならね」 そこで万里は言葉を区切る。 黙って続きを促すのは、肯定のしるし。 「また、友達から始めましょう」 そう言う万里は涙のあふれた顔で笑っていた。 万里の笑顔。 今までの中で最高の笑顔。 これを見るために俺は今まで生きてきた。 このためだけに。 そして、俺は間に合った。 良かった。 抱きしめたいけれども、既に腕の感覚は完全に無い。 こんな興奮している状態じゃ力の加減を間違えてしまいそう、怖くて抱きしめられやしない。 違うな。 まさか、まだそこまでの力が残っているなんてはずも無い。 怖いのだ。 輝いている彼女に触れるのが。 一所懸命。 そう、命を掛けてまで救った相手。 沈んだ狂った世界から俺が、この俺が、全てを掛けて持ち上げた少女に、まだ同じ底から浮かび上がれていないこの俺が触れるということが…… 何か禁忌を犯すようで…… 何か彼女を沈んだ狂った世界のモノでまた汚してしまうようで…… そう思うとますます身体に力が入らなくなる。 今までと違い身体を立たせ、意識を保っておくことすら難しい。 ここまで急激に体調が悪化するとは思えないが…… なるほど、緊張が緩んだか。 まずいな。 まずいなとは思うが同時に心残りを無事果たせたことを嬉しく誇らしく思う。 「晦。 かい? かい!」 万里のその声を最後に記憶は途絶えて行った。 |