一覧へ

天風星苦


作:夢希
1-1 旅立ち

前へ次へ

「父上の船が遭難した?」
僕がその報せを聞いたのは朝食を食べに出かけた近所の饅頭屋、相手はここでよく会う男。
「と言ってもまだそうと決まったわけじゃあなくて、現時点じゃそれが一番可能性が高いってだけだぜ。
紅の親父さんとこの船はその大きさから港町一つが単独で補給を行うことは難しいらしくてそういった場合、寄港地を発つ前に次の寄航予定地へと早馬をたてて そこでの補給準備を前もってしておくらしいんだが今回はその早馬がついて予定から1月ほど遅れても到着しないってんで遭難が判明したんだそうな。
すぐにでも調査団が付近や寄航した町へ派遣されるようだぜ」
ここまで聞いて僕の頭に浮かんだのは父上の心配なんかではなく漠然とした警戒心だった。
この男は何でこんなこと知ってるんだ? 掲示や噂で知ったと言う可能性は低い。
掲示されて噂になる前に船長の家であるうちに連絡が先に来ているはずだからだ。
うちにすら情報が来ていないのだ、まだ朝廷の方で極秘情報とされているに違いない。
そういえばこの男、よく顔をあわせるようになってかなりたつが未だに張という名前しか知らない。
「どうしてそんなことを知っている?」
警戒をあらわにしてそう聞くと張は見破られると判っていたように返してくる。
その調子はふざけているのかおどけた調子だ。
「おや、さすがに気付かれましたか。
父親の訃報を聞いても冷静でいられるとはさすがは19歳の若さで科挙に受かられた紅狼さま。
他に武芸全般や戦術指南書にも詳しいそうで」
いきなりおべっかを使ったかと思うと周囲に聞こえぬよう声を低くして続けた。
「我々枢密使派は新興のため有能なものの少ないのが弱みです。
正直、形勢を見る以外に脳のない輩のおべっかを聞き続けるのにもやつらを肥え太らせるのにも嫌気が差してきているところ。
あなたほどの優秀な方にこちらに来てもらえればこちらもそれに応えてできるだけの対応はさせていただくつもりです」
うんざりした、科挙に受かってからと言うものこの手の勧誘はよく受けた。
一番多いのは父上の属している尚書令派でかなり公然と行ってくるがこれは他に対して圧力をかけているだけで僕がそちらに入るというのを疑ってはいない様 子。
それでも余りに表に裏にさまざまな所から勧誘を仕掛けてくるため尚書令が保護の名目で僕が他へ行かぬよう監視をつけてきたほどだ。
とはいえ尚書令とは実質ライバルに当たる枢密使派からのアプローチは今回が初めてになる。
けれどこの男がここにきた時期から考えると枢密使派は科挙に受かるはるか前から目をつけていたことになるだろう。
僕はそういった政治的なことはうんざりなのに。
今回もいつもどおりに断って終わりになるはずだった。
「そういうのは父上に頼んでください。
僕はそれに従います。
それに僕の希望は武官ですよ?  あなた達の希望には添えないと思います」
軍閥を防ぐ目的から帝国では文官は武官より上に置かれている。
だから僕の希望を言うというのも勧誘を断るのには結構有用なのだ。
本気で勧誘するつもりならその程度のことは事前に調査してきてほしいんだけどね……
 ところが今回の相手は手ごわかった。
「お父上はいまやお亡くなりになられた可能性が高いと今申したはずですが?
それにそのお年で父親任せというのも如何なものでしょう。
すでに自分のことは自分で考えて動くべきお年でしょう。
ついでに言わせて貰いますが武官というのも実は我々からすれば大変都合が良いのです。
先の大公自治以降、地方の安に勢力を伸ばすのが非常に困難になっておりましてね。
そこで枢密使殿が考えておられるのが武官による勢力拡大です。
今すぐは無理でしょうがあなたにはぜひともその急先鋒を駆って頂きたい」
大公自治というのは5代目革命帝による3大革新の一つである。
3大革新とは意欲と能力のある下級貴族などの採用のための先王朝時代の科挙試験の復活、三大商人の直訴などに代表される皇帝家の莫大な借金から愚行帝の豪 遊に使われた分を細かく算出しその分を『朕が革命を起こした以上はあやつは支配するにふさわしい者、すなわち皇帝ではなく、またそうである以上あやつの 使った金は帝国に支払う義務はない』とする不支払いの実行、そして大公自治である。
大公自治は分権による地方代の権利の強化を求める声に押されて施行された。
東安、西安、南安、北安の置かれた各都市の地方代の一族を大公家として世襲制とするなど大公家の力をそれなりに強めるものであったが中身を見ると世襲は元 より慣習化していたものを明文化しただけであり、帝国軍は以前のままで大公家は治安維持以上の兵力を持てず、また税収も今まで通り中央に全て収められるな ど大公自治とは名ばかりのものであり当然大公家は反発した。
ところがその後の突然の皇帝の崩御、次の皇帝も2年で神経衰弱に陥り政務不能になるなど政情が不安定化し、それを機に北方・西方からの異民族の侵略が激し くなり南部でも農民による反乱が起きるなど帝国全体の危機が続いたため反発はうやむやのままになってしまった。
とはいえ大公自治によってある程度の実権を大公家が持ったのも事実で一部の監査職を除き各安及び辺州内の高官はそれぞれの大公家のもので占められる様にな り、下級貴族の一部が県吏として赴任する他は都の勢力争いも届かない場所になっていた。
この男の言う武官による勢力拡大というのはこういった状態にある地方の安に文官を政治の場へ派遣するのが無理なら帝国軍の武官を自勢力として派遣すること によって各安への影響力を拡大しようという考えなのだろう。
併せて県吏も計画的に派遣するつもりなのか県吏程度幾ら派遣しても同じと言う考えかは知らないが。
普通の武官ならそれらの派閥の更に下にある派閥の末端に属することが出来るに過ぎないことを考えれば高待遇ではあるのだろう。
それに、枢密使は元々帝国軍をまとめる枢密院の長。
武官を目指すなら枢密使の下にいたほうが好都合なのは決まっている。
とはいえ、文科挙進士科にトップ集団である一甲として受かって武官を希望している僕にとってはそんなのどうでも良い話だ。
出世したければそのまま文官となれば良かっただけのことなのだから。
父は船乗りで、母も僕が生まれるまでは共に船に乗っていたと聞く。
そんな二人に育てられたからなのかどうか英才教育を受けながらも僕はそういったことに興味を持てず、むしろ嫌気しか感じない。
「私はそちらにつくなどと言ってはおりませんが」
この話を終わらせようとしたが、張はそれでも気にせず話を続ける。
「今回紅殿に行ってもらいたいのは特に先の西雑戦以降地理的にもほぼ独立している西安治める西地区です。
あそこの軍隊は帝国に属するとは言っても兵卒はもちろん大半の高級士官までもが西地区、特に西安出身のもので占められていますからね。
周囲に外敵の脅威さえなければ下手すると本当に独立してしまいかねませんよ」
まるで僕の意思など気にしていない。
僕が付く気のないことを知ってこれだけの情報を伝えてくる以上、相手は余程強力なカードを持っているはずだ。
僕の意思に関係なく枢密使側に行かざるをえなくなるほどの強力な。
口調は変わっているし他の客にわからないような声で話しているとはいっても、いつもの張だという安心感のせいで油断していたのかもしれない。
今更のように再び頭の中で危険信号が鳴り始める。
張は話を続けてくる。
「さて、お父上の船が遭難されたかも知れなのにいきなりこんな話をしては不躾でしたか? ですがお父上の船が遭難したのであればまだ良いですよね。
なんせそうでなかった場合、お父上は皇帝家の船を使っての国外逃亡ということになるのですから」
国家逃亡罪? 遭難でもなく予定された寄港地にも寄らないとなればそうなるか。
たしかに皇帝家直属で働いておきながら皇帝家の船を用いて逃亡、その罪は反逆罪にも匹敵するだろう。
反逆罪に問われた場合、一族郎党皆死刑。
「わかりますよね。
その場合に飛ぶ首はあなた達だけでなく船員全員の家族ですよ。
以前のあなたの父君なら数十隻からなる船団に4万もの要員をつれていたこともありましたが、今回は本人の操る一隻のみ。
人夫にしても最小限の3百人程度ですから、これなら許されるであろう者を除けば千人程度。
それほどの非難もなく実行できるでしょう。
ちなみにこの遭難の件、調査は我が主の枢密院が任されておりましてその結果をどのようにまとめるかも我が主次第なのですよ?
あなた様はどう動かれるのが得か、良くお考えください」
枢密院は軍を統べるところだろうに、越権もいいとこだ。
実際の所はそれを担当するところの省庁の高官が枢密使側には居るということだろう。
張は脅すというよりもむしろ楽しそうに言いたいことだけ言うとそのまま去っていった。
 その後も張はいつも通り饅頭屋に来ては僕を促すような目で見ていたが、1月ほどたったある日、
「これが調査の者からの報告を少しいじった中間報告です。
帝への最終報告はこれをもとに作られます。
これ以降も我を張られるつもりならそれも結構。
その愚かさ一千の死をもって償うが良いでしょう。
ですがこちらにつくと言うのであれば今日の昼に尚書令の屋敷の裏門前を通り、夕方に枢密使のお屋敷の前をお通りなさい。
朝この場所で会うだけでしたが、私はあなたのことを気に入りましたよ。
私としてはあなたがこちら側に来てくれることを願ってやみません」
一枚の紙を渡してそれだけ言うと饅頭は食べずそのまま去っていった。
『調査の結果、当該の船は毎回の寄航で必要な量よりもかなり大目に保存可能な食料を買い込んでいたことが判明した。
買い込んだ食糧は使用されたと考えられる分を多めに見積もっても合計で船の食料半年分にまで上り、非常食などの常備分を差し引いても通常よりはるかに多い 量である。
これだけの食料と帝国最高の船、そしてベテランの船乗り達、この3つが揃えば帝国の力の及ばぬ遠所まで行くことは容易でありこの船が遭難ではなく離反した のはほぼ確実と考えられる。
行き先は食料などから推察するにそのまま北上し牽遼・盛夏両国の更に北、最近頭角を表してきている北方の狩猟民族国ハルンの港を目指すのではないかと思わ れるがかの船の船長の普段の言動から東方にあるといわれる伝説の桃源郷を探しにいったという見方も否定できない』
ハルン、最近急速に力をつけてきている遊牧・騎馬民族ハルムの王国でハルムの諸部族を統合後は一気に周辺民族国家を併合して拡大を続け、今や西は西安管理 区から東は東北海にまで及び牽遼を包み込むような形状となっており、現に牽遼とは激しい戦闘を続けている国だ。
おかげでここ数年の北安管理区は強敵であった牽遼との戦闘が激減、落ち着きを保っていたりする。
行き先に関する報告、多分ハルン説が有力で桃源郷云々は僕たち残された人達の為の方言なのだろう。
裏切り者へは一族の処刑が基本だがその者たちが理想郷『桃源郷』の場所を特定して帰ってくるかもしれないとなれば話は変わってくる。
僕には理解できないが皇帝陛下とかそういった雲の上の人たちはどうやらそういった存在を本気で信じているみたいなのだから。
おまけにその期待をかける相手が不可能と言われていた西方連合への海路を実現させた一味と来れば淡い期待も抱いてみたくなると言うもの。
僕の決断によって最終報告に桃源郷が大きく載るか、その文字が消されるかが決まる。
どうしようもなかった。
尚書令側を見切り枢密使側につくと言う儀式、昼に尚書令の屋敷の裏を通り、夜に枢密使の屋敷の正面を通った。
 3日後朝廷から無断での針路変更に対する処罰として父上の位を一つ下げる旨の宣旨が来、京中に父上の船が桃源郷を探して旅立ったと言う噂がまことしやか に駆け抜けていった。
そして更に3日後皇帝からの参内命令が来る。
遭難問題のせいでストップされていた僕の役職がようやく決まったのだろう。
その夜は何度か会ったことがあるだけの陛下の困った趣味を思い出し苦笑いしながら明日はその趣味が出ないことを祈りつつ久しぶりに安らいだ気持ちで眠りに ついた。
一覧へ前へ次へ

こ のページにしおりを挟む

戻る

感想等は感想フォームか、
yukinoyumeki@yahoo.co.jpにお願いします。