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特別の求め


作:夢希

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 四方を囲む険しい山。
 閉鎖された世界。

 穿ちて流る力強い川。
 沿って走る国道と鉄道のみが外界と繋ぐ。
 子供には使えぬもの達……

 見渡す限りの畑はこの村の財産。
 富を生むもの、生活の糧。
 これある限り農作業に終わりはない。


 大きな屋敷はお婆様のおうち。
 小さなお家は私のおうち。
 でもこのお家もおばあ様のもの。
 だから、私もママもおばあ様のもの。

 私にはママが居る。
 優しいママが私は大好き。

 私にはおばあ様が居る。
 養い、仕事を与えてくれるおばあ様が私は大好き。
 習い事を教えてくれるおばあ様が私は大好き。

 私には従姉妹が居る。
 帰ってくると遊んでくれてた汀おねえちゃんが私は大好き。
 もう、滅多に来てはくれないけれど。

 従兄弟の篤志お兄ちゃん、大好きだった。
 でも、死んじゃった。

 村の子供も大人も、本家に遠くから来る人達も。
 みんな好き。 好きになるの。

 そう、決めたから……


 ・
 ・
 ・


 何故俺は今こんなところに居るのだろうか?
スキー場のふもとにある温泉街。
まあスキー場といっても小さなゲレンデが一つだけ、逆にスキーが温泉のおまけといった感じだ。
一月の中頃、日曜だというのに客はほとんど見当たらず妙にさびれた感じが漂いまくっている。
来といて何だが、こんなとこに来る他のやつらはいったい何を考えているのだろう。
少なくともアクセスに掛かる時間とここの規模を比較したなら考えを変えていたはず……
温泉につかってのんびりするか、ちゃちいスキー場でスキーする他には機能をまったく有していないのだから。
この温泉地が潰れずに成り立っている理由が俺には何一つ思い浮かばない。

 でも、そんなことはどうだって良い。
「一也君、そんなところに突っ立ってても寒いだけよ?」
本当にどうだって良い。
「何でうなだれてるの」
俺には無関係なんだから。
「早く旅館まで行かないと」
親しげな声が聞こえてくる。

 そうだな、叶うなら俺は恋人でもない少女と一緒にこうして……
こんな状況になってる理由の方が何倍も知りたい。
いや、一つ断っておくと遙は他人と言うわけじゃない。
むしろ今の彼女より付き合いは遙かに長い。
それを現すかのように目の前に居る少女の名前は遙。
二つ年下の幼馴染、今俺が大学一年だからこいつは高二か。
何度も言うが彼女じゃない、妹みたいなもんだ。
かと言って、二人きりで遊びに行って怪しまれない程の仲では無い。
否、ばれたら確実に疑われる。
遙とは俺が大学に入っていつきに移るまでずっと一緒だったのだから。
俺達二人がどう主張しようが俺が彼女を作るまでずっとそう思われていた。
 本当の彼女が出来たほんの一昨日前まで。
それが泊まりにいくとなればどうなることやら。

 まあ、この際一番問題になりそうな彼女にばれるというのはそれほど問題ない。
間違って着替えを見るなんてお約束な展開があったとしても、笑って許してくれるか楽しそうにねちねち言われる程度だ。
俺は彼女を愛しているし、彼女はそれを十二分に承知して活用している。 万が一の一線を越えない限りそういった意味での心配は必要ないが。
きっと寝顔を可愛いなと思っただけでも何故かばれて拗ねられる。
つまり誘惑に負けて何かしでかした場合、隠し通せる可能性は0に近い。
そもそも、ばれるとかばれない以前に相手のことを思うなら絶対にやっちゃいけない行為だ。

 なら行くなって?
俺もそう思う、いつもそう思う。
でも、遙の頼みはいつも断れない。

 俺と遙の関係は10年以上遡る。
木都管理区南部の小さな村神保。
俺達はそこで出会い十年をそこで過ごした。
といっても俺も遙も元々はその村で産まれたわけでは無い。
遙は産まれて二年もしないうちに親父さんが亡くなってその実家のあるこの村に来たらしく、まだ幼かった遙には以前住んでいた場所の記憶は無い。
ただ、そのことに負い目のある彼女たち母子は祖母からいじめのような待遇を受けてきた。

 それは小さな村のこと、子供達はみな一緒になって遊んでいた。
 刺激と獲物を求めながら。

 そこは田舎の集落のこと、大人に隠れての陰湿ないじめなどそう多く無い。
 隠れる必要は無いのだから。


 そんな中へ引っ越してきたのが俺だった。
親父がそう遠くない場所にある水力発電所勤務になったためだったらしい。
本来なら発電所近くの村に住むのだが愛妻家の親父は既婚者向けの設備が無く単身赴任を求められていたと知ると空き家のあるここに家を借りて住むことにした の だ。
毎日一時間以上かけて勤めている親父はすごいと思うのだが、それを言うたびに帝都の頃よりストレスが溜まらん分だけ楽だよという答えが返ってくる。
両親はよく帝都よりは、帝都よりはという。
俺たちにとっては憧れの帝都も実際に暮らしてきた本人達にとってはどうなのか……
事実親父は数年後には会社を辞め、現在は村で農業をやっている。

 で、そん時俺は七つ遙は五つ。
標準語を話していた俺も何気にいじめられる側に回った。
それを別段気にもしない俺はつまらない相手だったのだろう。
俺の話し方が方言化していくに伴っていじめは消えていった。
そこで改めて気づいたのが遙へのいじめ。
一過性のそれが多いのに比べ、遙へのそれは俺が来る前から続いていたはずで、俺へのそれが終わった時点でも収まる気配すら感じなかった。
収まるはずがない。
何より、大人たちが彼女らを蔑視していたのだから。
幼い俺がそこまで考えていたわけでは無いだろうが何となくそのことが気に喰わなかった俺は遙とともに行動するようになった。
永遠のいじめられっ子、祖母に言い成りな母、片親。
放っておいても後からついてくる遙は他の子供たちと集団で遊ぶことにストレスを感じていた俺にとって都合が良かったのかもしれない。
とにかく俺が中学生に上がる頃には遙へのいじめはなくなり、遙自身もそんな過去があったとは思いもつかないほど明るい子になっていた。
礼儀正しく感じの良い理想的な少女へ。

 あの頃の俺は男気のある奴だったんだな、昔を思い出すたびにいつも思う。
俺的には理想の子供、さすがはあの両親が育てただけある。
親になったらぜひともこんな子を育てたいね。
なら、今の俺? 男気ゼロだろう。
ただ、中三から高校に掛けてずっと感じていたどん底からは這い上がれた気がする。

 大きくなっていくにつれて遙の色々なことを知った。
この村に居る遙の祖母は父方のほうであり、遙の母親は孤児であったこともあって結婚するのには反対されており、兄弟達の説得により最終的には折れたものの 納 得したわけではなかった。
元々そんな関係であったのに遙の父親が亡くなってしまった。
つまり祖母にとって遙はともかくその母親にはもはや何の義理もなくなってしまったのだ。
実際、父親の死後に祖母は遙だけ引き取るという案を提示したらしい。
里に来るのであればという条件付で母子両方の面倒を見るとも言っていたらしいが、仕事を持っていた母親はこれも断り都会で遙を育て続けた。
母親一人、誰からの援助もなく……
そして母親は一年間も一人で仕事と子育ての両方をこなしてしまい、それがあちらも自分を嫌っている証拠と取った祖母の印象をさらに悪くした。
ただ、意地を張っても限界はありその報いは来る。
突然母親は帝都から村へやってきて祖母に泣きついた。
正確な理由は分からないが、やはり疲れたのだろうというのが村の大人達の見解だ。
 そういうわけで一旦断っておきながら一年後に村にやってきた母子は散々嫌味を言われながらも郷の隅の小さな家を一件貸し与えられ祖母の家、つまり本家の 手 伝いをして暮らしていくことになった。

 おかげで本家は人手が少し増えた。
が、だからってその次の年からいきなり自然農法に凝るのはやり過ぎじゃないだろうか?
一年目はまだ良い、死んだ土を生き返らせるのが目的だ。
死んだ土に出来ることなどたかが知れている。
死んだ土に育つ作物も知れている……
収穫は激減した。
0と言っても良いくらいだが、当主であった遙の祖母には初めからその覚悟があったようだ。
農薬&化学肥料という麻薬付けの生活から健康体へと戻るのに避けては通れぬ道。
二、三年目もまあ頑張った分だけ元気になっていく農作物を見ていればそれなりに苦労は報われたと言えるかもしれない。

 問題はそれ以降。
自然農法の結果『元気になった』土地は化学肥料等無くとも最小限の堆肥で充分。
そんな元気な土、しかも毒となる農薬が無いのだから土を肥やす微生物たちも増えていく。
作物は見事に育ちそうだが、毒が無いのだから雑草や虫たちにとっても天国。
草刈りは何も農地だけではない。
人件費と手間さえ考えなければ、そこらの雑草は無料で最高の敷草となる。
お爺さんは山へ芝刈りへ、老いも若きもわざわざ刈りに行くのだ。
そして旧家だけはあると感嘆させる広い農地。

 数年後、村は元気な有機農作物の産地として少しだけ有名に、
親父は会社を辞めて借りていた家を買い取って農家になった。
ネットを駆使して神保村野菜のブランド化にも貢献したらしい。

 幾つもの機器に分担されていた各種の機能が端末として統合され始めた端末システムの黎明期。
そんな時期に親父がカメラマンと構成、母親は記事という担当で農作業の様子を頻繁に更新するHPを立ち上げた。
その頃はまだ有機野菜としては中途半端な作物なが らも、どのように育てられた野菜かを簡単にお客に伝えられるとあって準高級飲食店・生協系消費者組合・個人客などを対象に販売網を広げていけた。
自然農法も軌道に乗り始め、販路に悩む本家にリアルタイム菜現地情報という最高の付加価値をつけて強気の価格設定というおまけまでつけて最高のプレゼント を提供したのだ。
他にも会社の退職金を自然農法から5年目、一番金銭的に困難な時期にある本家に貸したりもしたらしい。
今では本家も盛り返し、神保村ブランドとして生産が追いつかないこと、安定した供給先があるため転換後が安心なこともあって郷の畑はほぼ全て有機農業化し ている。
お陰で本家もうちに対しては他所へのとは違う態度を取り、周囲も俺が遙と遊ぶのに口出しできなかったという裏事情もあったりしたようだが。

……そんなことも、今はどうだって良い。
「ほら、混浴らしいわよ。
いったい私どうなっちゃうのかしらね」
久しぶりに村から出てはしゃいでいる遙。
どうなるはずもない。

 そもそもこんなことになったのは彼女が出来たという報告に実家なんかへ帰ったからだった。
先週の金曜にサークルで飲んで。
その後、打ち合わせがあるといわれて先輩と二人で飲んで。
気付いたらアパートに先輩が居た。
麻理、昨日までは麻理先輩。
それまでの最低だった俺からちょっとはマシに戻れたと思える理由。
むしろ手を妬いてそこまで持ち上げてくれた人。
過去の罪を背負ったままで堂々と生きてもいいと断言してくれた人。

 自然発生的にサークル一年の代表のような存在になってしまった俺に新歓役として一年の面倒を見ていた麻理は悪いわねと言いつつ連絡などの分担や日程の相 談 を頼んできた。
それをきっかけに当然のように仲良くなっていき。
どちらかというと豪気な人でサークル内じゃちょっと怖れられつつも頼りにされている人で、それが何で俺なんかのことをここまでというくらい構ってくれて。
そんな先輩が昨日初めてうちに泊まった。
いや、何もしてない。
記憶はあやふやながら、きちんとある。
何もしなかったというより何かできる状態じゃなかったといった感じで。
俺以上に酔っていた麻理を何とか寝せた所で俺も力尽きた。
とはいえ、次の週末には二人で遊びに行く予定(これはいつものことだけど)を立てさせられてしまったし。
アパートから帰る間際には無言で促され思わず告白というやつをやってしまった。
結果は、言うまでもない。
ひょっとしたら、俺は遙のお願いだからではなく女の子からのお願い全てを断れないのかもしれない。

 何だか強引で急な感じもするけれど、その前から嫌ではなかったし悪い気はしなかった。
ただ、大学の親友に端末で相談したらそれでも「てめえら遅すぎんだよ」ということらしい。
で、その夕方に親に即効でばれたのだ。
端末で他愛のない話をしていただけのはずなのに。
まさか「まだ彼女は出来ないの?」という問に素っ気無く頷いただけのはずが、いつもより声がどうのこうのと言われて詮索が始まって。
ここまで一気にばれるとは…… 想像も しなかった。
そして即座に日曜に帰って来て報告しないと仕送り停止まで話が進んでしまっていて。
元々俺の実家はいつき線の神保、大学はいつき線始発駅のいつきにあるから列車で一時間程度なのだ。
馬鹿高い定期代と少ない電車本数のお陰で一人暮らしをさせてもらっているが通えない距離ではない。
まあ、お陰で大学に入ってまで農繁期休みを取らされたりもする。

 とにかく、帰った頃には既に噂は村中に広まっていた。
何せ着いて早々駅員のおっちゃんから
「都会の女の子とは良くやったな」
と言われてしまったのだから。
本人悪気なくとも噂好きの母親だけは持つもんじゃあない。
で、駅を出た瞬間待ち構えていた遙に連れ去られてここに至る訳だ。

「彼女が出来たって聞いたのだけど?」
挨拶も無しの第一声がこれ。
その迫力に押されて
「成り行きに任せた感じもするけれど……」
つい正直に答えると、
「着いて来て」

で、また駅に戻らされて、駅員さんに修羅場だねえと笑われながら行き違い待ちをしていた列車に再び乗って今に至る訳だ。
俺が遙の申し出を断れるわけがない。
まして今日の遙は小さな体を一杯に伸ばして目には涙なぞ浮かべつつ俺を睨んでいて、
これでもかという感じなのだ。
逆らえるわけがない。
絶対に麻理のことが理由なのは違いなかった。
けれど電車を乗り継いでここに至るまでの2時間半、今までのところ遙はいつも通りのまま。
麻理のことを聞いてくる様子もない。
 ただ付いて来いといわれて。
乗った列車の中、端末を使ってどこかへ予約を取り。
着いた場所はこの温泉街だった。

 やだなあ、どうせ後で色々聞かれるんだ……
しかも根掘り葉掘り。

 遙が俺に惚れて妬いてるんじゃないかって?
それはない。
だから俺は宿泊と聞いてもそれ程あせらずに居られる。
俺への恋慕、昔はともかく今はない。
ない、はずだ。
持っていたかもしれない淡い想いは俺自身が踏み潰したのだから……
それでも俺と遙の仲が誤解され続けるような関係ではいてもらえた。


「え、と。私達ですか?
友達同士です。
こいつには自慢の彼女が別に居ますから。
そりゃ友達同士だって一緒に旅行しますよー。
どうしてって言われても……
恋人同士で来るより気が楽だからですかね?」
ほらな、遙も言っている。
友達同士、お互いにもう期待はない。
「え、ここ混浴じゃないんですか?
それは隣?
いえ、別に良いんですよ。
一緒に入れたら楽しいかなとは思いましたけどさすがに友達同士じゃ問題ありですよね」
楽しいなんてものじゃない。
混浴なんていって遙の身体など拝もうものなら……
まず間違いなく麻理に気付かれる。
俺は嘘の付けない性格らしくて、麻理はそういう相手なのだ。
だから今の俺は助かったと叫びたい気持ちで一杯だった。
ただ、その奥で隠しえないがっかり感は男なら仕方がない。


 温泉は良かった。
もう夕方だったから、ご飯を食べる前に温泉に入っちゃおうかということになったのだ。
だだっ広い浴場とおまけにか思えない小さな露天風呂。
まだ少し時間が早いせいか俺一人しかいなかったのだからどちらも十二分の広さと言ってよい。
これで気持ち良くならないわけがない。
 恐れて、内心でほんの少し期待もしていた遙からの襲撃はなかった。

 部屋へ戻ると遙はもう戻っており、テレビを付けてゆっくりする間もなくすぐ料理が来る。
サービスと言ってビールとオレンジジュースのビンが一本ずつ付いてきたのを遙が「私はお茶を飲むから」と言ってビール二本に変えてもらう。
遙の酌は上手だった。
注ぎ方、タイミング、何をとってもサークルの誰もここまで上手く出来ないだろう。
つまり、途方もない積み重ねの結果なのだ。
それは、本家に養われる女子として当然の責務……

 責務はそれだけではない。
本家の嫡流は五家族あった。
その内、長男の家は帝都にあったが女児一人を残して事故死。
長女は婿養子を取ったがそれは姓を変えないというだけのものでそのまま婿の地元へ移った。
長女夫婦の息子は既に死亡、現在は長男家の遺児を預かっている。
そして次男の家つまり遙の家は次男が死んで嫁と子供の遙が帰ってきた。
残り二家族は仕事の関係上遠所に住み、帰ってくるのは正月程度。
他に祖母の弟に当たるオジサマとその長男家族が本家に住んではいるが、祖母が何と思おうとも村に嫡流として残る子供は遙のみなのだった。
そんな遙に祖母はいつの頃からか己の全てを教えようとするようになった。
茶・華・舞、そしてそれらを艶やかに見せるに欠かせない躾……
学校とこの習い事、そして本家への雑事や農作業のテツダイ。
お陰で遙はかなり忙しくなり、俺が中学へ上がったこともあいまってそれ以降共に遊んだ時間は大きく減ってい る。
祖母が強引に決めた約束に合わせて学校からまっすぐ帰る遙。
それでも無理矢理教えていた祖母は周囲に遙の覚えの悪さを愚痴っていた。
泣き虫だった遙、あの頃は遊びに連れて行くことは出来なくても練習の終わる頃を見計らい、家を抜け出ては慰めに行っていた。

 今ではすっかり明るい遙。
長期の練習の甲斐あって芸能も今ではすっかりそつなくこなしている。
当然口では何と言っていても祖母のお気に入りなのは誰が見ても分かり、跡を継ぐのは正月にも帰っては来ない長男家の汀ではなくこの遙というのが大方の見 解だ。
実際、他の嫡流では誰であっても村について疎すぎるのだ。
そして、都会育ちの彼らの中に俺の親のように不便な田舎に移り農業に従事しようなどという輩は出ては来まい。
あとは祖母が遙の母親へのわだかまりを捨てさえすれば……

 これが、今の遙。
こうなったのは中学になってからか?
なら、『あのこと』が原因なのか……
いや、中学に入る前から既にこの前向きな性格になっていた気がする。
小学校の高学年頃はまだ理知的なものを伴ったそれではなく、ただむやみやたらと明るく感情の起伏が激しかった。
そうだ、俺の卒業式でわんわん泣いてた遙を、中学に入ったらまた一緒に学校行けるねと買ったばかりのセーラー服で俺の家まで走って来た遙をよく覚えてい る。
まだ祖母やいじめっ子を前にすると硬くなってしまっていた遙。
明るいだけの遙を見てきた周囲のやつらは俺の前で拗ねていじけて泣いていた遙を知らない。

それが、中学に入った頃から変わったのだ。
誰に対しても礼儀正しく明るい子。

 つまり、俺に対しても……

だからか?
だから俺は『あんなこと』をしてしまったのか?

『あのこと』を思い出すと今でも胸の奥に重い何かが生じ、全身が硬くなる。
慌てて誤魔化すようにコップを空にすると遙はお代わりを注ぎつつテレビの話題を向けてきた。


 食事が引かれ、代わりに布団が整えられると遙はやにわに冷蔵庫を開けお酒を取り出した。
日本酒の四合瓶、かばんからは豆菓子が出てくる。
村のほぼ全員に顔を覚えられている高校生の遙が村で酒を買えるはずも無く、村からここまではずっと一緒だった。
つまり、これは本家の酒?
でも盗みだ何だと言おうと、今のこの状態に比べれば些細なこと。

 遙は当然のように湯呑みを二つ取ると一つを俺に持たせてそれに注ぐとそのまま自分に手酌する。
「酒は飲んだことあるのか?」
客への酌をしていれば逆に飲まされることもあるだろう、聞いてはみてもそれほど心配してはいなかった。
「ううん、おばあ様がうるさいから。
どんなに酔ってもみんな私に飲ませようとはしないの。
だからちょっと楽しみ」
その台詞を俺が意外に感じている合間に遙は乾杯と小さく呟いて湯呑みを合わせるとそのまま半分は入っていたであろうそれを一息にあおる。
「おい、遙!」
幸運にもそれ程弱い方ではなかったのか遙は焦る俺を見、
「乾杯したらちゃんと杯を乾さないと」
そう言って微笑む。
俺が慌てて飲み干すと遙は再び注いで自分にも一口分だけを手酌する。
それを飲んで
「お酒は場の雰囲気って聞いてたけど、やっぱり余りおいしくないのね。
私はお茶でいいわ」
立ち上がって湯呑みを洗いに行く。
残り三合半、一人で飲めと?
けれど、もうほんのりと赤くなっていた遙の頬を見てしまっては何も言えない。
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