真っ
青な空、まぶしい太陽! でも隅には入道雲も見えてるから今日は早く帰らないと。 両側には延々と広がる畑。前方には明らかに学校であることを主張している無機質な建物達。 畑の周りには木々の緑が広がる。 後ろを振り向くと眼下に町が小さく見える。 更に遠くへ目をやると海なんかまで見えちゃったりする。 両側を切り立った崖に挟まれた小さな入り江。 うっそうとした緑に覆われた断崖、その先にあるのは空。 そんな田舎道を可憐な乙女が自転車で走ってる姿といえば絵になるんじゃないかと思う。 さわやか〜って感じを振りまきつつ颯爽と走れたら。 なびく黒髪、ワンピースからのぞく素肌。 胸は、、、じゃなくて身体付きはまあスリムな方。 周りがキャベツ畑なのも好みが別れる所かも。 それでも実際写真でも撮ってもらえればそれは十分に『絵になる』という単語に値するはず。 けど、それも『絵的には』という限定付き。 前を見上げると延々続く緩やかな上り坂。 とっくに立ちこぎシフトへ移行していてワンピースの中は当然汗でじっとり。 馴れてるから良いじゃんって? そりゃ毎日通ってりゃ馴れると言えば馴れるけど。 でも、だからと言って疲れが減るかと問われると答えはノー。 坂道で効率よく走る方法とかあったなら切実に教えて欲しい。 しかも目の前には見るからに楽々とこの坂を走っているやつが居るときている。 あー、もうっ。 唸るとペダルをこぐ足に力を込める。 そして、私はもう目と鼻の先まで追いついたそいつに追い抜くためにラストスパートを掛けた。 近づいてくるその姿。 大きくなるその背中。 明らかに私より大きなそれの持ち主も、数年前までは逆に私の背を追いかけていたのだ。 そもそもあの頃は別々に来なくても良かった。 同じ家に居た。 っちくしょう。足に力を入れてさらに差を縮めようと…… 「おはよう、奈美ちゃん」 もう少しで追いつくというところで私に気付いたそいつが振り返って挨拶をする。 そいつが当然のようにスピードを緩めると、その差は縮まりあっという間に横に並ぶ。 目標を潰された私は挨拶にすらいらいらする。 「お、はよ、じゃ、ないわよ。 あと、少しで、追い抜ける、とこだったのよ! それを間際で、手を、抜くなんて」 息も切れ切れに文句を言う私にそいつは少し困ったような顔で、 「でも、後ろに奈美ちゃんが居るのに知らんぷりして走り続けるなんて。 元々の性能にも差、ありすぎなんだし」 右手で自分の自転車の下の方を指す。 そう、この上り坂でも余裕で右手を離せるのだ。 元々の差、というのはもちろん体力的なことじゃない。 それなら例え男で一つ年上とはいえ都会もんのこいつにゃ負けない。 負けないつもりだ。 今、本当にどうかは分からないけど。 ……とにかく、違いは純粋に自転車の差。 やつが下を指した通りその自転車には変なものが付いている。 よーっく耳を澄ませばそこからヴーンという音が聞こえてくるのに気付くかもしれない。 摩擦式ライトの音よりもはるかに小さな音のそれは坂道も平坦な道に変えてくれてしかも歩道すら走れる究極の乗り物。 電動自転車。 つまり、これに乗れば私はさっき夢見た通りに颯爽と走る乙女をスマートに体現できる。 乗れればね。 親がそんなものを買ってくれる等という期待はしていない。 だから、頼んでみたこともない。 「自転車、代わろうか?」 恨みがましい私の視線に気付いたこいつはずばりなことを言ってくれる。 「そんなことしなくて良いっていつも言ってるでしょ。 あんたは普通にしてて私に負ければそれでいいの」 そう言ってやると相手は困ったような顔で微笑んでくる。 正直なとこ言うと、私は別に勝ちたいと思ってるわけじゃないんだ。 ただ、無茶を言ってこいつの困った顔を見るのは好き。 いつも変わらぬこの問答、夏の間だけ出来るこのやりとり。 それを楽しみたいだけ。 ここは神阿簾(カンアス)市。 本島最北の木都管理区、木都からさらに北東へ下った海辺の町。 東北に位置するため夏でも帝都ほど暑くはならない。 ……らしい。 なんせこいつが避暑に来てるくらいだし。 っと、こいつは貴也。 毎年夏になるとやってくる。 私が小学生の頃からそうだった。 あまり体の強くなかったこいつは夏になると暑さを避けて帝都からここ神阿簾へとやって来るのだ。 昔は私の家に泊まりこんでたけれど今は海沿いの旅館に住んでいる。 つまり、国内じゃその程度には涼しいとされているとこ。 けど私にとっちゃ十分暑い。 現に今も汗でびっしょり。 ついでに地理の説明もやっとこうか。 海と山の間のわずかな猫の額は田んぼで埋め尽くされその中に点々と家々が並ぶ。 それを二つに割くように走る線路。 単線ながらも特急はあり、ここはそれが停まる程度には栄えている。 駅の近くではわずかな店が商店街を形作る。 市と名乗れるだけはあって人口はそこそこ、ちょっとした住宅街が海の近くと駅の近くに二箇所ずつある。 更に内陸に向かうとなだらかな傾斜が発生し、それを境に田んぼは畑に変わる。 バイパスの高架はその境界線。 そして、そこは山と平地の境目。 畑は山の緩やかな所が急になるまで続き、そこで植林された整然と並ぶ杉林へと変わる。 町の陸側はこれでおしまい。 一転して海の方に目をやる。 入り江は良港となり目の前にある潮のぶつかり合うポイントは豊漁を約束する。 ここは自然に恵まれた土地。 そのことはさらに周囲まで目を広げれば明白になる。 昔は山だった所が海に沈んで出来たと学校で習ったがとにかく高低差の激しい地形。 海岸線には切り立った断崖が続く。 けれどとにかく海はあるわけだからずっと地図を見ていけばいくつか小さな港は見つかる。 うちの町ほどの規模に出来ないのは港が頼りにならないから。 とはいえ、漁業は何とかなる。 問題なのは耕地。 田んぼはおろか畑とするのも難しい起伏に富んだ土地。 きのこ類の栽培は盛んだけどそれは他の作物は作れないということの裏返し。 車で木都へと向うバイパスを通れば神阿簾駅前の小さな広場ほどの平地すら無理矢理に畑や田んぼにされているのに驚く。 今はとにかくかつてはそれだけでも神の恩恵とさえ言える貴重な平地と思われたのだろう。 そんな難所の中にあってこの町の豊かさは更に際立つ。 どんなに小規模であれ平地などと言う単語はこの界隈には神阿簾を除いて存在しないのだから。 そして、この恵まれた地形を求めてこの町には人が集まる。 お陰で地の果てといわれるほどの田舎に住んでいても過疎地にありがちな学校に困るという事態は無い。 学校の場所にはちょっと問題ありだが。 もう一度地理のおさらい。 航空写真を見てみると青い海、入り江をふさぐ勢いで迫る両岸・港、海沿いの旅館や家、田んぼの緑、その中に駅と住宅街、畑の茶色、そして杉林というよう にきれいに境界で別れている。 大抵の人はこのうちの海と山に挟まれた狭い平地に住んでいる。 当然だ。 が、うちの学校はその畑と杉林の境目近くにある。 つまり、チョイ山ん中。 道路はきちんと整備されてるけれど毎日通うとなればたまったもんじゃない。 麓から1.5キロといえばそこまで遠くはないと感じるかもしれないけれどね、一応これ坂道なの! そこに小学校から高校までが立ち並ぶ。 当然学校から1キロ圏内に家のある生徒は数えるほど。 バスは走っているけれど本数が少ない上に値段が高い。 通学定期の割引率がこれまた小学生以外使うなよという値段設定にしてあるのも一因。 ちなみに私がこのバス会社の社長になったら値段を半額にして本数を四倍にすると思う。 登下校の時間だけでもいいの。 需要はあるんだから! 私だってそれなら使う。 とはいえ今の社長の頭にそんな考えは浮かばないようで。 結果ほぼ全員がチャリ通、その内二割弱の金持ちが電動自転車を持つという現状になる。 自転車、それが制服で物の乏しい田舎の高校にあって一番簡単に見つかる差異。 体力も金もない子は高架下の駐輪場に自転車を置いて坂道は歩いて通学する。 そして現実を考えてみるといくら田舎の町とはいえここまでの規模で学校が並べば通学時は学生で溢れ返る。 でも今は私等二人きり。 夏休みの通学路、しかも時間は二時半と中途半端。 学校に着けば部活の子が居るだろうけど今は点々と畑に農家の皆さんが見えるだけ。 なら何故私達がそんな時間にいるかって? それにはまず名前を教えるのが先になるかな。 私の名前は神杠(カミコウ)奈美、姓に神の字が付くのは神代皇家より民籍降下された証。 神代はこの国を統べ、神の力持つとされている一族。 ん、そしたら私は偉いのかって? ぜんっぜん。 民籍降下もずっとずっと前の話らしくて多分まだ臣籍降下とか呼ばれてた頃。 神社の神主であること以外に神代の面影はない。 お金ないしね。 神杠のうち『杠』の字の意味は橋、それも丸太橋レベルの簡単な橋のこと。 『神』と違ってありがたみも何もないけれど、逆にそれが私達家族にはしっくりきてる気がする。 で、さっきから話してるこいつは神代貴弥。 朝香宮新王家の長男坊。 ま、こいつの家だって有力な家系とはとても言えたもんじゃあないんだけど。 それでも一応宮家、この場合神代というのは正式には姓じゃなくて皇族ですといった程度の意味合い。 宮家とうちの家とはどう違うのかってと親王宣下を賜った有力皇族の末裔が宮家。 その他大勢な皇族は成人したり結婚したり、はたまた財政難なんかの理由でも民籍降下され ちゃって姓に『神』の一字を付けて皇家を離れるわけ。 だから神代皇家の支配から千数百年年が経過しているとされる現在、神を姓に含む人って実は結構普通。 はるか昔に民籍降下されたうちなんてむしろもうただの一般家庭なのよ。 けど一応長々とした伝統はあるらしくてこの町じゃ最大の神社を任されていたりもするわけ。 要するに私達は神代皇家と一応は関わりがあって神社の家系。 で、本題に戻してなんで学校へ向かっているかというと…… 実際に用があるのは学校じゃない。 そこで自転車を降りて、更に上まで歩いて行く。 学校に近づくと部活の声が響いてくる。 そのまま学校の駐輪場に自転車を置いて、裏に回ると階段が見える。 ここからは徒歩、貴也の電動自転車でも階段や山道までは登れない。 「これで互角よっ」 自転車から降りて階段を前にそう宣言する私に 「そうだね」 って、何でそこで嬉しそうに笑うかな。 学校は人の地と神の地の境目にある。 支柱に石を置いて階段を登る。 ここから先は神の領域。 周りに広がる緑も畑から山に生えるツタ科の植物に変わっている。 それ等はすぐに細い木々とシダとなり、階段から山道に入ってふと見渡すとそこはもう鬱蒼とした林だ。 周囲の管理された杉林と違いここいらは人の管理から離れた原生地帯。 地元の人はうちの社の土地だと思っているけど実際のヌシは神代皇家。 この道を通る人はあまり居ないので、整備は年に一度マツリの前日だけしか行われない。 そのマツリまでももう一月をきった。 つまり、今は一番荒れてるはずの時期。 けど、優しい誰かが七月に入ると軽く草を刈ってくれている。 『優しい誰か』とか言うと思わせぶりだけど本当に誰なのかは知らない。 マツリの時はともかく一人ずつ通る程度ならこれでも十分。 きっと徳に満ち溢れた顔をしたおじいさんとかなんだろうなー。 こういった親切はすごく嬉しい。 学校から15分ほど歩いただろうか、私達は樹齢どれほどであろうかという巨大なブナの前に居た。 背はそれ程高くないもののその幹は太く、低い所から荒々しく枝分かれをはじめている。 それだけでも神秘的な神々しさを感じられるがさらにその根元には縄のようなものが巻かれている。 注連縄、ではなく藁で作られた巨大な蛇。 藁蛇とご神木。 藁蛇は少々汚れてきているがそれでもまだしっかりとしていて壊れそうな気配は全くない。 夏休みが始まる直前に置かれたそれは八月半ばのマツリが終わるまでそのまま巻かれている。 夕立にも台風にも負けたことはない、それだけ頑丈に作られている。 ご神木の前に立ち、貴弥がそこにシートを広げる。 その真ん中に私が座る。 中座は私で前座は貴弥。 前座と言っても座るのは私の左後ろで補佐が役目。 私の方が中座になるのは私がこの地の護りで貴弥が他所モノだからだと思う。 仕事はご神木と藁蛇への祈祷。 意味はほとんど分からないし、文句自体に力が篭もっているとも思えない。 けど台風なんかで三、四日来れなかったりするとその後はすごい嫌な感じが荒れ狂ってるからこの儀式の重要性は分かる。 分かっちゃいるんだけどね。 年頃の女の子としては夏の午後を毎日毎日こんな儀式で過ごすのって文句あるわけよ。 絵日記とかが宿題に合ったら全ページに『今日も藁蛇様にお祈りをしました』とか書いてやろうかしら。 ま、一人じゃなくて貴弥がお供してくれるのはまだ救いだけどさ。 しっかし小学生の頃は頼りなかったのにねえ。 そっと後ろを振り向くと貴弥は真面目な顔で目を瞑り祈っていた。 こいつも中学になると来る度に大人っぽくなってきて。 高一の今年はついに避暑ではなく神杠奈美、つまり私の前座の任を受けてここに来ている。 どう違うかって言うと『今年はお金が出るんだって』とかで、毎日祈祷のあとカキ氷を奢ってくれるのだ。 小一の頃から十年近く無償の私とは大違い。 お母さんに文句言ったら『うちはお金ないから』 まあ、お小遣いは人並みに貰ってるわけだし元から期待はしてなかったけど。 そんなこと考えている間も祈祷はサボっちゃいない。 もはやソラで唱えられるし無意識でも出来る。 自転車やら山登りやらで滝のようにかいた汗は既に引いている。 貴弥なんかに言わせると外に居てもじっとしてれば汗が引いてしまう時点でここは帝都よりはるかに快適らしい。 しばらく経つとこの地に力が満ちてくる、それが解る。 安らいだ気持ちにさせる落ち着いた霊力。 貴弥は私の属性を持つ力だと言う。 私が造っているんだと言うけれどどうにも実感無いのよね。 小学生の頃とかはこの祈祷を終える頃には毎日すごく疲れていた記憶があるのに大きくなるに従いあまり疲れないようになって、中三の今じゃ集中する必要すら 無 い。 もちろんやらないでおくと嫌な気が満ちてくるのは今でも変わりないからこれが必要なのはわかるけどさ。 もう素で暗誦できる文句、型どおりの作法。 小さい頃疲れてたのは、ちゃんとできるか緊張していたせいと、暑い日中に長時間外でじっとしていることを強いられたせい。 そりゃ、木陰の下だけど。 お子様だったし、限度ってあるわよね。 という訳で今日も日課の祈祷を済ませ終えようというところで私や貴弥とは別の気配を感じた。 距離は300m弱あるけど、速度からして接触までもう1分無いかな。 山道であることを考えれば信じられない位に速い。 当ては一つしかなく、数秒後には気配がそれであることを確認する。 さらに数十秒後にそれがその姿を現す。 私たちからは後方だけど別段見るまでもない。 綺麗な黒髪をおかっぱにして目はパッチリと開き、唇には紅を付け、白粉のまぶされた頬はなお赤い。 着ているものは当然のように着物で赤を基調にしたもみじ柄。 まるで人形のようながら違和感を感じないのはサイズも人形並だから。 ま、当然普通の人形がそんな速度で山の中に飛んでくるはずが無い。 こいつは香野、日本人形の『カタチ』をしてはいるけど『ミ』は別物。 本人(神?)はうちの祀り神といっているけど私は絶対違うと思う。 確かに、うちの神社の御神体に憑いていたのは認める。 御神体から日本人形の『カタチ』に遷したのも私。 でも、でもね、だからこそ分かる。 圧倒的に弱いの! 霊的な修行なんてほとんどしていない私が『カタチ』を遷せたのもその力(の弱さ)ゆえ。 これじゃよくて眷属止まり。 目の前にあって夏は毎日祈祷に来なきゃならないやつの凄そうな気配と比較すると…… 迷ってうちに来て何となく御神体に入り込んじゃったんだろうなというのが私の正直な考え。 今じゃ私に付きまとって背後霊化してるし。 ちなみに今でこそ私の属性を持つ力が満ち溢れててもそこでリラックスするだけの香野だけど、きちんとしつけるまではせっかく造ったこれを勝手に吸い取っ てはそ れにあたって苦しむという自滅行為を本能の赴くままに何度も繰り返していた。 香野曰く何だかすごい魅力的に感じるんだそう。 香野が私の属性を持つ力でたわむれている間にこちらも祈祷を終える。 仕上げとばかりに出来た力を藁蛇へと向ける。 この行為が藁蛇に力を与えてるのかその力を削いでいるのかすら分からないまま10年弱。 ふう、と息をつく。 終わったのを確認した香野はお疲れ様というように私にじゃれ付いてくる。 「人が昼寝してる間に勝手に祈祷へ行くなんて酷いぞ」 抗議の表現だったようだ。 「ごめんね、だってあまりに気持ちよさそうに眠ってるんだもの」 「などと言ってワシを置いていき貴弥と二人きりになる心積もりだったのであろ」 拗ねた香野の僻み発言に貴弥は真っ赤になる。 分かりやすいなあ。 私も貴弥は嫌いじゃない。 でもさ、貴弥って夏の二ヶ月以外は帝都に居るのよね。 私は遠距離恋愛に耐えられるほど強くはない。 貴弥に依存するってのも小さい頃のこいつを知ってるだけにちょっと悔しい。 だから関係がこれ以上になることを今はまだ望んでいない。 「考えすぎだって。 私が香野以外を一番にしたことってあった?」 そういって誤魔化すだけ。 「この前とて……」 「はいはい、それじゃ特別に貴弥の特等席を譲ってあげる」 そう言いながら貴弥の右肩に乗せてやる。 「ふんっ、そんなもので懐柔されるワシとは思うでないぞ。 そもそも奈美ではここに乗れないのじゃからこれは何も……」 言い掛けて、止まる。 「じゃがこの位置はなかなかに良いのう。 うむ、楽ちんじゃぞい」 単純なのって私はとても良いことだと思うの。 そのまま学校へと下り自転車に乗ると今度は二人並んで坂を下る。 今度は下り坂、町がだんだんと近づいてくるのも風が頬を切るのも。 全てが心地よい。 町に下るとそのまま私が先になって駅前へと向かう。 小さな駐車場を挟んで駅の向かいに立つのは神阿簾(カンアス)屋。 お土産の他にちょっとした食料や生活雑貨も扱っている。 古臭い雰囲気とは裏腹に、近くの小型スーパーに対抗してか日常品の値段は微妙に安い。 そんな神阿簾屋夏休みの目玉は二つ。 一つは休みだけ家の手伝いをする看板娘、美保。 身長も胸も性格も、何もかもが私より大きい。 ……そして私の親友だ。 で、もう一つがカキ氷。 「おばちゃ〜ん、今日も一つずつねっ!」 「あいよぉ〜っ。 今日はチョコミルクとゆずザラメだよ」 元気な声で答えてくれるのは美保のおばちゃんならぬおばあちゃん。 おばあちゃんと呼ぶと耳が遠くなることで有名。 ここのカキ氷は種類は二種類のみながら日替わりで味が変わるのだが、その全てがおばあちゃんの手作り。 で、特筆すべきはその味。 なんと、たまに大はずれが存在する。 「うげげ、チョコの方は貴弥に譲るわ……」 せめて当たり障りのないのにしてくれればいいのに美保ばあちゃんは歳に似合わず先鋭的だ。 貴弥は渡されたチョコミルクカキ氷を受け取ると無表情にたんたんと食べる。 「美保、あれって美味しいの?」 貴弥が茶色の怪しげな物体を消費していくサマを見て店の入り口で暇そうにしている美保に声を掛ける。 「う〜ん、チョコってもカカオパウダーを練乳に混ぜてる感じだからねえ。 ほら、アイスにもチョコ味ってあるじゃない。 っても、あれともぜんぜん違うけど。 まあどんだけ説明しても分からないと思うからそこの彼から一口貰ってみなよ」 そう言われてチョコバー風のアイスがあるのを思い出し覚悟を決めて貴弥の器から一口すくう。 瞬間甘ったるい練乳と苦いビターチョコの最悪なハーモニーが口内を駆け巡った。 あっさりとした氷が個々の差異を強調して譲らない。 これは、今年最悪級…… 美保が笑いながら持ってきた牛乳を飲み干してやっと一息つく。 「な、すごいっしょ。 そんなのちょっと考えれば分かりそうなものだしあたいだって今日のはさすがにまずいって注意したげてんのよ。 それなのに淡い期待を抱いて注文しちゃ後悔するやつが後を立たないって代物なのさ。 さっきも高校生グループが罰ゲームに一つ買ってったとこ。 そんなカキ氷を淡々と食べれるやつなんてのが居るとは。 貴弥っちってばさすが宮家さ」 宮家の凄さってそんな所にあったのか…… っていうかさ、代物なんて言葉を使わなくてはいけない時点でそんな商品を一日だけとはいえ売っておくのはいけないことの気がする。 「貴弥! こんなの食べなくてもいいのよ。 美保、さすがにこれは返品させてもらうからね」 私が勢い込んでそう言うが、美保が気まずそうに 「あたいもねぇ、これを売るのにゃ多少抵抗はあるの。 だから面倒起こしそうな相手にゃ事前にちゃんと断ってるくらいだし。 でも、さすがに完食されちった後じゃちょっとねえ……」 そう言ってすまなそうというよりは面白そうに貴弥を見る。 釣られて私も見ると、空っぽの容器を持つ貴弥。 「って、貴弥こんなの全部食べるなんて正気?」 「そう言われても、チョコミルクってそこまでダメかなあ。 馴れてくるとほろ苦さと練乳の甘さの絶妙なバランスも悪くないかななんて」 ちなみにこの、説明だけ聞くとおいしそうに思えてくるかもしれないモノの実態は私が吐き掛けるほどのモノだったといっておく。 チョコミルクでも板チョコでもなく、粉カカオと練乳なのだ。 「奈美ちゃんもさ、人のことばかり心配してると自分のが溶けちゃうよ」 完全にジュース化まではしていなかったが少し溶け始めている私のを指差す貴弥。 夏の暑さは容赦が無い。 そりゃ、せっかく買ってもらったんだから私だって食べたいわよ! 「そうそう、どうせ貴弥っちのおごりなんだから気にしなさんな」 それに返事はせずゆずザラメをすくうと口へ運ぶ。 私の苛立ちをよそに甘酸っぱい味は口の中へと広まっていった。 ・ ・ ・ 「で、花火はどうすんだい?」 ゆずの方は当たりだったみたいでその甘さと冷たさが心地良い。 「花火? あれ、今日だっけ」 確かに日付を思い出すと今日。 「あんたねえ。 こっちゃ朝からずっと誰と行くのかとかからかわれ続けてるってのに。 同じ看板娘だってのにこの自覚の無さは何?」 神社と駅前商店の娘じゃそりゃ差も出る。 「夏だイベントだ!ったってここじゃ祭りの他にはこの花火くらいしかないってのにこの子は。 あ、そうそう調子はどうよ?」 突然また話題を変える。 こういう急な会話にはちょっとついていけない。 「調子? 何が?」 「奈美、あんたねえ。 このタイミングで調子といったら祭りに決まってんじゃないさ。 奈美ったら今まででも十分かあいかったけど最近は女として見ても楽しめるようになってきたって。 特に熟れる前の青い果実が好きだという方々からはご好評さね。 あたいが勝ってんのはタッパと胸だけだとさ」 「ああ、マツリのことね」 胸勝ってりゃそれで良いだろと内心思いつつ応える。 「イノリは順調よ、昔と違ってあまり疲れなくなったし。 大人になって持久力付いたのはホント見たいね。 舞は見てのお楽しみ。 っと言ってもここ数年どんなに練習してもあんま代わり映えしないのよねー。 それで、果実云々やらどっちが上とか言うその下馬評はいったいどこから聞いてきたのよ?」 小学生の頃からこっち舞い続けてきた私。 ちっこいのが一人で可愛らしいってのばかり聞かされてて、女の子としてみてくれているというのは恥ずかしい反面、少し嬉しくもある。 「漁師会の会合にお酒届けに行った時。 ちょうど祭りの話で盛り上がっててさ。 ちっちゃい頃もよかったけどこの頃は年々楽しみになってくるって。 で、あたいが来たんで『看板娘対決、おじさん的に好みはどっち!』が始まっちゃって。 ちょうどお清めに来てた奈美んとこのおじさんはあたいのお尻褒めてたね」 あの親父…… 「で、結論。 タッパと胸は私が勝ち。 お尻はこの年なら小さいのも良いじゃないかという話になって奈美優勢だったんだけど奈美おじさんの力説も合って引き分け。 でも総合でどっちが良いかってったら全員で奈美に票入れやがんの! あたいは可愛げがないんだとさ」 まあ、そんなこと言いながら豪快に笑ってちゃしかたないかもしれない。 とはいえ実際は美保のことからかってるだけで美穂派も結構居るはず。 じゃなきゃ駅前で便利とはいえやっぱスーパーより割高なはずのこの店の売り上げの説明がつかない。 でも、 「胸とかもやっぱ見られてるんだ」 ちょっと不快感も持ってしまった私に 「奈美ちゃんは大丈夫だよ。 夏服ならともかく、着物なんか着たらまだまだ分からないから」 慰めてくれる貴弥。 ワンピースの胸元をちらりと見てくれたお礼にとりあえず殴っておく。 その真っ白い布地から除く肌は贔屓目に見てもまだ魅力的というより健康的。 「でもざますよ。 胸だって去年と比べればきちんと成長してんし、顔もなんとなく女の子らしくなってきたなぁって思いません、奥様? ほら冬はともかく今みたいなワンピースなら胸だってちゃんと、ね」 妙な言葉遣いで堂々とそんなことを貴弥に聞いてくる美保。 「奈美ちゃんが可愛いなんて、それは当然のことじゃない。 少なくとも僕にとってはね。 なんせ奈美ちゃんが小五の時にはもう同居禁止を言い渡されてるんだから」 胸を張るな貴弥。 「まさかロリ……」 美保が小五という言葉だけに反応する。 「ってそん時は貴弥だってまだ小六だかんね!」 でも、そうなのよね。 たしかあの時はマツリの前日に貴也の様子がおかしくなって。 で、その次の年から貴弥は海沿いの旅館に移っちゃってて。 何があったんだっけ? 「奈美、どうしたのぼうっとしちゃって」 呼ばれてはっとする。 昔のことだもん思い出せないのもしょうがない。 でも、でもさ。 忘れたんじゃなくて。 何かが有ったような無かったような、それすら曖昧な微妙な感覚…… カキ氷を食べて花火の約束を済ませると美保と別れてそのまま貴弥と家まで向かう。 家は神社の社務所の奥。 駐輪場に自転車を置き一の鳥居をくぐると入るとむせ返るような緑の香り。 うちは平地の無駄遣いといわれそうなほどの森に包まれている。 これでも昔の半分以下らしいけど。 杜(モリ)の社(ヤシロ)。 「まったく、あの者はいつでも元気じゃのう」 あの者とは美保のことだろうけど、まったく。自分のことは差し置いて。 山を下りてからずっと黙っていた香野が杜に入った途端待ちかねたかのようにそう言ってきた。 昔は場所に関係なく喋り捲ってきてたけど、そこはそれ。 徹底的に無視し続けてきちんと躾けた。 だって、だよ。 これでも香野はきちんと幽霊してて、私と貴弥以外には見えないのだ。 つまり、香野と話してるところを万一誰かに見つかったら10代にして私は何も無いとこ向かって話しかけてる人の仲間入り。 じゃあここではそういう危険は無いのかって。 山とか杜の中だとなんか感覚が鋭くなっちゃうのよね、近くに居る存在は意識しないでも視えちゃう。 今居るのは香野と貴弥だけ。 別のとこに住んでるはずの貴弥が一緒にうちに帰ってる理由? 貴弥は私の家庭教師だから。 当然無償。 帝都の優秀な高校生の有効活用法と言ったらこれっきゃない! 言ってきたのは貴弥の親。 建前は迷惑を掛けてるかららしいけど、貴也がどんな迷惑をうちに掛けてるのかは聞いてみたいとこ。 ま、うちの親は大歓迎だし私も貴弥と居る時の空気は好きだ、から勉強もはかどる気がする。 実際貴弥の解説は貴弥の頭の中で出来上がっている解法の流れみたいなのを私の中でも再現させようとする。 結果、問題とは関係ない脇道に逸れることも多いけどおかげで一度教わったことはおいそれとは忘れない。 お礼はお母さんの手作りご飯。 旅館に泊まってるんだから必要ないと思うけど、一人で食べるのは寂しいはずというお母さんの言い分も一理あるので食べていってもらってる。 要するに貴弥が私の家に居るのは建前合戦の結果。 まあ今日は花火があるから終わったらご飯は食べずそのまま海辺まで行くんだけど…… 「奈美、聞いておるのか? まったく毎日毎日、かきごおりを食べられず話も出来ないワシの身にもなってみるが良い」 ちなみに香野がこうやって活動的なのは休み入ってからマツリまでの一月だけ。 それ以外は眠いんだそうで本堂の御神体に戻って寝てる。 とはいえ、週末ごとに起き出しては私の邪魔をするのだけれど。 そして夏になると寝るのは夜だけになる。 カタチは人形のをちゃんと与えたのに…… 活動時期も藁蛇と一致してる。 やっぱなんだかんだ言ってうちの関係者である線も考えたほうが良いのかもしれない。 「まあまあ、奈美ちゃんにとってはそれが唯一の休息なんだから。 神社のお手伝いして祈祷に行って帰ったらお勉強が待ってるんだよ。 友達との時間ぐらい多めに見てあげようよ」 貴弥がそう諭そすと香野は逆に激昂する。 お昼間の私と遊ぶ時間を貴弥に取られたと思っている香野にそんな正論を…… こいつは子供の相手とか絶対苦手だわ。 「ふんっ、おぬしはおとついも奈美と遊んでおったからの。 祈祷もせずに木都なぞへ遊びに行きおって。 どうせワシなぞどうだって良いのであろ」 確かに木都へは行った。 お買い物もしたし、貴弥にたかった。 当然両手から溢れるほどの荷物持ちもさせた、かったけどそこまで買うものはなかった。 今着てるワンピースは実はそのとき買ってもらったもの。 だってさ、私中座で貴弥前座。なのに私だけボランティアっておかしいじゃない。 っと、これは香野の話には関係ないか。 香野は霊とはいえ話したり構ってくれる相手を欲している。 香野が私と貴弥以外には見えないのは知ってるし、日本人形のカタチにミを移したとはいっても神阿簾の町から遠く離れることは出来ないのも知ってる。 ……けどよ。 私が毎日毎日香野のおもりしてあげなきゃいけないって理屈はないと思う。 神社の手伝いして山の方で祈祷して家帰ったら勉強して、その合間に構ってあげてるだけでも私は十分頑張ってるはずなんだから。 「へー、そういうこというんだ。 じゃあ、ホントに構ってあげなくてもいいんだ? 良いのかな〜、明日は朝から美保と遊んじゃおうかなっと」 聞いて香野は慌てる。 「な、なんじゃと! 貴様、社に使える身でありながらこのワシを無視しようなどとは不届き千万なるぞ。 そもそもぬしらの一族はこの社の管理が仕事なのであろう? ならワシの相手をするのも仕事なのじゃ」 何やら物々しい言い方から始まった香野の説得だが、なっ、なっ、と言いながら頭の上でくるくる飛び回ってのお願いに変わる。 はじめはうっとおしいと思ったけど見てるとなんかちっこくてかわいいのよね。 「香野、それ良い!」 思わず抱きしめようとして、そうするとハエのように可愛らしい香野の動きが見えないのに気付く。 でもまあいいかと思ってぎゅっと抱きしめてやる。 「やめい、何をするか。 ワシを子ども扱いするな」 騒ぐ香野を更にぎゅっと抱きしめてやるとついに香野は何も反応しなくなった。 「あれ?」 気絶してる。 そんなに強く締めたかな。 「奈美ちゃん、それはさすがにやめたほうが…… そんなに強く包み込んじゃうと。 奈美ちゃんに害意が無いから気絶程度で済んでるけど、普通は中てられて下手すると存在の持続の危機に陥っちゃうんだから」 「存在の持続?」 「香野を構成してる力が奈美ちゃんのより強い力に吸収されるか中和されるか。 どちらにしろ香野が消えちゃう」 「言ってること良く分からないけど、つまりは日本人形のカタチを無くしちゃうってこと? でも、私がカタチをあげるまでは香野ってご神体の中で寝てたんだよ。 持続できないってのはまた眠っちゃうってこと?」 「違うよ、香野はご神体というカタチに閉じ込められていたんだ。 そして、霊としての有り様も。 それを奈美ちゃんは無意識で解放して新たなカタチに吹き込んだんだ。 問題は香野って言う霊を構成しているミの部分だよ」 「ふ〜ん…… 私のモノにしたいって言う思いが無意識に吸収しちゃおうとするのかなぁ」 無意識に、そうなのよね。 なんとなく私に神代の力があるのは分かる。 けど、知識は一般人。 力の制御なんかまったく出来ない。 下手とか言うよりそういうのを気にしたことがないのだ。 だから気分の上下で力を放出していたりする、らしい。 それすら自分では理解できちゃいないんだけどさ。 私にとって力の自覚って毎日の祈祷と香野のカタ移しをした時だけなのよね。 あの時も一応は必死だったけれど行為自体は無意識だったし。 香野を右手につまみながら石の参堂をしばらく行くと二の鳥居がありその先に本殿が見える。 その前脇にあるのが社務所、渡り廊下で家とも繋がっている。 もちろんそんな参堂以外にも直接本殿近くまで乗り入れる車道もある。 私を含めてみんなあまり好きじゃないから必要な時以外誰も使わないけど。 |
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