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すさのを

第一章


作:夢希

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え、私に すさのをの話が聞きたい?
別に構いませんけれど私は姉君と違って傍観者でしたから詳しいことまでは分かりませんよ。
そうですね、初めにすさのをが泣いていたのは知っていますか?
ええ、成長してひげが長くなってもまだ泣き続けていたらしいですね。
本来他のところへ行くはずだった水がそちらに取られたおかげでですね、青山は枯山になってしまいましたし、河海なんかもすっかり乾いてしまいました。
悪神共もさざなみのようにと言うよりは小蠅が群がったかのような音を立てながら満ちてきましたし、全ての物の怪達も生じきちてしまいましたし、人間たちは さぞ かし大変だったでしょうねえ。
それでやっと父君もすさのをのことに気づかれたようでしてね、
「なんでお前は支配しろと言ったとこにも行かずにこんなとこで泣いてばかりいるんだ」
「俺は母上の居られる根の国の堅州国に参りたいと思っているだけなんだ。
母上を慕う気持ちが溢れると何でか泣けてきて涙がさ」
これを『自分を殺して黄泉津国へ行かせるまで泣き続けるぞ』という脅しにでも取ってしまったのでしょうかねえ。
ただでさえ母君とのことは父君にとっては触れられたくない過去のトップですから。
当然これには父君も大いにお怒りになられて、
「良くわかった、お前は僕よりもいざなみの方が良いというんだね。
では今後お前は絶対にこの国には住むなよ」
そう仰られると即座にすさのをを葦原の中津国より徹底的に追い払われました。
まあその間、父君自身は淡路島の多賀にずっと座っておられてましたけれど。

 そんなわけですさのをは中津国より追い払われたわけですが。
そこでまっすぐ行かないのがすさのをのすさのをたるゆえん。
「それじゃあ姉君に別れを申し上げてから行こうか」
などと言って力の抑制法も覚えぬままに高天原へ向かおうとするから山河鳴動、国土も大地震並に揺れて大変な騒ぎでした。
しかもそれを見た姉上がすっかり驚いてしまって
「ほう、あのすさのをがやっと動き出したようだな。
だがこうして力を解放したままで登ってくるからにはどうせ良い心に根ざしたものではなかろう。
ひょっとしてすさのをの分際で我が国を奪おうとでも思っておるのか?」
と言う具合にすさのをが攻めてきたと早合点してしまってすぐに御髪を解くと男性風の角髪に巻き直し、左右の角髪と髪飾り、さらには左右の御手にはそれぞれ に八尺の勾玉が五百も連なったみすだる珠を巻き持ち、その背中にはなんと千本入りの弓入れ、脇腹にも五百本入りの弓入れ。
さらに竹鞆を帯び弓腹の構えにて。
って、ちゃんと聞いてます? ここ盛り上がるところなんですよ?
……そうして、天の前庭にて向腿の踏み込みで淡雪を勢い良く蹴散らし、威勢の良い雄たけびを上げ地を踏みしめながら待ち受け、やって来たすさのをを問い質 した のです。
「この高天原へと上ってきたのは何ゆえか?」
けれど、すさのをにしてみれば元から挨拶に来ただけのつもりだったではないですか。
「俺にやましい心なんか無いって。
ただ父上が何でいつまでも泣いてんのかって聞くから、俺は母上の国に行きたくて泣いてるって答えたら父上が怒っちまってよ。
お前はもうこの国には住むなって滅茶苦茶に追い払うから俺もすぐに母上の国に行こうって思ったけどそしたらもう姉上とは会えなくなるわけじゃん。
お別れの挨拶に来ただけで他になんも考えちゃいないよ」
「では、お前の心が清明(清く明らか)であることはどうやって知れよう」
まあ姉上の立場としては慎重にならざるを得ないってことも分かりますけど、こんな態度で来られてはそりゃすさのをでなくとも気を悪くします。
私? わざわざそんな危険を冒しに姉上のもとへ行こうなどとは考えたこともありませんねえ。
すさのをの返事は次のような感じでした、
「お互いに誓約(ウケヒ)して子供作れば分かるさ」

 ま、そういったわけで天の八洲川を間に誓約をしたわけです。
その時に、姉上がまずすさのをの帯びていた剣を貰ってそれを三つに絶って珠の音もユランとばかりに天の真名井に漱いで後に、ガジリガジリと噛んで吐き捨て たところ息吹の狭霧からうまれた神が宗像(ムナカタ)の三媛神。
一方のすさのをも姉上の左の角髪に巻かれた五百連なりの八尺の勾玉を貰い受けて珠の音もユランとばかりに天の真名井に漱いで後に、ガジリガジリと噛んで吐 き捨てたところ息吹の狭霧からうまれた神は正勝吾勝々速日天之押穂耳。
おや、知りませんか?
天孫爾爾芸(ニニギ)の父、神武天皇からながと続く皇家の祖ですよ。
同じようにして他にも四連の勾玉から四柱、産まれたのは合わせて五柱の男神。


「あとからうまれたこの五柱の男神は物実(モノザネ)が私のものであるから当然私の子である。
先にうまれた三柱の女神は物実がお前のものであるから当然お前の子となるな」
それを聞いたすさのをは勝ち誇ってしまいます。
「やっぱり俺の心は清明だ。
俺の生んだ子はみなおとなしそうな手弱女(タヲヤメ)だったろ?
なら誓約からは当然そうなるな」
そう言うと勝利に酔って姉上の営田の畔は壊してその溝を埋め、お供えを受ける場*1にて糞をしまくりました。
これでも一応兄ですからね、自分を疑った姉への反抗だとしても恥ずかしい限りです。
けれど、そこまでやられても姉上は起こらず逆に
「糞をしたのはお酒に酔って仕方がなくでしょう。
畔を壊したのもきっと平たい地が欲しかったのでしょう」
そう詔り直して許したけれども、そんなことしたら余計にすさのをの悪行は止めずに続いて(転)いました。
*1:違うかもしれません、大体そんな感じ。

 そうしてついに『姉上の機織(ハタオリ)場の屋根に穴を開けてそこから皮を剥いだ馬を落としたところ姉上が驚いてひで陰部を突いて怪我をされてしまわれ た。そのことを死ぬほど恥じた姉上は天岩屋戸に隠れてしまわれた』という事態にまでなってしまいました。*2
すさのをが皮を剥いだ馬を穴から入れたら、それで姉上は陰部を怪我して恥じ入って隠れる?
焦っておられたのは分かりますけど我が姉にして天を治める神なのでしたらもう少しスマートにぼかして欲しいものですね。
えぇ、そりゃ混乱したとは思いますし同情もしますけど……
*2:古事記と日本書紀の良いとこ取りです。正しい内容はそれぞれの原典に当たってください。


え、私ですか?
どうもしませんでしたよ。
確かにあの頃は姉上が隠れてしまわれたおかげで高天原も中つ国も毎日が夜でしたし、悪神共もさざなみのようにと言うよりは小蠅が群がったかのような音を立 てながら満ちてくるし、全ての物 の怪達は生じきてしまったりと、おかげでかなり忙しくはなりましたけど。
私は夜統べ裏を支配する神、ただの傍観者ですから。


 その後のあれですか。
あれは見ものでしたね。
高天原の方たちは根が真面目ですから本気で何が一番面白いのか考え合いました。
それも天の安の河原に一柱とも欠けることなく集まっただけではなく、高御むすび様の御子である思金(オモヒカネ)の神様にまで来てもらって思案していただ いたのですよ。
その話し合いの結果、常世の長鳴鳥を集めて鳴かせ、天の安河の硬石・天の金山の鉄(クロガネ)を取り、鍛冶職人の天津麻羅(天上界の片目神)を求め出だ し、鏡職人の伊斯許理度女(イシコリドメ)には鏡を作らせ、玉祖(タマノヤ)の命には五百連なりの八尺の勾玉を作らせました。また、天の児屋の命と布刀 玉の命を召して天の香山(カグヤマ)の真男鹿の肩をすっかり抜き取り、天の香山の天の桜を取って占の準備をさせ、天の香山に茂る真賢木(サカキ)を根っ こから全て取って上の枝には五百連なりの八尺の勾玉を付け、さらに中の枝には八尺(ヤアタ)の鏡を掛け、下の枝には白丹寸手(ニキテ/和幣)・青丹寸手を 垂らさせました。
そして布刀玉の命が立派な御幣を取り持ち、天の児屋の命は立派な祝詞を言祝き(コトホキ)、天の手力男の神は岩屋戸の陰に隠れ立ち、最後に天の宇受売(ウ ズメ)の命が天の香山の日蔭蔓をたすきに掛け、天の真折蔓をかんざしとして天の香久山の篠葉を手草に結って準備は完了です。

 宇受売は天の岩屋戸の前に桶を伏せると踏んで大きな音を響かせ乳房を掻き出して裳紐を女陰に垂らしながら神懸かりました。
それを見て高天原は鳴動し、八百万の神々は笑いに笑います。
さすがの姉上も不思議に思われ天の岩屋戸を細めに開いて内よりそっと訪ねます。
「私がこうして隠れているのだから天の原は当然暗いのであろう?
葦原の中つ国にしてもすっかり闇に覆われているに違いないのにどういったわけで天の宇受売は神楽を踊り、八百万の神々までもがみな笑っておるのだ?」
それに天の宇受売は答えて言います。
「あなた様以上に尊い神様が我々の元に坐しておられるのです。
どうして神楽を舞い、笑いに笑ってこの歓喜を表さずにおられましょう」
天の宇受売は他の方々が思っておられる以上に機転に富んで思ったことをはっきり言われる方ですよ。
『喜ばないわけには参りましょうか。これであなた様のようなわがままな気分屋に高天原が右往左往させられることはなくなったのですから』
さすがに姉上じゃなければ通じたのでしょうけどね。
でもまぁ、相手は姉上ですから。
天の宇受売にそう言われて素直に外を除き見れば児屋と布刀玉がその間にさっと八尺の鏡を指し出します。
すると姉上はその鏡に映る自分の姿を宇受売の言う尊い神だと思い込んでしまって、い よいよ不思議なことがあるものだなぁなどとのん気に少しずつ岩屋戸より出て鏡を見ようとするのですよね。

 で、その瞬間に天の手力男に岩屋戸の外へと引き出され一方の布刀玉に岩屋戸の入り口へ注連縄を張られて、それで全て終わりですよ。
「これより内にはお戻りになられますな」
まあ、そういったわけで姉君は出てこられて高天原も葦原の中つ国も元のように照り明るくなったというわけです。

 姉君についてはそんな感じですね。
すさのをについては八百万の神々がまた幼稚なこと考えて、千位の置戸(贖罪のための貢物)を負わせて髭と手足の爪を切って罪を祓って高天原から徹底的に追 い払いました。


 また、高天原でのすさのをの暴れた話としては次のような話も残っています。*2
ある時、すさのをは空腹を覚えて大食津姫(オオゲツヒメ)に食物を要求しました。
そこで大食津姫はいつもどおりに鼻や口そして尻より様々な食材を取り出してそれを様々に調理してすさのをに献上したのですが、その際すさのをは食材の取り 出す様 子を隠れ見ていたものですから汚い穢れたものを渡すものであることよとすぐに大食津姫を殺してしまいました。
そうして殺された大食津姫の身から、頭には蚕が生まれ、両目には稲米が、両耳には粟が、さらに鼻から小豆、女陰から麦、尻から大豆が生じました。
その様子を見ていた神むすびの御祖(ミオヤ)はこれらを取らせて種となされましたとさ。
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