元日の海

ganjituno-umi
作:夢希
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 私は海が好きだ。
汀という名前のせいかもしれない。
小学生の頃、初めて告白した場所も海だった。
結果は……
散々だったけれど。

 お正月の海。
いつもと同じ海のくせに、何か新しい物がたくさん詰まっているようなこの海が私は特に好きだ。
ここの砂浜は釣りのできる堤防が両端にあり夏には海水浴もできる。
けれど規模が小さい上、近くに観光用の大きなのもあるためここに来るのは地元の人間や常連さんがほとんど。
それでも夏場はまだそれなりに人が来る。けど、それも盆までのこと。
他の季節でここに来るのは私の他は釣り師のおじさんや散歩に来る人くらい。
そして特に人の少ない冬場に、好んで私はよくここへ来る。
2つある堤防で釣れ具合が違うのか釣り師のおじさん達は片側に集まっているから私はその逆側に居ればいい。
堤防の端で足を投げ、ただぼーっと海を見る。
海と空以外何もないがたまに近くの漁船やタンカーが沖を通る。

 おにぎり数個とポットに熱いお茶。
それだけを持ちここに来て日の出を見、夕方山に日が落ちるまでぼーっとする。
最近の元日の私の日課。
初日の出を拝みに来る人も居るけれど、日が完全に昇ってしまえば『あぁ良かった』とか『寒い寒い』とか言いながら帰っていく。
今日はお正月なせいか釣り師のおじさん達も一人も居ない。

 周囲を山と海とに囲まれた狭い平地。
そこで漁業か農業、または小さな工場を営みながら細々と暮らすのがここの人間の定め。
ここに住むものにそれ以外の生活など考えられないはずだった。

『一人だけ許せない人が居るとしたら誰?』
海を見ながら幾度も考える。
そして私の答えはいつも決まっている。
海に来るようになった小学生の最後から……
あいつだ。
今はもうお互い大学生。
今年の春にあいつは国一番の大学、帝都大に行ったと風の噂に聞いた。
対して私は田舎の大学生。
あいつから連絡があったのは今年の夏。
数えて見たら6年半ぶり。
どうせ帰省中の暇つぶし位のつもりで掛けてきたのだろう。
中学から帝都に出ていたあいつは、ここには小学生の頃の友人しか居ないから。
母に呼ばれて受話器を渡され、相手の名前を告げられた私は咄嗟に電話を切っていた。
ふざけるな!
6年以上放っておいて今更……
それ以降連絡は無い。
どうせまた帝都に戻って楽しくやっているのだろう。
 けれど……
けれど今日位はこの町に帰っているかもしれない。
 だけど、それがなんだというのだ。
別に会うわけでもない。

 けれど……
近くにいる。
そう思うだけでなんだか気持ちがほんわかした。
おかしい、私はあいつが嫌いなはず。
世界で一番憎んでいるんだから。
近くにいるくらいでなんでほんわかしてるんだ?

 7年前の元日に、 まだ小学生だった私は、
あいつと一緒にこの海にいた。
2人で初詣でを終え、夕焼けの海に来た。
堤防の先でお互いの背により掛かるようにして、あいつは山に日が沈むのを、私は海を、見ていた。
日が沈みきった時、私は密かにそう決めていた。
そして日の沈んだ時、私は海を見ながら数年来の親友の背中に告白した。
親友から恋人になるはずだった。
なれるはずだった。

 だけど、私の背中に聞こえてきたのは『ごめん』という返事と走っていく足音だけで。
でも、あいつが私を好きでないはずは無くって。
あいつが私を放って行くわけも無くって。
結局私は寒くて我慢出来なくなるまで、夜中の8時まで、一人で座って海を見ていた。
待ってさえいれば、いつかは背中から暖かい声の掛かってくることを期待して。
そしてそれ以降、私は暇さえあればここで海を見ている女になった。
待ってさえいれば、いつかは背中から……

「よ、久しぶりだな」

 誰かに突然声を掛けられたのはそんな事を考えていたときだった。
同じ年頃の男子の声。
だけど、訛りを全く感じさせないその声の主に覚えは無い。
慌てて後ろを振り向くが、目の前にいるのは予想通り全く見覚えの無い青年。
深緑のコートを羽織り、そのフードの端から覗く髪の毛は少しだけ茶色く染められている。
体型はすらりとして顔は整っている。
都会の人間、だけどなんだか懐かしい。
そして、久しぶりという挨拶。
あいつだ。
晶以外考えられない。
でも、晶は私より背が低かった。
こんな清ました笑いは出来なかった。
絶対にこんな風にはしゃべれなかった。
「今更、何しに来たのよ」
それでも、こんな言葉が口を付いて出てしまうのは晶だと信じてしまっている証拠。
「私がここに居るのは誰から?」
「誰からも。
な、ぜ、か今年は俺の親戚だという奴が大勢うちに来てな。
20にもなって無いのに酒は勧められるわなんだわで逃げ出してきた。
でも俺もまさかこんな時期に俺以外が来てるとは思わなかったよ。
ひょっとしたら正月の海、なんていう楽しげな言葉にだまされてカップルが来るかも、とは思ったけどな。
知ってるか?
そんな困った2人組みが7年前には確かに居たんだぜ」
そこで言葉を止めると、
「よっ、と」
そう声に出して私の隣に座る。
「何年ぶりかわかんねえけど良いとこだよな、ここ」
「物好きねえ」
「お前に言われたかねえって。
ん、よく考えるとここもあの日以来か。
今日でちょうど7年だな。
ほい、酒かっさらってきたから一杯どうだ?
コップが紙コップなのは、まあ我慢してくれ」
「まだ20になって無いからお酒は飲まないんじゃなかった?」
「さっぱり記憶にも残ってねえおっさん連中に無理やり勧められた酒なんざ旨くねえって意味さ」
「あら、私はまだ記憶に残ってたの?
光栄だわ」
「言うねえ。
それより、どうだ?
容器こそミネラルウォーターのペットだが中身は立派な千寿様だぜ」
「私は万寿の方が」
「おっと、それ以上は何も言ってはくれるな」
「……
いただくわ」
「ホイッ、こっちは柿ピー。
これも新潟がどうとか言ってたな」
黙ってそれも受け取る。
一袋分の柿ピー、量はかなりある。

「汀、最近どうしてる」
「何も。
平凡に中学出て高校出て、誰かさんのとこには及びもつかない近くの大学入って。
そこで毎日ぼーっとしてる。
そっちこそどう?
都会の大学生活は楽しそうね」
「俺は、そうでもないな。
司法試験ってのを受けようと思っててな。
バイトとそのための勉強で手一杯だ。
大学に居る間に受かろうと思ったら俺にはサークル入ってる余裕なんざないね」
「呆れた。大学入ってもまだ勉強してるんだ」
「……大学は勉強するとこだぞ?」
「……、冗談でしょ」

 とりとめの無い会話が続く。
懐かしい。
あの日の事など無かったかのように話すのまで。
あの日、以降と全て同じ。
結局私にとって晶は嫌うことも憎むことも出来ない相手。
何をされても……
涙が出てきた。
「どうした?」
晶が心配したように覗きこんでくる。
慌てて涙をぬぐう。
「なんでもないわ。
懐かしいな、と思ったら涙が出ただけ。
心配しないで。
それに……
晶に私を心配する権利なんかないわよ」
息を飲む音がはっきりと聞こえた。
「そう、だな。
俺は怒られず、無視もされずに話を出来るだけで感謝しないといけないんだったな。
最低なやつだからな」
そして、晶は言葉をつむぐ。

「悪かったな」

 今日はこのまま別れられると思ってた。
穏やかに、過去に触れることもなく。
でも、この一言が……
「何が、何が『悪かった』のよ!」
来てしまっては抑えられない。
「私に無断で帝都の学校へ行ったことが?
あの日、私を振ったことが?
それとも、それともあの日以降もそのままの関係を続けさせられたことが?
悪かったわよ。
全部悪かったわよ!
あんたが居なくなってからずっと、私がどんな思いでいたと思ってるの」
堰を切る7年分の想い。
「ごめんな」
目の前の男は私がどんな無茶を言っても全て受け入れ、包み込もう、そんな表情をしていた。

 チガウ……

 こんなのは晶じゃない。
こんな優しい大人の顔なんて……

 大人? そう。
「晶、あんた成長したんだ。
私がただ海を見てボーッとして嫌な思い出から逃げ続けた7年間。
帝都の学校で難しい勉強をして帝都大へ進んで。
うらやましい。
それとも、単に私が不甲斐ないだけかしら?」
「違う!」
突然の大声。
「汀は絶対に不甲斐なくなんかない。
それに、俺はホントは大人になんて……
汀と一緒にここでゆっくりと大きくなって行ければ一番よかったのに」
「な、ならどうして!」
あんなことを……
「小学3年の時、親父が破産しかけた」
晶がポツリ、と話し始める。
「小さいこの町のことだ、噂で多少は知ってるだろ。
今親戚だとか行って、来ている奴等は何一つ助けてくれなくて。
それでも両親はそこから這いずり上がって俺が6年になる頃には逆に俺が帝都へ行ける程度までにはお金も蓄えた。
もちろん、奨学生と言う条件があってこそだがな」
「帝都の学校に行くだけでも大変なのに……
まさか奨学生待遇だったとはね」
「死ぬ気で勉強したさ。
親父は自分にもうちょっと学があればといつも言ってた。
そして俺には自分の様にはならないように、とも。
ま、見ての通りさ。
親戚連中なんざ帝都大に受かった途端、手の平返して親戚であることを誇示して来る」
「そう、そっちも必死だったのね」
「けれど、そんなの言い訳にしかならないよな。
大切な女の子が勇気を出してくれたのに、俺はそれを無下にしちまったんだから」
私の告白のこと?
「あ、あれは別に。
中学入っても今のままじゃ、いつか晶を取られちゃうかもよって。
だからその前にって、もこと奈央が。
だから……
要するに、ちょっとした出来心ってやつなのよ。
忘れなさい!」
「絶対に忘れない。
俺の思い出の中じゃ最高級のやつだからな。
進むことしか出来なくなった俺だけどお前との過去を思い出すだけでまだ頑張ろうって思えた」
7年前の告白への返事みたいなもの。
でも、思い出、過去。
どんなに暖かいものでもこいつにとって私は昔のものなんだ。
そして帝都に帰れば帝都での新しい生活がある。
きっと彼女だって。
そして、結局過去である私は……

「今度ここで会いたい時にはどうしたら良い?」

そんなことを考えてると、晶がそう聞いてきた。
今度、会う?
これが最後というわけではない?
素直に嬉しい。
「はい、これ」
それでも強引に怒ったような口調でそう言うと携帯を取り出し番号を見せる。
そのまま寝転がると空が見えた。
今から言うことを相手の顔を見ながら言い切る自信は無い。
「良い?
こっちに帰ってきてこの海を見たいと思った時。
その時は連絡しなさい。
絶対にそれだけよ。
あんたみたいな都会の人間に親しくされてもこっちは迷惑なだけなんだか……
こ、こっち見ないで!」
きっと顔は真っ赤になってる。
晶が笑っているのを感じる。
「センキュ。
それなら、これからは毎月来る。
いや、ひょっとしたら毎週かもな。
やっと出来た古くて新しい友人に会えるようにな」
新しい、友人?

 そうね。
古い関係が壊れたのなら新しく作り直せばいい。
それだけのこと。
私もいつまでも留まっているわけにも行かない、進まないと。
まずは、この新しい友人の勉強馬鹿っぷりをどうにかしないとね。

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