早朝。 まだ朝日の昇る前の町を自転車で駆け抜ける。 雲の合間に段々としらじんでいく空、人を含む生きモノ達が起き出す気配、長袖でも感じる涼しい風。 全てが心地よい。 そうじゃなくっちゃ。 なんたってまだ五時にもなっていないのだから。 家には散歩してくると書き置きをしてある。 踏切を渡りしばらく進むと野菜畑が一面に広がる。 平地から傾斜地へと変わる境界。 畑の中の緩い坂道を進む頃にはすっかり身体は温まり、邪魔になった長袖を脱ぐ。 後ろを振り向くと赤い太陽が雲に遮られて鈍く不気味に輝いていた。 学校へ着く。 そこを境に畑は林へと変わる。 自転車を降りて原生林の山道を登っていく。 いつもの道だが薄い霧が視界を遮り朝露がスニーカーを濡らす。 その先にあるのはご神木、そして藁蛇。 そう、祈りを捧げるのだ。 私独り、貴弥は居ない。 貴弥なんか居なくっても困りはしない。 というかあまり貴弥に会う気がしない。 大丈夫、私一人でも出来るって。 それを実証してみせるため、貴弥を出し抜いて、まだ寝ているはずの時間に、私は祈祷をする。 結局昨日は寝られなかった。 貴也が嫌いなわけじゃない。 不要だなんて思ったこともない。 ただ、甘えず対等な立場に立って貴也を見たかった。 一度離れたところから…… けど、貴也とは既に年10ヶ月近くを離れて暮らしているのだ。 距離だけじゃだめだ、自立しないと。 一人でも全てこなせるようにならないと。 思い立ったのは多分深夜の三時過ぎ。 そのまま寝れない夜を過ごして今に至っている。 広いとは言えない空き地について眼前を見る。ご神木だ。 見慣れたはずのそれは朝の薄霧の中でより壮言さを増し、威嚇するかのような藁蛇が不気味に巻きつく。 神の領域。 本能が引き返せと叫んでいる。 朝霧にたたずむご神木を見ただけで実は完全に怖気づいていた。 突き動かしているのはもはややけくそ気味の惰性のみ。 馴れた動作を行うという安心感が本能を押さえ、いつも来ている場所という虚勢が撤退を拒む。 気が付くと私は祈祷を開始していた。 違和感なら初めからあった。 私の属性を持つ力は周囲に漂うと同時に私から離れていこうとする。 ある領域を保って濃度を徐々に濃くしていくはずのそれが今はスーッと拡散しようとするのだ。 私は祈祷しながら同時に必死で離れていこうとするそれを抑える。 やがて、属性を持つ力自体がいつもとは比較にならない濃度になっていた。 それだけの量を作り出し、拡散を防ぐ。 残念ながら作るのを抑える方法は知らない。 それどころか、どうやって作ってるかすら分からない。 全身から汗が噴き出していた。 朝霧の揺らめきに藁蛇は本物のようにゆらゆら動く。 それでも祈祷は終わらない。 ようやく理解する。 これが前座の役割だったのか。 私の属性を持つ力、未熟な私に代わってその作り出す量を調節し、さらにその場に保ち続ける。 幼い頃に疲れていたのは貴弥がまだ前座として未熟だったせい。 今簡単に出来るのは貴弥が前座として完璧なお陰。 その間私は何も変わっちゃいない。 この力の制御という大変な作業を中座の代わりに行う。 あまりに上手すぎた貴也のお陰で前座の存在意義にすら気付けなかった。 分かるのはもう限界だということ。 これ以上は…… 消耗が激しすぎる。 そこで祈祷を中止しようとし、今度こそ真に愕然とする。 祈祷を、止められない。 中断には一定の規則があるのだがそれを忘れてしまったのだ。 無理もない。 毎日の祈祷と違い、中止の作法は異常時用。 これまで貴弥の前座に護られてそんなものの必要性すら認識していなかった私はそれを本気で覚えようとはしなかった。 そのことを心配していた貴也も無理に教えようとはしなかった。 とにかく力の流出を防ごうと祈祷文を唱えるのだけでも止めようとするがそれすら出来ない。 私の意思に反して口は呪を唄い、身体は文様を描く。 え…… 身体は、文様を? 気付くと、私は立ち上がり舞っていた。 これは、マツリの舞? ただマツリの時の静かな舞とは違ってテンポを数段激しくした情熱的な舞。 今まで舞ったこともないリズムにも関わらず身体は勝手に動く。 心は何故か歓喜に打ち震えている。 止めろという頭の叫びは、届かない。 目の前に見える藁蛇が時々大きく震えるのも、その鎌首を高く持ち上げているのも。 もはや霧のせいでも幻覚でもなかった。 舞う毎に、唄う毎に、身を絞られ力を放ちているのが分かる。 止めようという理性を、逃げ出したいという恐怖を、全てを押さえつけられてただ操られるように舞う。 けれど、心の中は歓喜。 この不自然な喜び、心まで操られている証だろうか? 力はもはや拡散を止めていた。 私ではなく藁蛇を中心に集まり祈祷の完了するのを待つように漂っている。 どの位の時間が経っただろうか。 ようやくの事で祈祷は終わった。 いつものように力が藁蛇へと向かっていく。 いつもと違い意思あるもののように藁蛇がそれを喰らっていく。 このことが凶事であることは確信しつつ、それでも一応の終わりを得たことによる安堵を抱く。 これで操られることは…… そして、藁蛇に纏わり付いていた力が全て吸収され終えた。 もはや本物の蛇と変わらぬ頭身を手に入れた藁蛇が私を舐める様に睨み付ける。 眼が合う。 瞬間、私の体から力が奪われていった。 藁蛇へと流れていく力の流れが分かる。 そう、そうなの。回復したから今度は私を食べるの? その眼を見るな、頭の中で警告が鳴り響くが見せられたようにそれから目を逸らすことが出来ない。 それは白い蛇だった。 白きおろち。 胴は太い枝ほどはありそうな程に。 藁蛇だった頃とは比較にならない長さになってそれがご神木の全体に巻きついている。 超越した神々しさを持つその個体を見て、諦めと達観が私を襲う。 このお方のためになるならこの身など。 社の巫女。なら、私は元よりそのためのモノ。 そして私は全てを捧げようと…… 「渇っ!」 突然の大きな声がぼんやりとした頭に響く。 はっとした私は慌てて蛇を見つめ返す。 蛇に睨まれた蛙状態から窮鼠状態位にはなる。 猫を噛むことはまだ出来ないが、力の流出は多少抑えられた。 「奈美ちゃん、何を!」 再び声が聞こえる。 貴弥だ、貴弥が助けに来てくれたんだ。 後ろを振り向くと予想通り必死の顔の貴弥が居た。 その横には社の本殿で眠りこけているはずの香野も居る。 と、私に向かって来ようとしていた香野の顔に突然驚愕が浮かぶ。 「む、何じゃ、こやつ。 白きおろち。 な、なんじゃ? アタマが……」 次の瞬間、喜びに溢れる。 「おぬし、白蛇(ビャクチ)か、白蛇だな!」 知り合いか。 香野が本当にご神体に居たのならそうかもしれない。 うちの社がこの白蛇を鎮めるためにあったのなら。 なら? なら、この子の役目は? 「白蛇、何をしておるのじゃ? 止めよ。 こやつは奈美、ワシの使いぞ」 ならば何らかの関わりがあって当然。 「おい白蛇よ、聞いておるのか!」 これだけの力を持つ白蛇に香野が対等に話しかけていることに場違いながら笑えてしまう。 「奈美、貴弥、逃げよ! こやつまだ覚醒しきっておらん」 香野が叫ぶと同時に、白蛇は鎌首を大きくもたげると上機嫌にシャーッと威嚇の声を上げる。 「ちっ、寝ぼけおって。 おぬしがそんなではワシが困るのじゃぞ!」 考えこむように鎌首をかしげる白蛇。 だが、どうやらそれは攻撃のための動作だったようでそのまま大きく開けた口が…… 「貴弥よ、奈美を頼んだぞ」 次に香野が取ったのは信じられない行動だった。 白蛇の目の前に赴き、対峙する。 白蛇は視線を香野へと向ける。 力が香野から白蛇へ流れていくのが視えた。 しかしそれも一瞬のことで次の瞬間香野は消えていた。 その隙に私への強制力が弱まり慌てて目を逸らす。 私からの力の流出は完全に止んだのが分かった。 「奈美ちゃん、一旦引くよ。 一級神事、僕等じゃ手に負えない」 貴弥が手招きしているのが見える。 何が起こったのか分からない。 何が起こるのか分からない。 何をすればいいのかも分からない。 けどこの事態を引き起こしたのは間違いなく私だ。 行ける、わけがない…… けど、きっとここでじっとしていてもすぐに手を引きに来てくれるのだろう。 いつものやさしさで何一つ責めずに。 もちろん誰が責めずとも反省であれ後悔であれ、いくらでもしよう。 香野がもう居ないのだから。 力を吸われて以降香野の気配はまったくしない。 『構成してる力がより強い力に吸収されるか中和されるか……』 つい数日前の貴也の言葉が蘇ってくる。 つまりは、そういうことだ。 発作的に私は逃げ出していた。 ここまでのことをしておいて今更顔を合わせられるはずが…… 最期に、と貴弥を見納めると何故か涙が溢れてくる。 そして貴弥が居るのとは逆の方向。 山の奥へと向かう山道へ駆け出していた。 貴弥は当然追ってこようとするがそれを白蛇に遮られる。 白蛇の攻撃性は香野のお陰で多少やわらいではいたが、けして無くなったわけではない。 攻撃的な威嚇の声を上げる白蛇に慌てて距離をとる貴弥。 それを後ろに私は山道を駆けていった。 ・ ・ ・ あれから二時間が過ぎていた。 普段ならやっと境内の掃除を始める頃。 そう、時計を見てみればまだたったの二時間。 それだけの時間で私は道に迷っていた。 完全に。 霧は晴れていたがもはやそこは道なき道。 上にはいつ雨が降ってもおかしくない重い雲。 杉の植えられているということは人の手が入っているということ。 そう考えたのが甘かった。 私みたいな子供が一人でも歩けるハイキング路とは全然違う。 傾斜の激しさだけでももうお手上げなのに、土とも落ち葉ともつかない柔らかい地面のお陰でスニーカーの中はぐしゃぐしゃになり、何回かの転倒によって服は 濡れ、汚れていた。 両手は樹を支えにした時に切れた傷から血が滲んでいる。 かすり傷なんかもはや数える気も起きないほど。 どうすれば元の場所に戻れるのかは分からない。 とにかく山なのだから下に下りていけば畑へ戻れるとは思うが真っ直ぐに下りていくというのは無理な相談だった。 周囲には急な傾斜があり、道とはいえないような道とはいえそれを外れると歩くことすらきついのだ。 そもそも、目の前には別の山が見えているのだ、単純に下に向かったどころで沢があるだけだろう。 いっそ貴弥が追いついてくれればと願うように期待しているがいまだその気配はない。 途中で引き返そうとして道を間違えたのは確実だから仮に貴弥が白蛇をどうにかして追っかけてきてくれたとしても会える可能性は低い。 じっとしていればいいのだが、重い雲の漂ういつ雨が降ってもおかしくない暗さが私を急かす。 山を舐めていたつけだ。 自嘲する。 山だけじゃない、神を舐めて白蛇を呼び起こした。 結局何でも出来る気になっていたただの子供。 神の実在は香野で知っていたはずなのに…… その愛らしさに馴れて甘く見て。 結果、香野を失った。 そうか、香野を失ったんだ…… ずっと私にくっついてて。 うっとうしい位構ってくれて。 しょうがないなぁ何て言いながらずっと私が助けられてた。 そして、最期も…… ちくしょう。 ちくしょう。 「っちくしょう」 声に出すと何だか力の湧いてくる気がする。 「ちくしょー!」 叫ぶと両手を握り締める。 涙が、溢れてきた。 ポツン、ポツン…… 大粒の雨はすぐに土砂降りへと変わるだろう。 重苦しく黒い雲は長雨の雲。 進むのも危険だが、じっとしていても助けは来るのやら。 夏だから凍死の心配は無いだろうけれど雨は容赦なく体力を奪っていくはず。 本気で遭難の心配をした方がよくなってきたのかもしれない。 遭難、冷静に考える。 歩いて道を見つけるのは絶望的だ。 それならいっそじっとしていた方が怪我をする可能性は少ない。 では、じっとしていれば助けは来るのだろうか。 私が居ないというのは誰も知らないことではない。 例えば家の方はどうだろう。 珍しく朝の散歩といいながら天気は雨。 それで帰ってこないとなれば心配はするかもしれないけど、だからと言って山で遭難してるとまで発想は飛ばないはず。 友達の家によっていると思われたらアウトだ。 私が山に向かったのを知っているのは貴弥。 この線はうまくいきそう。 貴弥が助けを呼んで山狩りが行われたとすれば最悪で一日も我慢すれば捜索隊に発見してもらえる。 ただ貴弥が私を追って一緒に遭難しちゃってる可能性もある。 そして、何らかの理由で捜索隊を作れない状況の可能性も…… さっき見た白い大蛇(オロチ)を思い返す。 香野は白蛇(ビャクチ)と呼んでいた。 あの姿は幻では片付けられない現実味を帯びていた。 あれこそが神という名に相応しい。 が、あの白蛇は問答無用で私から力を吸い、香野を滅ぼした。 荒御魂。 私たちは今まで彼の神を鎮めていたの? 害為す神を鎮めるために祈祷を行うというのは自然な流れの気はする。 けれど、私はそれを開放してしまった。 あれに今の武器は通用するのだろうか。 昔とは比べ物にならない破壊力を持つ兵器の数々。 それを思い浮かべ少しだけ安心し、 ……町へ降りたら? それに気付く。 あんなのが町に降りたらみんなが無事で済むはずは無い。 そういえばお腹も空いてきた。 朝ご飯は軽く食べたが、もうそれから数時間。 加えて白蛇とのやり取りで体力的にも精神的にもかなり消耗している。 昨日のよる結局一睡も出来ていないのも致命的だ。 ザーッ。 ついに本降りとなった雨は容赦なく降り続け、体温を奪っていく。 夏とはいえ、さすがにこれでは…… と、気配を感じた。 他の人とは少し違うこの感じ。 「たかや!」 その気配はガサガサと音を立てながら近づいてくる。 が、期待は裏切られた。 見たことのない男。 がっしりとした体格、年は30過ぎくらいだろうか。 精悍そうな顔つきの癖に常に浮かべている笑みが不真面目な印象を与える。 貴弥とは正反対に位置するモノ。 けど、彼の気配には貴弥と似た感じがある。 そしてこの事態で現れた。 「かみ、よ?」 皇家のものに違いない。 「ピンポン、ピンポーン。 そういう君は神杠奈美ちゃん、で良いのかな?」 現れた相手は嬉しそうに笑いかけながら軽薄そうなノリで聞いてくる。 頷く。 「俺は貴弥の優しいお兄さん役。 古把宮家の宏二さまっす。 貴弥から俺のこと聞いてる?」 聞いたこともない。 もともと貴弥は帝都でのことを進んで話すやつじゃない。 その上、こんな恥ずかしいやつのことなら隠しておきたいなんて考えが働いてもおかしくない。 「で、その宏二サマは色々説明してくれるのかしら」 話の流れを聞いていると貴弥の知り合いで私を助けに来てくれたように聞こえるけど油断は出来ない。 なんせ時計が教えてくれるに、貴弥と離れてから二時間ちょっと。 祈祷を開始した頃から考えてもまだ三時間しか経っていないのだ。 こいつが帝都での貴弥の知り合いならここに来れるわけが無い。 「う〜んサマ付けか、きついねえ。 でもどうしよっかな〜。 教えちゃって良いのかな〜。 ま、良いか」 何か悩んでいる様子だったがあっさり決める。 「今回の件の当事者だしね。 けどさ、ほんとに俺のこと知らない? そこちょっとつまんないよね。 それでも神社の子?って位に寂しいな。 テレビとかにもたまに出てるっていうのにさ。 しょうがないからヒントあげちゃおっか。 神鎮め、木都管理区総代、どう」 あ、それなら知ってる。 うちに届く書類によく印が入ってる。 「神社の管理機構?」 それに対して両手を高らかと]に掲げる宏二サマ。 「うーん、おしい!」 惜しいんなら]の字は止めて欲しい。 「神鎮めは神社に限らず全ての宗教神を祭った社の統括しているのさ。 外国の神でもこの国に置かれる社なら全部面倒見ちゃってるんだねえ。 ま、でもそんなん表向き表向き。 実際の仕事はこういう事態になった時の対処ってわけ」 こういう事態? 「そうだ、白蛇(ビャクチ)は? 貴弥と香野も!」 助かった安堵感と宏二サマのノリに釣られてついのんびりしてしまった。 私は百蛇を解放してしまって、貴弥から逃げて。 で、遭難していたわけだ。 そこで一つ落ち着いていられた理由に気付く。 宏二サマは自分が濡れるのも気にせず私にだけ傘をかざしてくれている。 「ああ、そういえば今どうなってるかまだ話してなかったっけ。 白蛇は休憩中。 貴弥君がとっさの判断で縛りを入れたんだよね。偉い偉い。 本来なら一瞬も止めることなんか出来ない位には実力差があるけど。 まだ復活したてだし幸か不幸かあれの中には吸収した君の力が入ってるからね。 貴弥君にとっちゃ君の力の操作は得意中の得意。 で、必死の思いで縛りを加えた貴弥君はそのまま力尽きて倒れてしまいましたとさ」 「会ったの?」 これだけ詳しく知ってるのだ。 貴弥は既に助け出されていてこの人は病院で聞いたに…… 「いんや、実はまだなのだよ。 貴弥君は山に登るときからずっと端末をオンにしてくれててね。 周囲での会話は全部筒抜け。 で、俺は急遽木都からここまで飛んで来たってわけ」 指されて空を見上げると、小型飛行機。 風切り音がしないから気付かなかった…… 「それなのにここに着いた時には白蛇は一応縛られてるし貴弥君は知らせを受けた君のお父さんが既に助けてるし。 着いたは良いけど急いでするようなことは無くなっちゃってたわけ。 まあそんなら人命救助でもしようかなってことで、あれで近くを捜索して君の気配見つけたから飛び降りて来たのさ」 杉の植林が続くこの近くにヘリの降りられそうな場所は無い。 本当に飛び降りたのだとすれば杉の高さ、つまりは10メートル以上の高さから。 ヘリが降りられないのと同じ理由からパラシュートの類も当然使えそうにない。 「そんなわけが!」 何故だろう、この人が相手だとつい怒鳴ってしまう。 が、 「まあまあ、そうカッカしないの。 飛び降りるくらい俺にゃ本当にわけないんだから」 「それで貴弥は!」 この人がどうやってここに来たかなんてどうだって良い。 「あれ、聞いてなかった? さっき言ったのに。 貴弥君には別の神抑えが一人付いているって。 安心しなよ、今は神阿簾の病院に居て命に別状は無いってさ」 神抑えの同僚? 「ち、な、み、に、神抑えは神鎮めの下位機関だから。 要するに、俺の方がはるかに偉い!」 そりゃ、貴弥はまだ高一なんだから。 自分でお兄さん役とか言ってたくせに。 「当たり前でしょ、年の差を……」 「あ、あと俺の方がはるかに強い!」 それも別にどうだって良い。 が、その考えを一瞬で翻す。 「強いって、あの白蛇を倒せるくらい?」 そもそも、こいつは異変を知って木都から来たんだった。 なら、任務はあの白蛇をどうにかすること。 例えば、倒すとか。 けれどその淡い期待は即座に首を振られる。 「うーん、今んとこ倒そうって案はないねえ。 せっかく貴弥君が縛ってくれたわけだし、俺としてはまず落ち着いてもらってから話し合おうかと考えているんだけど」 話し合う? あの畏怖さえ覚える神と? 問答無用で私の力を吸って。 そして、 「そんな! だって、あいつは香野を!」 「こうの?」 ご神体に宿っていた神だと告げると 「香野、か。 白蛇の神乙女ね、確かに居たな。 先に復活していたのか。 そんじゃこれも遅かれ早かれ、というか近々起こってて当然なわけね。 けど、ふーん俺は知らんかったなあ。 端末じゃ神の声までは聞こえてこねえし。 なるほどね、貴弥君てば隠したがりやさんなのか」 この台詞で私が失言をしたらしいことに気付く。 「復讐したい、か。 ま、たまには身体使いたいしその案にも頷きたいとこだけど。 でも白蛇はもともとは荒神じゃあないんだからあとから俺が怒られちまう。 それにさ、正面きって戦ったらどんな被害が出るか分かんないよ? だったらお互いの言い分聞きあって仲良くした方が良いでしょ」 どんな被害が出るか。 割れる道路に崩れる建物。 当然神阿簾に高層ビルなんてのは無いが…… 怪獣映画の一幕が真実味を持って迫ってくる。 けど、 「あっちの言い分なんてどんな風になるか分からないじゃない! まさか乙女の生贄とか」 白蛇(ビャクチ)は白きおろち、有り得ない事ではない。 「それはないよ。 幾らなんでも生贄制は今のご時世許されないでしょ。 それに、そんな待遇を一柱でも許したら他の神も黙っちゃいないからねえ」 怖い怖いと楽しそうに呟く宏二サマ。 「ま、お互いが理性的に話し合えば解決しないことなんか無いって」 白蛇と宏二サマ? 私の中では理性的から一番遠いとこに居る二人だ。 「ん、今何か失礼なこと考えてるだろ」 素直に頷いてやる。 「お前なあ。 っとそんなこちゃどうだって良い。 ただねえ、あちらさんにも絶対に譲れない線ってのがあってさ。 それ認めちゃうと」 そこで一息つくとこともなげに続ける。 「この町潰れちゃうんだよね」 「潰れる?」 暴れて被害が出るとかなら分かるけど、お互いが話し合った結果でどうしたら町が潰れるって言うのよ。 「地崩れが起こるのさ。 開放を約束した瞬間かもしれないし数ヵ月後かもしれない。 とにかく、ここは神阿簾(カンアス)。 神なる地崩れ(アス)によって無理矢理に出来た地さ。 神の加護が消えればより安定した形状を求めて地形変動を起こしちまうんだよ」 地崩れ(アス)を起こした原因が白蛇だというのなら。 「白蛇がこんな地形を作ったっていうの?」 確かに、人にとってはこの辺じゃ一番住みやすいけど。 そう習ったけど…… 「この町は絶壁の続く海岸の中の窪んだ入り江。 良港なのは当然としてその緩やかな地形は近辺と違いこの地に畑作、稲作すら可能にする。 冷静に考えりゃ付近の地形の中でこれは特異なことじゃん」 「それがどうしたって言うの。 他より多少地形の良いのが神の恩恵? こんな町、全然田舎じゃない!」 田舎ねえ、と呟く宏二サマ。 「この辺一帯は資源としちゃ一応魚と木材には恵まれてるじゃん。 取りに行くのも運ぶのも大変だから余り目立っちゃいねえけど。 で、その上で農業まで可能になりゃあ自給自足が出来ちまう。 しかも、なだらかになったってことはさっき言った魚と木材だって取りやすくなる。 収支を考えりゃ売りにいける程度の収穫にはなったろうねえ。 一方で、この近くの里は稲作はおろかきのこと山菜類がわずかな作物。 穀物や野菜を欲しくなればこの町に頼るのが一番簡単だ。 売る側と買う側、しかも売り手市場。 富める者はますます富めり。 話に付いて来れてるかな? つまりこの町なら付近の里を従えられる。 そして豪華な生活さえ望まなければ外界から隔離された生活が可能。 ま、田舎なのは否定できねえけど追われた皇家の逃げ場としちゃ良い方なんじゃねえの?」 追われた皇家、それは神杠家? うちの家系は…… 「地形を無理矢理こんな形にするなんて可能なの?」 とりあえず家に関する質問は後回しにする。 「元は絶壁の連なる地へ海が深く入り込んだ場所さ。 そこにやつは白蛇の力を使って地崩れを起こさせた。 結果、海と陸地の間には緩やかな傾斜が出来、さらに海岸付近にゃ平地のようなものまで生じるというわけ。 で、一方海岸の方はといえば浅い入り江になる。 全て自分の力で地形を思うがままに代えるんではなく地崩れという自然現象を応用してるな。 だから予想しているほどの力はいらない。 とはいえ実際にこれを行うとすれば…… やつが昔の神代であったことを考えても白蛇の力にゃびっくりだな」 そう言って首を振るが私はそんなの見ちゃいなかった。 「そんなののために白蛇は犠牲になってるの? 今でも苦しんでるって言うの?」 「そうさ」 「だったらそんなの要らないわよ! 町がもうチョイ寂れるくらい何よ。 もっと前に開放させてれば良かったのよ!」 熱くなる私に宏二サマは 「ま、本音言うと俺はそれでも良いんだがな」 「なら!」 「その前に一つ質問。 何故この町のような地形が近くにないと思う?」 何故ってさっき言ったじゃない。 白蛇の力でしょ。 「半分マル。 もう半分はそれが自然だからさ。 例え、大きな地崩れが起きたとしても普通はここまで理想的な地形にはならない。 万が一でこのような地形が出来ても今度は長く保ち続けられるはずがないんだよ。 どんな形にせよ、もっと納得の良く地形であろうとする。 無理矢理に作られたならなおさらね。 それが自然だ」 再度自然に戻るための地崩れが起こるっていうの? 「でも、もうあの頃から数百年は経ってるんだし」 「数百年経ってりゃ普通はある程度落ち着くんじゃないかって? ここは違うのさ。 白蛇の力は崩す時にだけ作用してたんじゃない。 もっと単純。 動かないように作用してるのさ。 つまり、ここの地盤は基礎の部分じゃ当時の地崩れ(アス)の起きたまま。 しかもその形状たるやいたって不自然。 そんな状態で白蛇の力が抜けたら? 自然は不自然な状態、偏りを極端なまでに嫌う。 結果はもう考えるまでも無いんじゃない?」 「じゃあ、白蛇の譲れない線と言うのは……」 「封印され、力を吸われ続けているこの状態からの解放。 神が意識を取り戻した以上、神代としてもこれを認めないわけにはいかないじゃん。 ということは、だ。 まもなく君の故郷は潰れてしまうかもね」 宏二サマはいつもの口調で軽く言ってのけた。 故郷が無くなる。 今住んでいる神阿簾の地が無くなってしまう。 けど、そんなのはどうでも良かった。 白蛇は封じられていたのだ。 誰でもない私たちの祖先によって。 そして、私はその直系。 神杠奈美。 一方的な利益を享受するために今まで白蛇を封印し続けていたモノ。 「嫌なこと起きないように、祟り来ないようにってこれまでずっと…… けど祟られて当然じゃない! 悪いの一方的に私達じゃない!」 気が付くと叫んでいた。 良いことをやっていると思ってきた。 みんなのために犠牲になってると思ったこともあった。 けど犠牲になっていたのは私ではなかった。 私は人間の利己のために悪くもない神を封印していただけ。 「誰も、誰もそんなこと教えてはくれな」 そのあとは声にならないまま座り込んでしまう。 涙があふれてきた。 泣きに泣いて泣き尽くした。 気がつくと服も体も泥だらけになっていた。 雨の中座り込んで泣いていたのだから当然。 当然? そういえば雨は降っているのに私は打たれていない。 ぼんやりと上を見上げるとそこにはまだ傘が差されていた。 「な、ば、ばっかじゃないの。 私はもう雨なんか関係ないくらいびしょぬれなのよ。 自分に差しなさいよ」 「残念ながら俺ももう手遅れさ」 そういうと雨露たっぷりのレインコートを振ってみせる。 ん、レインコート? 「いつの間にそんなの来たの。 それに、レインコートならはなから手遅れも何も無いでしょ!」 「うん、そうだねー。 自分がびしょぬれでも君に傘を差し続けて翌日さりげなくくしゃみなどして見せるのが本来の俺なのだけど、これからが本番じゃあそうも言ってられないからね え」 ようやく宏二サマのここへ来た理由を思い出す。 思いっきり泣いて少し気が済んだのか頭の中はすっきりしている。 「私、力が失くなっちゃったみたい」 知っていたのかそれに宏二サマはただうなずくだけ。 疲れたというのだけとは違うこの感じ。 疲れたり祈祷で消費した分は徐々に帰ってくるのが分かる。 けど、白蛇に吸われた分は…… つまり吸われたのは力の更に奥、力の源みたいなものだったようだ。 「私、この街が好き」 宏二サマはまたうなずくだけ。 「私、この街を守りたい」 「でもそれにゃあ何か、が犠牲になる必要があるんだぜ? 強き力持つモノ。 嬢ちゃん一人じゃ無理だなぁ。 もともとヒトってのは長期の術にゃ適していない。 白蛇にでもお願いしてみるかい? 私はこの町が好きだから無理を言わないで再びこの地の守護に戻ってくださいってな」 この地の守護。 これまで白蛇がそうしてきたのはただ封じられて他に道が無かっただけ。 人間側の都合でこれまで封じられ続けてきた白蛇にさらに封じられ続けろ、と。 そんなの、頼めるわけがなかった。 いつ崩れるかも分からない街に人をそのまま住ませる訳にもいかなかった。 けど、私はこの街を残したかった…… |
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