黙って
歩き続ける貴弥と私。 結局香野は白蛇と残ることになった。 お互いに黙ったまま学校まで降りてくる。 いつもならもうすぐグランドの方から運動部の声が聞こえてくる。 神代によって閉鎖されている今、そんなはずはないが。 それでも神だの白蛇だのというさっきまでの非現実とは別の世界。 ここはもうサトの入り口。 「聞きたい?」 学校の裏に着くと地べたに座った貴弥が聞いてくる。 「当たり前でしょ!」 何を? 聞くまでもない。 「そうだよね、それじゃ何を話そうか。 まず、君はどこまで知っているの? たとえば白蛇の話は?」 「宏二サマから聞いたわ。 私たちの祖先がこの地形を作るために山に封じた。 そこまでは聞いたのよ」 そして聞いた話を伝える。 しばらく黙って聞いた後の貴弥の返事はこれだった。 「宏二さんの話は正しい。 でも、不足があるんだ。 宏二さんは優しいから。 じゃあ、まずは神杠家について話そうか」 優しいから? それは…… ・ ・ ・ 遠く室町の時代。 神代の中に強い力を持ち帝位の簒奪を図った男が居た。 『神』の御界まで届かんという力持つそのモノは周りより神までの杠(橋)持つモノと呼ばれていた。 当時は神代がかみごとを、幕府がまつりごとを治めていたが、神鎮めの長官であった彼はその両方を欲っせんとした。 そのため彼は悪党と呼ばれる独立武装集団及び神代に不満持つ神等を中心にした軍を建てて体制に反発。 自身の力とその軍勢により一時は現在の金都・火都・土都を中心に国土の西半分ほとんどを支配したが立て直された幕府軍、そして何より時の御帝自らが力を振 る われたことによって軍勢は壊滅、反乱は失敗に終わる。 その遺臣達はその後もしばらく各地に散り反抗を繰り返したがそれらも徐々に各個撃破されていった。 これは歴史で習う。 中学生以上であれば誰でもが知っていること。 貴弥が言うにはその彼が私の祖であったというのだ。 神までの杠持つモノ、神杠。 その渾名は破れて東北の地に逃れてよりは彼の姓となったと。 歴史上は他の皇族同様にその名『崇明』とのみ呼ばれ、姓は無い。 つまり、まだ臣籍降下はしていなかった。 これまでそんなヒトが私の祖であるなど考えもしなかった。 時の帝が西に居る彼の軍勢を討伐している間に不利を見越した彼は当時の国都である日都を経て陸路と海路とを使い堂々と東北のこの地に流れ着いたらしい。 そこで宏二サマの言うとおりに白蛇を封じ阿簾を起こして地形を変えたのだろう。 「それで。 白蛇はどうやって封印されたの。 崇明がそこまで圧倒的に強かった?」 貴弥は私の質問には答えず話を続ける。 「白蛇はあの政争を知らなかったんだ。 当時は常盤の国も戦場になり睦奥のつわものも狩りだされていたけど、ここは更に北にあって他所からは地形的にも隔絶されていたから。 そして、何より白蛇は他の高位の神同様に他との交流をあまり好んでいなかった。 だから西であれほどの騒ぎがあったにもかかわらず白蛇は何も知らなかった。 けれど神代と事を構える気も無くて。 結果、海より現れた力ある神代である彼を白蛇は自ら迎えてしまったんだ。 延々と続く絶壁を崩して海から社まで道を作った。 白蛇なりに歓待したのだろうけれど、これが裏目に出た。 恩は仇で返される。 きっと崇明はその造られた道を見て計画を思いついたのだろうね。 あのご神木はその当時の社にあったものだよ。 社にて彼は神杠大悟と名乗り臣籍降下された現帝の甥だと話した」 しばらく留まるつもりだったならばさすがに崇明の名を使い続けるのはまずいと思ったのだろう。 それでも仇名の神杠を称し続けたのは意地か。 そして、神杠大悟は白蛇より許可を得てこの地に住まうことになったとまで言って貴弥は一旦話をきった。 「どう、ここまでは。 何か質問とかある?」 「神杠大悟が海からやってきて住み付くことにどうして白蛇は違和感を感じなかったのかな。 逃げてきたとか追われてきたとか思って警戒してくれてりゃ良かったのに」 「当時、臣籍降下された元皇族は都に残るか地方へ行くかを選ぶのが普通だけれど、神杠大悟は船一隻を頼りにいまだ開けてない地を目指していると言っ た。 そして、これからさらに北へ向かうつもりでここへは休憩に寄っただけだ、とも。 事実彼ほどの力をもってすれば未開の地も荒れ狂う海も怖くは無い。 まあ白蛇もそれが帝の密命による調査では、と疑ってはいたようだけどまさか神代に内紛があったなんてとこまでは思いも至らなかったんだ」 「けどさ、貴弥もまるで見てきたかのように話すじゃない。 どうしてそんなに詳しいのよ」 「どうしてって……」 「これは神杠大悟と白蛇の記憶なんでしょ。 うちの口伝が伝わってたとしてもそんなことまでは分からないと思うんだけど? なんで神代のあんたがそんなに詳しく知ってるのよ」 そこでやっと私が何を言ってるかに思い当たったよう。 「神代の神書って言うのがあるんだ。 神代の神書オリジナル。 本当なら僕程度が触れて良いモノではないのだけれど。 強くならなくてはならないって、陛下直々に。 これはそこで視た情報」 ふーん。 聞いてもさっぱりだったりする。 「それじゃ、香野は?」 話を元に戻す。 今までの話ではまだ香野が出てきてないのだ。 下っ端過ぎて神書にも載ってなかったなんて恐れもあるけど…… 「そうだね。 そろそろ話を香野に移すよ」 貴弥が一瞬下を向いたのに気づく。 はなし、にくいこと? 「香野は当時白蛇の神乙女だった。 神乙女、まあ巫女みたいなものかな。 当時白蛇は近隣の村々に一つだけ命じていたことがあったんだ。 年頃の娘を一人捧げよ。 生贄と思うかもしれないけど白蛇のそれはかなり特殊なものだった。 大概は10代に入ると迎えられ、40を超えると返された。 そして、返される前に新たな娘が捧げられそれが次の神乙女となる。 もちろん自分の娘をそのような役に当てたい親は居ないから親を失った子供や不義の子等で置いておけないモノに役は廻される。 売られるか捨てられるかされるはずだったそんな子たちがその日を迎えるまではかしずかれて育てられ、返された後も神に仕えたものとして尊ばれた。 香野はそんな娘の一人で。 前の神乙女と入れ代わりに来て数年。 年齢的には20に近いけど大切に傅(カシズ)かれてその後は山の中で白蛇と一緒に暮らしてたから世事には疎い。 神乙女にそんなものは必要なかったしね。 神杠大悟は香野が白蛇からも大切に想われている様を見たんだろうね」 そこで言葉を区切る貴弥。 まさ、か。 「翌月、神杠大悟は作戦を実行に移す。 まず寝ている白蛇を封じた。 自分を迎えた土地の主である白蛇を。 そして、香野を人質に取った」 えっ? 「逆でしょう。 香野を人質にとって白蛇を封じないと。 それに、何で香野が人質になるのよ? そりゃちょっとは情が移るかもしれないけどさ。 神乙女なんてまた替えを呼べば良いだけじゃない。 それまでだって何度も替えてきてたんでしょ」 どうせおばあちゃんになったら新しい娘と取っ換えちゃう程度だし。 けどそれに首を振る貴弥。 「封じると言っても僕のやった縛りに近いんだろうね。 条件さえ揃えば力の弱いモノでも強いものを封じられるのは僕がこの前白蛇にやって見せたとおり。 幾つか仕掛けを作っておけば神杠と呼ばれたほどの男だ、白蛇とはいえ縛るくらいなら可能だったと思う。 もう一つ香野の人質としての価値について、だね。 基本的に神は高位なほど孤高なんだ。 結果、数少ない話し相手である神乙女に病的なまで依存することもかなり多いよ。 白蛇が神乙女を死ぬ前にサトへ返すのは死の別れの前に一つ別離という過程を置くため。 そして真の別離である死の前に代替者を立てることで少しでもその悲しみを薄めようという防衛の現れ。 もちろん白蛇ほどの神の庇護を受けている神乙女なら不意の事故で死ぬなどという可能性は無いに等しいから、そんな心構えはまったく出来ていない。 つまり、目の前に人質として取られた神乙女を見捨てるという選択肢はヒトが思うほど素直に受け入れられるものじゃないんだ。 そして香野を人質にした理由も簡単。 白蛇の力を白蛇自身の意思によって使わせるため。 奈美ちゃん自身も体験したはずだよ。 白蛇と奈美ちゃんほどの差があっても力を吸い取るだけでその属性を変えることは出来なかった。 もちろん相性や個体差もあるけど、何にせよ白蛇の力を自由に使おうと思うならそれを白蛇にやらせるのが一番簡単。 神杠大悟はこう命じたんだ。 神乙女の命が惜しくばこの一帯に地崩れを起こして地形を変えよ、と。 地崩れを起こすのは白蛇の役目。 それを制御して任意の地形を作るのは神杠大悟。 でも、無理矢理変えた地形は不安定だ。 それが放っておいても維持されるかとなればそれは無理に近い。 常に力で安定させなければ……」 その地にあって常に力を使い続ける。 そのためにはそこに封じてしまうことが一番楽だ。 「じゃあ、その時点で白蛇は」 「地形を変えたあとに神杠大悟が自分をどうするつもりかも分かっていたのだろうね。 でも、従った。 神乙女を護るために。 地崩れを起こす前に村の者を退避させること。 香野及びその血を引くモノに自分を祀らせる事。 これが白蛇からの条件で大悟もそれは呑んだ」 けど、今社で祀っているのは神杠であるこの私。 なら結局その約束すら…… 「そして地崩れは起こされた。 術で力を失った白蛇は神杠大悟によって更に深い封印を施され完全に封じられた。 白蛇を封じ、更に素晴らしい地形まで作り上げた神代の血を引くモノ。 たとえ白蛇が守護神であったとしてもその地の民にとっては同時に怖れの対象でもあった、そして臣籍降下されたところで皇族は皇族。 神杠大悟はあがめられ新しく出来た地の長として担がれた」 「それじゃ、香野は! 大悟は約束を破ったの?」 無表情で首を横に振る。 「神と人との契約を破るのは難しいんだ。 契約『は』守ったというべきかな。 香野は白蛇を鎮める社に巫女として迎えられた。 が、白蛇との契約は香野及びその血を引くモノに自分を祭らせることだった。 大吾にとって当時連れていた女には道具程度の価値しかなかった。 己の血を継ぐモノであれば誰でも良かった」 「だって、香野の子でしょ? 己の血? え、なに?」 どういうこと…… 「香野は神杠大悟に犯された。 鎮守に迎え入れられてより昼も夜もなく。 犯され続けた、子を成すまで。 そして、子を産み。 殺された」 ヒィッ 声が漏れる。 顔が強張るのが分かる。 それじゃ、あの香野は…… 「秘密を知るモノ、元から生かしておく気は無かったんだと思うよ」 「何、それ…… そんなのでよく契約を守ったなんて。 最悪じゃない」 「が、香野は死ぬまで白蛇を祀り続けた。 それ以降の神官も大悟の血は引くが香野の子でも在る。 神との『契約』に必要なのはそれを破らないことであって誠意じゃない。 御神体に封じられていたのは白蛇が荒魂として復活した時のブレーキ用かな。 豊かな地と人々の信望を得た神杠家はその後も二つの幕府の続く間この地方の豪族として栄え続けた」 私の呟きに返事をせずに貴弥はそう続けると話を終えた。 宏二サマに話を聞いたとき、祖先は我が侭だと思った。 祖先のしたことに罪悪感も感じた。 けど何だか人事のように感じていたのも事実。 昔話の一こまのように話してくれていたのだ。 対して貴弥の話は淡々と事実のみを突き付け続ける。 そして、その話に登場する香野は。 神乙女の香野は、私の親友だ。 嫌悪感を覚える。 自分の体が汚いもののように感じる。 喉の奥から何かが押し寄せ…… 嘔吐感に身を任せる、Tシャツが茶色に染まっていく。 汚れればいい、穢れれば良い。 両腕に抱くようにして爪を当て、強く掻く。 線を描いてにじみ出る血。 ハンカチを取り出そうとしていた貴弥が慌てたように私を押さえつける。 っちくしょう。 こんな身体…… ・ ・ ・ 気が付くと部屋で寝ていた。 見覚えのある自分の部屋。 貴弥が心配そうに覗き込んでいる。 夏なのに着せられているのは長袖。 その内がジンジンと染みるのは掻きむしった跡か。 「車で送ってもらったんだ」 覚えている。 その前に吐物で汚れた私の服を脱がせたのもその上から自分のTシャツを着せてくれたのも校庭の水道で顔を洗ってくれたのも。 そしてそのあと覚悟したような表情をして掻きむしった跡を舐めてくれたのまで。 全部知っている。 見ていた。 それに反応をする気が起きなかっただけ。 そんな気力が無かっただけ。 そのまま校舎のほうから誰かが駆け寄って来て車に乗せられ、私は気を失った。 「どうする?」 問われる。 どうする、何を。 「ごめん、あんなこと話すべきじゃなかった。 隠し事をしたくないなんてのは僕のエゴだ。 全てを話さなかった宏二さんが正しかった。 もうこれ以上この件に関わりたくない?」 それは、本当に…… 疲れた。 「白蛇は落ち着きを取り戻し、契約更新も無事に進行してる。 むしろここから先奈美ちゃんの出番は本当にないんだ。 彼らに再び会うも会わないもそれは奈美ちゃん次第なんだ。 全てを忘れてこのまま日常に戻ってもまったく構わないんだよ」 会うも会わないも? 日常に戻る? あなる話は穢れなり。 禊げや禊げ、祓へや祓へ。 罪は穢れ、汚れは祓へ。 さわりなる、つみをすててさあんのんに? 「そしたら香野はどうなるの!」 「君が会うのを拒否するなら彼女がここに来る事は」 貴弥に最後まで言わせない。 「ダメ! そんなの許さない。 香野にはまだこの前のお礼も言っていないんだから」 身を挺して守ってくれたお礼、一緒にいてくれたお礼。 たくさんの感謝。 なのに、私の祖先は彼女に…… 「香野さんがどうされたのかしら?」 突然場違いな声がする。 史衣奈だ、右手に持つ食べかけの煎餅はうちの常備品。 そんなことより、 「何であんたがここに居るのよ。 それに香野って」 「なんだか山のほうが大変みたいなの。 それで夏樹ちゃんも山のほうに行っちゃって。 史衣奈は危険だからダメなんだって。 最初は隠れて付いて行こうかなって思ったの。 けど何度やっても見つかっちゃうし」 史衣奈の隠れて、だ。 どうせ後ろから堂々と付いていったのだ。 けど、この子は 「でも、気が付いたの史衣奈。 この町で何か起こったんだったらここでも何か起きてるかなって」 そう行って社の方を指す。 この子は妙な所で直感が働くのだ。 「ほら、この町でふわふわしてるのってここと学校の奥じゃない」 社の杜とご神木の辺りか。 それが分かっていたということは香野のことも。 「それじゃ香野って言うのは?」 「奈美ちゃんにくっついてる可愛いお人形さんでしょう。 すごいお人形さん持ってるなぁっていつもうらやましく思ってたの」 「な、そんなの今まで一言も」 「だって、パパにいつも言われてるんだもの。 人のものを欲しそうに見ちゃいけないって。 『史衣奈、人のものをそんな目で見てはいけないよ。 君がそうしたらその相手はそれをくれるかもしれない、くれないかもしれない。 けどくれたとしたらその人は自分の大事なものを君に譲ってさびしい思いをする、くれなかったとしてもその人は君の期待に応えられなかったことで悲しむかも しれない。 だから、人のものを欲しそうな目で見てはいけない。 欲しいものがあったらあとで私に言いなさい』って」 どうやって覚えたのかは知らないが史衣奈の声真似はとてもうまく、正確だ。 「特に史衣奈のこと大切に思ってくれる人は自分が無理をしてでも史衣奈に優しくしようとしちゃうのですって」 確かにね。 まあ、さすがに香野はあげられないけどもし消しゴムとかキーホルダーなら史衣奈の視線一つで迷わずあげちゃってたろう。 史衣奈パパの判断は正しい。 正しいけどさ…… だからって完全に無いように扱うなよ史衣奈。 「本当に大変だったの。 奈美さん人前では何でも無さそうにしてるけど、いつも香野香野って可愛がってて。 パパに聞いてもそれは人形に話しかけてるだけなんだよって本気にしてくれなくて」 話してるのまでばれてた! でも、そう言われてみれば私は香野が見えないと言う前提で隠していた。 見えていた史衣奈、しかも勘だって鋭い史衣奈。 そりゃ、ばれるかもしれない。 「大きくなると人前は恥ずかしいものね。 史衣奈もお人形さんは好きなの。 けれど飛んだり動いたりお話ししたりするお人形さんって初めてだからいつも良いなって。 欲しいって顔に出さないようにするのほんとうに大変だったの」 そういって無邪気に笑う。 奈美、汚れた血引く凡俗なるモノ。 相棒である貴弥はその血を、その力を目当てに神代より派遣され た。 史衣奈、純粋な存在。 その穢れ無き姿は夏樹を初め全てのモノから愛され、自身はそれ等 に癒しを返す。 彼女こそ巫女たるにふさわしい。 彼女。それは、どちら? 「ねえ史衣奈」 「なあに?」 だから、聞いてみようと思った。 聞かずにはいられなかった。 この意地悪き問い。 「もしもあなたがあなたの大事な人にとても酷いことをしてしまったらどうする?」 聞きたかった。 知りたかった。 何をせずとも愛されるこの少女に。 何をしても許されない血を持つ私が。 「謝っても謝りきれなくて償っても償いきれない。 そんな酷いことをしてしまったなら。 あなたは、どうする?」 聞いて、史衣奈は考え込む。 謝るなんて許さない。 償う? 何をどうやって? 結局それは私自身への問い。 つい昨日までは想像もしていなかった私の原罪。 それが…… 「ねえ、償いって何ですの?」 なるほど、ずいぶん考え込んでると思ったらその意味を。 「悪いことしたお詫びよ」 悪いことした? はは、そう応えてまたイヤになる。 私は何もしてないじゃない! 「何もしないわ」 史衣奈は私がそう考えたのとほとんど同時にそう応えた。 史衣奈にしては少し強い口調。 何もしない? 「パパはいっつも優しくて。 でもたまに史衣奈に謝るの。 ごめんね、こんな風に産んじゃって本当にごめんねって。 こんな風ってどんなのかしら? パパが何で謝るのか史衣奈にはぜんぜん分からないの。 謝られても困っちゃうの。 だってパパが何か悪いことしたわけじゃないんでしょ?」 頷いてやる。 「けど多分それは私の場合も同じなの。 だから、私は何もしないの。 夏樹ちゃんは強くて優しくて賢くて。 史衣奈は弱くてわがままでお馬鹿さんで。 いっつも謝りたいなって思うけどだから私は何も言わないの。 ママが離れていっても、パパと夏樹ちゃんが血塗れになっても。 いつも覚えてるの。 いつもなんて馬鹿な史衣奈ってあとで思うの。 多分泣いて謝ったらとても楽になるの。 でも、私は何もしないの」 そうだった。 何が恵まれた子よ。 脳に障害を持ち、ヒステリーを自分じゃ抑えきれなくて。 好きな人たちを傷つけずにはいられない子…… どこの誰に聞いてもみなきっとこう言う。 『お前の方がはるかに恵まれているぞ』 甘えていた。 こんなこと考えついたこと自体が史衣奈を馬鹿にしてる。 謝ろう…… そう思った瞬間に史衣奈の言いたかったことに気づく。 それじゃ私の気が済むだけなのだ。 私に謝られても史衣奈は困るだけ。 香野に、そして白蛇にも。 謝らないことを選択する、か。 『私は悪くない』 開き直りではなく、相手が理性的に考えた場合どういう結論になるか。 私は加害者の子孫であって、加害者ではない。 そう、謝られても困るだけかもしれないのだ。 許すつもりなら謝罪がそのきっかけにはなるかもしれないが…… 白蛇が私の何を許すというの? それでもこれまで白蛇の恩恵を受け生きてきたのは事実。 なら、謝罪でなくお礼を。 実際にどうするかなんてまだ分からない。 けれど、とにかくそんな選択を思いついたのは初めてだった。 |
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