シャン、シャン、シャン。 鈴の音が響き渡る。 普段ならこんな音がしてりゃ史衣奈が変なことはじめだすんじゃないかと気が気じゃないんだけれど今日は別だ。 ちらりと見ると案の定まだ誰も居ないというのにその目はすでに舞台へ釘付け。 仮設の舞台は本殿の前に建てられ、その前には藁蛇が置かれている。 鳥居の方から一際大きな喧声が上がる。 奈美さんが現れたのだろう。 それを聞き、まだ見えるはずも無いのに背伸びをする史衣奈。 斜め後ろにはいつも通りに貴弥さんが従いその後ろには奏者の方々。 さらにその後ろは市長はじめお偉いさん方が並ぶ。 そんなやつ等が後ろに付くなんて面白くはないが、奈美さんの舞がそれだけすごいのだと考えれば腹も立たない。 鳥居から舞台まで連なる通路。 当然他の観客は入れない。 奏者の後ろからとはいえ、待たずに見れるのは十分お得なのだ。 もちろん奈美さんの舞の凄さは朝一番で並ばないと一番前が取れないという事実が証明している。 俺? 当然日の出前から並んでるよ。 この時だけは史衣奈も大人しくずっと待つ。 奈美さんはそんな無理しなくても俺等は練習の時いくらでも見れるし、リハーサルの時に来ても良いって言ってくれるんだけど…… 本番の時の緊張感がまた凄く良いんじゃないか。 この鬱陶しいまでの人の波も気持ちを高ぶらせる役目を果たしてくれているのだろう。 ま、リハーサルの時も当然見せてもらったけどさ。 その時に一緒に見ていた奈美さんの友人美保は店番。 近隣どころか木都からも特別バスや増発列車が出るほどの祭り。 駅前の商店はこの時が一番忙しい因果な商売だ。 ん、紹介がまだだった。 俺は夏樹、神阿簾中の一年。 そして史衣奈ってのは生まれた時からの幼馴染にして俺の彼女。 本人にその気があるかは知らないけれど、 『史衣奈、俺のこと好き?』 『うん、世界で一番大好きだよ』 『俺もお前のことが好きなんだ。 どう、嬉しい?』 『そうだね、おそろいおそろい〜』 つまり、お互いに好きあってていつも一緒に居るんだからこりゃもう付き合ってると言っても過言じゃない。 詐欺とか言うな! 『じゃあ、俺と史衣奈は付き合っているんだよな』 『付き合う?』 『お互いがお互いのことを世界で一番に好きならそういうんだ』 『夏樹ちゃんいつも難しいこと知ってるもんね。 夏樹ちゃんがそう言うならそなのかなきっと』 ちなみに、『パパの次に好きだよ』の障壁を乗り越えたのはつい半年前。 奈美さんのことは好きと尊敬は違うんだよと誤魔化してある。 女同士なんて可能性は教えなくて良いはず。 ……とにかく、毎年一緒に来てはいたけど今年初めて史衣奈の彼氏として来ているのさ。 史衣奈のことを知恵遅れだのさんざ馬鹿にするやつも居るけど、そいつらは史衣奈の噂されるマイナス面だけを見て魅力には一つとして気づいちゃいない。 心がどんなに綺麗かを知ろうともしない。 理不尽な我が侭も変な目で見る他人を拒絶するためとただの甘え。 そりゃたまに発作は起こすさ。 けど、と自分の服装を見る。 夏とはいえ俺がこうして半袖で居られるのも実は珍しい。 それもこれも史衣奈が今年は七月以降まだ一度も発作を起こしていないおかげだ。 六月は梅雨の季節。 じめじめした嫌な空気は無闇に史衣奈を刺激する。 二回起こされたそれのおかげで衣替え早々にして俺の両腕は人に見せられるものではなくなった。 それが、この一月半一度も起こらない。 そりゃこれまでもそれ位の期間発作が起きない時はあったけど今回のはきっと違う。 何と言っても、史衣奈が上機嫌なんだぜ。 この夏の暑さの中、史衣奈が一度も発作を起こさなかったなんて初めてじゃないだろうか。 機嫌が良いといえば奈美さんと貴弥さんもそうだった。 先月山の方でなんか事件があって、それに奈美さん達が関係して。 俺も詳しいことは良く分からないんだけど。 それ以来、二人の距離が狭まった気はする。 そりゃさ、これまでも二人は仲がよかったよ。 けど最近は、何ていうか…… 二人の立場が同じになったって言うのかな。 とにかく! 奈美さんに突っ込みいれる貴弥さんなんてついこの前までは想像も出来なかったんだってば。 それが今は自然にそういうことを出来る関係になっている。 俺も史衣奈もそんな二人が今まで以上に好きだ。 今年の変化はそれだけじゃない。 史衣奈が奈美さんと二人きりでも遊べるようになった。 これまでは誰と遊ぶにしても俺が居ないとダメだったのに。 一度や二度遊べただけならたいしたことじゃない。 10回位でもまだ確信は持てない。 けれど、今回はその遊び相手が、その後の史衣奈の表情が俺と史衣奈のおじさんに前向きな期待を抱かせる。 我慢して終わらせたよっていうつまらなそうな顔じゃなく、まだ帰りたくないって子供の顔をしてるんだから。 女子同士で遊ぶのは史衣奈にとって悪いことじゃない。 普通なら寂しいのかもしれないけど俺にだって男友達と遊ぶ時間が出来るのだから悪いことじゃない。 迎えに行って何してたのか聞いてみたらお人形さんって史衣奈が元気に答えて奈美さんも面白そうに笑ってたっけ。 そんなことを考えているうちに奈美さんは舞台に上がっていた。 綺麗な幾重にも重ねられた着物。 表は淡い水色に鳥の模様。 そこから緑やら赤やらの布が華やかに覗く。 奈美さん自身も負けてはいない。 綺麗な髪に整った顔、他者には無い風格。 それ等が舞いをはじめる前から…… 隣では史衣奈が先ほどと全く同じ格好で食い入るように見つめている。 今日はきっと一日中この格好で、 明日になれば確実に首が痛いとか嘆いていることだろう。 シャラン 絶え間なく続いていた鈴の音が一時止む。 後ろから奈美さんのおじさんが現れ本殿に向かって祈りをはじめる。 そして今度は山の方を向いてまた祈る。 それが終わると奈美さんの右後ろ、貴弥さんの反対に座った。 位置的には貴也さんの方がわずかに前。 『待ってました〜!』 礼儀を知らない客が一瞬騒ぐがそれはすぐ周囲によって鎮められる。 酒酔いが来て良い場所ではないのだ。 シャン 再び、鈴の音が鳴り始める。 ずっと下を向いていた奈美さんがすっと前を見る。 本殿の方、そして山。 舞が始まるのだ。 練習を見せてもらっている限りではここ数年で一番の出来。 最近変化に乏しかったのはもう極地に辿り着いたからなのかと思っていた。 そう思わせるだけの舞だった。 けど、今年の舞はキレが違う。 次の動きの予想はついて、けど予想通りのはずのその動きは必ず予想以上で。 素人に何が分かるって? 素人にも違いを分からせるからこそ一流なのだ。 見ていて舞から目が離せない。 『何ていうかな、舞う目的みたいなのが分かったんだ』 奈美さんはそう言っていた。 山での事件が影響しているに違いない。 なんせ帝国全宗教の総締めである神鎮めが警戒に当たっていたほどなのだ。 あの後、神代側からはご神木と言われた木が亡くなるのを看取りに来たという説明があった。 ご神木といわれてもピンとは来なかったが藁蛇を巻いている木と聞いてどれのことだかは分かった。 周囲の木と比較してそう大差ない、そう思っていたのは認識が甘かっただけのようで実際にその後で切り株を見に行きその余りの太さに驚嘆させられた。 シャン 藁蛇に火が着けられる。 燃え盛る藁蛇。 蛇神(ヘビカミ)は山神にして農耕神で、春から夏に掛けて農耕の間サトに降りていた蛇神をヤマへと返す。 藁蛇を燃やすのはその象徴。 そう習ってきた。 けど、今はまだ八月の末。 畑はともかく田んぼは今からが本番。 なぜそんな時期に行うのか実は誰も知らない。 昔から時期は変わっておらず、稲作は昔からこの町の重要産業の一つだ。 なら単純に答えを考えれば、この説明が間違えている。 奈美さんにそれとなく聞いてみたところ『良い線行ってるね、私も実はそう思ってる』と答えてくれた。 けど奈美さんがそう思う理由も、なら奈美さんがどう考えてい るのかも教えてはもらえなかった。 藁蛇に付いた火は勢いよく燃え上がり、激しい炎がゆらゆらと揺れ、貴賓席の方から見れば奈美さん自身が陽炎の中にいるようだろう。 ちなみに、小雨だったり湿気ってたりすると油を染み込ませる。 と、突然激しい感情が流れ込んでくる。 感謝の念。 そして映像。 藁蛇かと思ったがそれは更に生き生きと躍動して白い大蛇となる。 それはするすると天に昇るとそのまま山の方へと向かっていった。 はっとして奈美さんを見ると舞を続けていたようだ。 周りを盗み見るとボーっとした顔に驚いた顔。 史衣奈だけがいつもと変わらず奈美さんを注視し続けている。 どうやらあの幻像を見たのは俺だけではないようだ。 「史衣奈、あれが何だったか分かるか」 ためしに聞いてみる。 返事を期待していたわけではなかった。 が、 「奈美さんの心よ」 「史衣奈はあれを奈美さんがしてるっていうの」 尋ね返しても、 「他に誰か出来る人なんて居るのかしら」 と真顔で返されてしまう。 話しながらも目は決して舞から離れようとはしない。 あらためて奈美さんの舞を見る。 奈美さんはこの杜に居るのが似合うけどあくまで普通の人だ。 神杠という姓に神の一字を継ぐモノではあってもこの現代、まだ催眠術と言われた方が頷ける。 けど、神代とかは関係なく『奈美さん』なら。 それに今の舞なら、舞い手の心象くらい見えてもおかしくはない。 むしろ問題なのはその意味、何を伝えたかったのだろう…… そして、舞が終わる。 いつもどおりの挨拶の後で。 突然奈美さんの表情が引き締まる。 後ろにいる貴也さんに目で合図を送ると貴也さんは大丈夫だ、という感じで頷く。 それを見て安心した表情をする奈美さん。 これは、最近の貴也さんの大きな変化の一つだと思う。 そして、奈美さんが一歩前に進みだす。 例年と違う? 疑問に思う間もなく奈美さんは観客を見渡すと 語りはじめる。 「この前のご神木にて起きました騒ぎ、皆様は覚えておいででしょうか。 校門の前で私を助けてくださった方々、ありがとうございました。 あの時私はみんなに温かい思いで見守られていたという事実に涙が出るほど嬉しかったです。 皆様がこの地の守りとしての私を信じてくださったこと、言葉では言い尽くせません。 ですが……」 瞳に決意がこもる。 「ですが、私はこの地の守りではありません。 いえ、私の他にも真の守り神がおわします」 そしてリンと張り上げられる声。 「聞いて欲しいことがあります。 これはこの地の始まり。 これは我が祖の始まり。 それは優しき神の神話」 そして…… |