3章−1
祭りのような歓迎式典が終わると、普通の日常がやってきた。 やはり鎮鋼府の最高責任者である季将軍は僕のことを余り気に入っていない様で鎮鋼府に慣れ、知識を身につけるためとか言われここ一週間ほど古い書類の整理なんていう役職から考えると信じられない仕事をやらされている。 色々仕事をやって慣れなくちゃいけないはずなのに。 でも、これが実は役に立った。 北方からの敵との最前線であり、かつ防壁でもある『長城』とのやり取り、西域への央路の入り口でもある関所、及び央路のある国々や央路のオアシスなどとのやり取り、会計報告など、文章の中とはいえここには鎮鋼の現実が詰まっていた。 僕に興味の無い李将軍は僕が書類に埋もれている間は僕など居ないものとして扱ってくれるおかげで、この一週間で鎮鋼に関してはかなりの知識を仕入れることが出来た。 特に人に聞いても分かりにくい現場と数字の感覚が多少なりとも掴めるようになったのは大きい。 「よ、坊や。 またこんなとこに引きこもって書類と格闘かい?」 今日も朝から書類に埋もれていると燕がやってきた。 「燕こそもう辞めたのに引き継ぎの仕事なんだろう。 大変だね。 それにしても何で辞めたのさ?」 「嫌な上司の下で働かなきゃならんほど燕家は困ってねえからな。 それに、坊やが今の職に就くには俺がいちゃダメだろ。 坊やのためを思って俺は泣く泣く職を捨てたのさ。 そもそも俺の引継ぎといや、後任である坊やに色々教えてやることだと思ってたのだがな。」 「嫌な上司って…… 燕がそんなことばかり言ってるから燕の仲間だと思われてる僕まで李将軍に睨まれちゃうんだよ。」 「ふぅ、自分が嫌われるのまで人のせいかい。 それじゃ俺が居なかったらここの連中が優しくしてくれるみてえじゃねえか。 せめて自分から何か動いてからそういったことは言ってくれよな。 あぁ、それにしても同じ釜の飯を食らう仲間がこんなみみっちい考えの奴なんて。 俺はなんて不幸なんだ。」 勝手に嘆いている。 話はずれるけれど、ここで現在の僕たちの状況を少し。 僕の住居である副将官邸は帝国からの貸与物で、質はまあ問わないこととして広さだけは僕が京に居た頃の屋敷と大して変わりない。 一家とそれに充分な数の使用人が住めるほどのお屋敷と離れ、ちょっとした厩舎、兵舎まである。 鎮鋼に初めて着いた日に燕に連れられて行くと、まだ40に入る前だろうかという品の良さそうなおばさんが出てきて僕たちを中に招き入れてくれた。 どうやら、燕の奥さんらしい。 『らしい』というのは余りにも普通の人が良さそうなおばさんなのでその時燕に 『こいつが俺の女房だよ。』 と言われても僕もリィナも信じられなかったのだ。 結局、僕が何も言う前から副将官邸には燕夫婦も住み込むことになったが(燕に勝手に決められたことに僕にどう反論しろと言うのだ。)燕夫人は西安の大貴族燕家の人とは思えないほどに僕たちの世話や屋敷の管理をきっちりしてくれるためとっても役に立っている。 そう言う貴族離れしたところは燕に似てるのかな。 ついでに、ちゃっかりというか、あまりにも当然という感じでリィナも副将官邸に住むことになった。 燕の連れて来た200人の私兵は、西安大公家の160騎は帰り、残りの燕家の40騎余りが兵舎のほうに住んでいる。 西安大公家私兵隊の方々はどうやら本気でただのパレート要員だったみたい。 僕も含めたこの4人と兵40人、そして馬約40匹が今の副将官邸の住人だ。 僕達の方は燕夫人が世話をしてくれるし、私兵の皆さんは燕夫人がご飯を作ってあげてる以外は勝手にやってくれているようだしで、今のところ使用人などを雇う必要は無さそうである。 さて、燕は一通り嘆き終わるとここにきた要件を告げた。 「坊やは王 子騰って商人を覚えてるか?」 「さあ? でも、僕と燕の知ってる商人と言えば一人しか居ないじゃない。 リィナを開放してくれた人でしょ。 その人がどうかしたの?」 「そう、あいつだ。 あいつは鎮鋼を拠点とする西地区内でも有数の大商人だ。 人売りなんて手がけちゃいないはずだから、嬢ちゃんのことはきっと隊商の奴らとの交易のついでだろうな。 王本人はまだ京まで行ってて帰って来ちゃいないようだが…… 坊や、気をつけな。 周りを探られてるぜ。」 「へ。 なんで?」 「お前さんの実力を勘違いしたんだろうな。 皇帝陛下の知り合いなら今の内にお近づきになっておくにこしたことは無い。 昨日の昼間に官邸の方へ挨拶を兼ねてかなり露骨に探りを入れて来たらしい。 探りを入れられた女房の話じゃやっこさん、娘とお前とを結婚させようとしてるらしいぜ。 全く、探りを入れにきて逆に自分の主と用件がばれちまうなんて使えないにも程があるな。」 燕はそんなこと言ってるけれど、実際のところは燕夫人がすごいだけ。 あの人にかかったら大抵の人は自分でも気づかないうちに大事な秘密を全てしゃべってしまうだろう。 さすがは燕の奥さんをやってるだけのことはある。 それにしても、 「また結婚話? リィナだけでも困ってるっていうのに。 これじゃ京に居ても鎮鋼に居ても大して変わらないじゃないか。」 「ハハハ、独身なのに誰も結婚話を持ってきてくれないよか良いじゃねえか。 俺はこの前のお2人さんが絶対に忘れられねえな。 嬢ちゃんのやつ、坊やが俺と話してる隙に坊やの部屋に忍び込んで布団に隠れてたは良いけれども結局待ちきれなくて寝ちゃっててな。 坊やも何も可愛い女の子が自分の布団の中に居たくらいで叫ばなくても良いだろうに。」 「リィナが常識無さ過ぎるんだよ。 僕は悪くない。 まったく、両親はどういう教育をしてたんだろう。 連合と帝国じゃ習慣が違うのかな。」 「習慣の違いまでは知らねえが両親の教育方針はきっと『決して諦めるな』だろうぜ。 いや、あそこまで行くと家訓かもな。」 「そんなはた迷惑な。 でも彼女の行動力を見てるとそんな気もしてくるね。」 「ところで、そろそろ話を戻しても良いか?」 「話をそらしたのは燕が先じゃないか。 それじゃ、あの商人は僕と結婚させれば陛下のお近づきになれると思って西安から京へ行く前に鎮鋼へ使いのものでも送って僕を調べさせるよう命じたんだね。 勘違いも良いところだな。」 「坊やはどうしたいと思ってるんだ?」 「別に、放っておけば良いじゃない。 彼らは調べれば調べるほど僕に幻滅していくんだから。 もしも幻滅しなくて、そして結婚ではなくお付き合いから始めたいと言い出すような相手だったら会っても良いかな、と思う。 結婚も何も全てはそれからだよ。 そりゃリィナみたいなのも困ったもんだけど、親の決めた相手だからって会いもせずに結婚を決めるような人も考え物だからね。 まあ、そんな僕の理想とする形式を理解してくれる相手すらいまだにいないのだけどね。」 「ほう、坊やもただの結婚嫌いじゃなくて考えちゃいるんだな。 わかった、女房にもそう伝えとこう。 さて、俺はこれで帰るが坊やはどうするんだ? 賈に稽古をつけてもらうんだろ?」 「うん、これが終わったら帰るよ。」 「そうか、んじゃ頑張りな。 俺は一足先に帰ってるぜ。」 そうなのだ、実は今僕は賈に騎馬対騎馬の稽古をつけてもらっている。 燕でも良いんだけど、手加減をしてくれない燕だと逆に何をしてもだめな気がしちゃって。 毎晩部下と酒とを持って僕の屋敷に来てくれる賈に試しにお願いしたらこれが結構よい相手だったんだ。 さすがは軍都指揮使だけあって強いし何より教えるのが上手い。 稽古内容は2つ。 槍を用いた普通の騎馬戦と、僕の得意とする短剣を用いた対騎馬奇襲戦術。 奇襲といっても相手の思いもかけない攻撃を繰り出すことであって隠れての一撃必殺とかは遠くならともかく近くにおいては身を隠す場所も無い砂漠、低草地帯での戦闘には向かない。 はっきり言って槍では賈に全くかなわない。 短剣を使えば戦えるが、それでも短剣では実際の中規模以上の戦争では長期戦などのときにどうしても苦しくなるからやはり槍も一応覚えておかざるを得ない。 といって槍を持ちながら短剣を使うってのも苦しいものがあるため使い分けはその戦闘単位ということになる。 普通の短剣を使うなら、歩兵として、というのは無謀だ。 それは鎮鋼府の歩兵団がほぼ弓兵と工兵から構成されていることからもわかる。 本当なら弓兵も全員馬に乗せたいくらい。 帝国には馬が足りないのだ。 鎮鋼にはその貴重な馬が2万以上も居る。 それでも敵対勢力はほとんどが生まれながらの騎兵である騎馬民族なのだから馬の数も兵の訓練量も足りないくらいというのが実情らしい。 実際、書類を見ている限り戦術も何も無いに等しい小競り合い程度の戦いでは帝国側が敵の1.3倍居る位がちょうど勝敗の境目、同規模の軍では敵のほうが圧倒的に強いのだ。 で、帝国のやったことといえばこんな西の果ての鎮鋼に大規模な府を置くことで常に敵に対処できるようにする。 敵はどんなに頑張っても数千、それが3つ4つ程度までならば連合を組んでこられてもまあ互角程度にはやりあえるという計算だろう。 他にも大昔の長城を再建させることで守備力の強化を図り、またのろしシステムの採用により見張りの伝達能力もはるかに強化した。 でも、今のところこの西域が帝国優位のままである一番の理由は羅針盤、印刷術と共に帝国3大発明とも呼ばれる『火薬』の武器だろう。 工作兵と呼ばれる特殊兵が扱うこの武器はまあ、言うなれば強力な弓矢、だろうか。 ついでに、特殊兵とはどの一軍にも配置されているもので工作兵、衛生兵、伝達兵、補給兵などで構成されている。 他に第一歩兵軍には専門の火薬を用いた破壊力抜群の火球砲を持つ砲兵も居る。 問題はこの鎮鋼以外にはそんな巨大なもので破壊するべきものなんて無いことだけれど。 まあ、破壊目標まで持っていくだけでも大変なこの武器にここ鎮鋼で出番があるとしたらこの鎮鋼まで敵の大軍が来て鎮鋼攻防戦となった時くらいだろう。 そこまでいったら遅かれ早かれ鎮鋼も終わりだろうけどね。 とまあ、馬をひるませる火薬とそして貴重な馬、そして大量の兵士などに支えられて鎮鋼府は府としての機能を維持している。 前はここら辺の基礎的な構造すらわからなかったのだから書類に埋もれていた甲斐があったというもの。 そんなことを思いながらお茶を飲んで一息つくと帰る支度をする。 後は将軍に会って帰る許可をもらって帰るだけ。 そう思って将軍の執務室まで行くと今日は少し違った。 「おや紅狼殿か。 どうだ、そろそろこの鎮鋼にも馴染んできたか?」 ほとんど書類の山の中ですごしているというのに馴染むも何もない。 とはいえそんなことを面と向かって言うわけにも行かない。 「はい、将軍のおかげでだいぶなれて来ました。 後は少しずつでも様々な仕事を学んで将軍のお役に立ちたいと思います。」 そろそろ仕事をしないと本当に居なくても良い存在にされてしまう。 いつまでも書類の山に埋もれているわけにもいかないのだ。 「そうか、それでは貴殿にやってもらいたい仕事がある。 央路にあるオアシス国への挨拶だ。 とはいえ視察もある程度は絡んでくるが。 なに、今回行ってもらうのは央路と行っても第10区の半分程度までだ。 気にするほどのことは無い。 とにかく紅狼殿にはこの地に慣れてもらわねばならんからな。 観光とでも思ってゆっくり行ってきてくれ。 使節団の詳細は明日にでも知らせよう。」 「は、分かりました。」 そしていつもどおりの挨拶を済ませて執務室を後にしたが喜んでいるのは将軍にもばれていたかもしれない。 何せやっと初仕事なのだ。 しかもいきなり央路近辺の国や町の視察。 帰って燕や賈にも話して喜びを分かち合おうと思ったら。 「妙だな。」 「ええ、妙ですね。 あの李将軍が視察を他人に譲るなんて。」 「え?」 「もともとその仕事はお前とかが適任なんだが、実は挨拶中は数週間も仕事がサボれる上に廻った先々でご馳走攻め、みたいな感じでかなりおいしい仕事なもんだから奴さんめ、いつも自分で行きやがるんだ。」 「ですが。 今は紅殿は来たばっかりですし、燕殿もやめてしまわれるしで将軍が抜けた穴を埋められる適役も居ないししょうがないのではないでしょうかね。 さ、そんなつまらないことを考えるのはやめて今日もちゃっちゃと訓練を終わらせて早く食事にしましょう。 今夜は紅殿の初仕事決定祝いです。 あぁ、燕殿の奥方が綺麗なだけでなくあんなに料理が上手だなんて。 知ってれば紅殿が来る前も敵対なんてしなかったのに。」 もうしばらく経つが、あの居丈高な賈をついこの前見ただけにこの変化は今でも少し不気味ではある。 本人曰く、『苦手な人が2人つるんでたら敵対するより仲間になった方が楽でしょう。』ということらしいけれど、それって僕を立ててくれては居るけれども、要は燕とリィナが怖いってことだよね。 どんな理由であれ仲間が増えるのうれしい一方でちょっと複雑な気分でもある。 そういうわけでちゃっちゃと訓練を終わらせ、軽く水を浴びていると今のほうからいい匂いがして来た。 食事の際の敵は燕にリィナ。 強敵だ。 早く行かないと僕の分などあっという間に消えてしまう。 もちろん燕婦人は足りないなどと言うことは無いように作ってくれているけれども、それでも残りものというのは負けた気分でいやだ。 居間に戻ると案の定どこに行ってたのか分からないリィナも帰って居て既に燕と共に食べ始めている。 横では賈とその部下1が僕の食べるのを待っていた。 「さて、始めましょうか。 それでは、紅殿の初仕事の決定を祈って、かんぱ〜い!」 賈のその声と共に今まで食べ続けていた燕とリィナもコップを持つと相手のコップにぶつけ合う。 これが鎮鋼での乾杯の様式らしい。 京では机や回転卓の端にコップを上品にこつんとやるのが当然だったのでちょっとしたカルチャーコンプレックスってやつだ。 「どうしたのリィナ?」 「ん、もう寝る。」 しばらくするとリィナは酔いつぶれて僕のひざを枕にすると眠り始めた。 「おや、今日のリィナ殿はひざの上ですか。 この前は紅殿の左手を握りしめていて大変でしたなあ。」 「うぅ、お酒に弱いんだったらあんまり飲まないでほしいんだけどな。」 「何言ってんだ。 こんなにかわいい顔して自分のひざの上で安心しきって寝てる嬢ちゃんを見ても何とも思わないなんて男として失格だぞ。 嬢ちゃんもかわいそうになあ。」 「まったくです。 どんなに拒絶されても健気に明るく振舞うリィナ殿。 あの勇姿は見ている全ての人を明るくさせるものがあります。 不肖このわたくしも自分に妻が居なければどうなっていたことか。」 「……それはもはや犯罪だよ。」 僕と燕が身を引く。 リィナもうなされたような声を出して、心なしか顔には汗が浮かんでいるような。 ちなみに賈は40を優に超えている。 「ご、誤解ですってば。」 賈があせって弁解する。 が。 「そういえばこいつの細君は確かまだ28か9。」 ビクッ。 明らかにリィナが反応した。 「賈〜! リィナがしがみついて離れなくなっちゃったじゃないか!」 「わたくしは別に……」 「おやおや、みんなの前ではしたない格好だねえ。 これはもうお嫁に行けないな。」 言われたとおり、リィナは頭をひざの上にのっけたまま器用に僕に抱きついて、そのままの格好でまた安心したように寝ていた。 ちなみに、離そうとしても離れない。 「ハハハハハ。 坊や、そのままにしといてやれよ。 嬢ちゃんは怖いおじさんの夢見てるんだから。」 「怖いおじさんってのは誰ですか!」 「まったく、それじゃ寝かしてくるね。」 そういって僕は立ち上がるとそれでも抱きついてくるリィナをかかえつつ出て行った。 「坊や、そのまま帰ってこなくても良いぞ。」 「送り狼ってやつですね。 やはり若いって良いですね。」 「賈、やっぱりお前……」 「だから違いますってば。」 中年二人が後ろからはやしてくる。 それを無視してリィナの部屋まで行くと布団にリィナをのせる。 顔の上に跳ねた金色の髪の毛を直してやる。 こうやって見てるとリィナだってかわいいんだよね。 燕に言われたように男として何も思わないのかと聞かれたら嘘になる。 でも、そういうのと好きと言うのは違うと思うし相手の本心も分からないんだよね。 やっぱり僕のことを好き、なのかな? そうだとしたら僕はリィナに対して少し失礼かもしれない。 そして自分自身にも。 結婚とかを自分で本気に考えない相手には興味が無いと言いつつ、本気で好きという思いをぶつけてくるリィナに対しては相手に遊ばれているだけと思い込むことでごまかしている。 これじゃ、逃げているのと同じだ。 はっきりしないとな。 そう思うと、しゃがんで自分のおでこをリィナのおでこにくっつけてごっつんこをして、 「よっし、明日も頑張ろうな。」 そう言うと立ち上がった。 部屋を出て行くときに後ろでガッツポーズをしている姿が見えた気がしたのは…… 見なかったことにしておこう。 次の日の朝、僕を団長として挨拶および視察のための使節団が派遣されることが正式に発表された。 |