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天風星苦


作:夢希
3-2 愁い

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 そういうわけでいつも通り訓練を終わらせて 軽く水を浴びていると居間の方から良い匂いがして来る。
食事の際の敵は燕にリィナ。
強敵だ。
早く行かないと始めの分などあっという間に消えてしまう。
もちろん燕婦人は足りないなどと言うことは無いように作ってくれているしどれもおいしいけれど、それでも残りものというのは負けた気分でいやだ。
居間に戻ると案の定昼間どこに行っているのか分からないリィナも帰って居て既に燕と共に食べ始めている。
横では賈とその部下1が僕の戻りを待ってくれていた。
「さて、始めましょうか。
それでは、紅殿の初仕事の決定を祈って、かんぱ〜い!」
賈のその声と共に今まで食べ続けていた燕とリィナもコップを持つと相手のコップにぶつけ合う。
これが鎮鋼での乾杯の様式らしい。
京では机や回転卓の端にコップを上品にこつんとやるのが当然だったのでそれだけでちょっと楽しかったりする。

「大丈夫、リィナ?」
「ん、もう寝る」
しばらくするとリィナは酔いつぶれて僕のひざを枕にすると眠り始めた。
「おや、今日のリィナ殿はひざの上ですか。
この前は紅殿の左手を握りしめていて大変でしたなあ」
「うぅ、お酒に弱いんだったらあんまり飲まないでほしいんだけどな」
実のところ、リィナは弱くはないし酔って暴れたりもしない。
ただ、燕や賈並みのペースで飲むからすぐに酔う。
そして酔うと僕に抱きついて、そのまま力をなくして倒れてしまう。
一週間ずっとこれ、そろそろ反省してほしいんだけどな。
けど、燕や賈に言わせればそれが良いらしい。
「何言ってんだ。
こんなにかわいい顔して自分のひざの上で安心しきって寝てる嬢ちゃんを見ても何とも思わないなんて男として失格だぞ。
嬢ちゃんもかわいそうになあ」
「まったくです。
どんなに拒絶されても健気に明るく振舞うリィナ殿。
あの勇姿は見ている全ての人を明るくさせるものがあります。
不肖このわたくしも自分に妻が居なければどうなっていたことか」
ちなみに賈は40を優に超えていて、見た目も燕よりはるかにいかつい。
「……それはもはや犯罪だよ」
僕と燕が身を引く。
リィナもうなされたような声を出して、心なしか顔には汗が浮かんでいるような。
「ご、誤解ですってば」
賈があせって弁解する。が、
「そういえばこいつの細君は確かまだ28か9」
ビクッ。
明らかにリィナが反応した。
「賈〜!
リィナがしがみついて離れなくなっちゃったじゃないか!」
「わたくしは別に……」
「おやおや、みんなの前ではしたない格好だねえ。
これはもうお嫁に行けないな」
言われたとおり、リィナは頭をひざの上にのっけたまま器用に僕に抱きついて、いやこれは巻きついてというのか、そのままの格好でまた安心したように寝てい た。
ちなみに、離そうとしても離れない。
「ハハハハハ。
坊や、そのままにしといてやれよ。
嬢ちゃんは怖いおじさんの夢見てるんだから」
「怖いおじさんってのは誰ですか!」
「まったく、それじゃ寝かしてくるね」
そういって立ち上がるとそれでも抱きついてくるリィナをかかえつつ出て行った。
「坊や、そのまま帰ってこなくても良いぞ」
「送り狼ってやつですね。
やはり若いのは良いですね」
「賈、やっぱりお前……」
「だから違いますってば」
中年二人が後ろからはやしたてる。
それを無視してリィナの部屋まで行くと布団にリィナをのせる。
掛け布団を指に触れさせると今まで硬くしがみついていた腕がほどけてそちらへと移る。
顔の上に跳ねた金色の髪の毛を直してやる、けど頭を振られてすぐ元に戻る。
こうやって見てるとリィナだって確かにかわいいんだよね。
燕の言うように男として何も感じないのかと聞かれたら嘘になる。
でも、そういうのと好きと言うのは違うと思うし相手の本心がまず分からない。
残念ながら一目ぼれというものを僕は信じる気になれない。
会った途端にろくに話もせずに結婚だの何だのだよ。
それでもリィナを見ていると僕のことを好きなのは好きなのかなとも思う。
人買いに譲られたときの奴隷としての地位からは開放させて入国登録もした。
西安まで戻れば珍しい金色の民ということで職に困ることもない。
央路を旅してきたリィナだ、目的地だった京まで行くことだってできるだろう。
もうリィナにとって僕の側に居なくちゃいけないという他の動機付けは強くないのだ。
そうだとしたら僕の態度はリィナに対して失礼なのかもしれない。
そして自分自身にも。
結婚を他人任せにできる良家の娘には興味が無いと言いつつ、本気で好きという思いをぶつけてくるリィナに対しては相手に遊ばれているだけと思い込んでごま かそうとしている。
これじゃ、逃げているのと同じだ。
リィナはいつまでも待ちの姿勢だけど、さすがにはっきりしないとね。
そう思うと、しゃがんで自分のおでこをリィナのおでこにくっつけてしばらくそのぬくもりを楽しむ。
「よっし、明日も頑張ろう」
そう言って立ち上がった。
部屋を出て行くときに後ろでガッツポーズをしている姿が見えた気がしたのは……
見なかったことにしておこう。

 次の日の朝、僕を団長として挨拶および視察のための使節団が派遣されることが正式に発表された。
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