一覧へ

天風星苦


作:夢希
3-3 愁い

前へ次へ

「それじゃ行ってくるね」
視察出発の日、そう言って僕は屋敷を出た。
燕や賈は忙しいから付き添いなんて無理だしリィナは鎮鋼府の人間では無いしで今までずっとみんなと一緒だったのがいきなり一人だ。
まあ、それ以外の団員とか警護の兵とかを合わせれば鎮鋼から行く人は五百人程は居るのだけれども、燕もリィナも居ない。
つい最近出会ったばかりの二人だが、もはや僕の生活に深く入り込んでしまっているようだ。
そんな二人と一ヶ月も会えないのだから寂しくないと言えば嘘になる。
けれど、これでリィナのことを真剣に考える時間ができた。
この一ヶ月で彼女への思いを整理しよう。
長い間会わなければ僕の彼女への思いももう少しはっきりするだろう。
そして帰ってきた時の彼女を見れば本当に僕の事を好きなのか分かるかもしれない。
これから庫車までの往復、さいわい時間だけはたっぷりとある。





「ラン、やっほー♪」
3時間後その思いは完全に打ち砕かれた。
もちろんリィナだ、考えるまでも無い。
すでに鎮鋼を出て砂漠に入っているというのに。
「何でこんなところに居るんだ」
「やっぱりランと離れるのは寂しくって」
いたずらが成功した子供のような彼女特有のにたにた笑い。
「それに……
砂漠は危険がいっぱいよ。
あたしなしじゃ生きて帰れる保証なんか無いわよ?」
五百人からなる使節団に向かってそんなことを堂々と言えるのは彼女くらいだろう。
はっきり言って一番危険なのはリィナのような気もするが。
「どうしよう?」
隣に居る副団長に問う。
出来れば拒否してほしい。
僕では言いくるめられず拒否できるとは思えないから。
体裁の良い言い訳でも加えてくれたのなら完璧だ。
「紅殿が連れて行かれても良いと思うのであれば連れて行かれてはいかがでしょう。
彼女が噂の法術師殿ですね。
お連れになって法術の一つも見せれば鎮鋼府の権威も高まると言うものです」
はあ、いつも祈りは通じない。
リィナは相手が拒否しそうにないと分かって得意満面だ。
「さっすが、ランと違って物分りが良いわね。
あなた名前は?」
「秦、秦業と申します。
鎮鋼府では秦業第三騎兵軍にて第一営都指揮使を任されており、今回は視察団の副団長として紅殿の補佐を任されております。
また、第三騎兵軍第一営の営都指揮師として護衛の方もまとめさせて頂いております。
法術師のリィナさんですね。
以降お見知りおきを」
聞いての通り物腰柔らかな感じの人である。
燕曰く『頭は切れそうなんだが今のとこそれが部下を守る事にのみ使われているから全く使えない』
賈曰く『あやつはただの臆病者です。紅殿、何かあった時に途中で逃げられないよう注意なさい』
見たところ部下思いだし僕にも立場上礼を持って接してくれる良い人だ。
二人の話と僕の接した感じから判断するに良い人過ぎるのが逆に災いしてるのかな。
将軍派でも燕・僕の側でもなくという、けっこう孤立した立場にある人だ。
それも出世なんかより部下のことを一番に考えてきた結果なのか。
が、そんなことリィナにとっては全く関係ない。
「要するに今回のランの補佐役でチンさんね。
わかったわ、よろしく」
リィナにとって秦(qin)でチンとなるらしい、
秦はそんな名前で呼ばれても変な顔一つせず頭など下げている。
「それでね、ラン。
補佐役であるチンさんは許可をくれたわよ。
ということはあたしもついて行って良いんでしょ。
まさかランはこんな砂漠のど真ん中で健気に待っていたあたしを置いて行ったりはしないわよね」
ここからならまだ鎮鋼の町は見える。
決して砂漠の真ん中ではなくそもそも、ここまでリィナは一人で来たに違いないのだ。
今からリィナ一人で鎮鋼まで帰してもなんら問題は無いはず。
それに、僕が待っててくれと頼んだわけではない。
頼んだわけではないが……
「しょうがないな、でも大人しくしててくれよ」
そんな事言って聞いてくれるリィナでもないのは分かっている。
「当たり前じゃないの。
なんせランお付きの法術師として行くんですからね。
ばっちり頑張ってあげるわ」
張り切っているリィナ。
「あぁ、だから何も頑張らないでいいって言ってるのに」
結局今回もリィナに振り回される運命らしい。

 気を取り直して、今回の道順を考える。
行きは北の関所玉関を出てそのまま天山北路を庫車まで行く。
帰りには天山南路を経て南の関所陽関から帰る。
とはいえ庫車から南路へ向かう道は大変らしく、実際は何やかやと理由を付けてそのままもと来た北路を帰ることになるらしい
燕の話だとこれで一月半ほど。
ちなみに、南路、北路と言うのは両方とも既に立派な央路の一部である。
それどころか、鎮鋼から西安を経て京へと続く道を央路と見なすこともある。
央路とは何も定まった一つの道を指すのではない。
帝国と連合を、大陸の西と東とを結ぶ道の集まり。
それが央路なのだ。
決められた道が有る訳ではなく新しい便利な道が作られればそこに変わるだろうし、砂漠のようにつ通れなくなるか知れたものじゃないようなところは継続的に 道 が変わり、なおかつ一つがダメになってもすぐに二つ目の道ができる。
……今通っている砂丘の合間を道と言って良ければね。
黙って後を付いていくだけで、はっきり言ってどこをどう歩いてるのかはさっぱり分からない。
地図を見た感じだといくつか有るオアシスを通って行くようになっているはずなのだけど。
この砂漠の中をほんとに着けるのかな?





 もう18時を回っておりだいぶ傾いてきた太陽はさすがにもうすぐ落ちそうな気配。
方角を変えると既に半月より少し太っちょなお月様が僕らを見下ろしている。
ちなみに今の時期、日が暮れるのは日に日に早くなる。
燕の話だと真夏の頃は22時頃まで明るかったりするらしい。
これまでは夕焼けの下で稽古を行えたけど視察から帰ってくる頃にはそれも無理になるだろう。
そんなこと考えながら周りを見渡すと周囲から少し離れた所にリィナが居た。
他の人ならともかくリィナ相手に隊列云々を言う人は居ないよう。
西安からの時と違い馬に乗っているけれどさすがにまったく危なげはない。
むしろ僕よりさまになってると言っていい位だ。
それもこれも央路の旅のお陰に違いない。
ところで、途中で見かけた隊商は一人当たり十以上ものラクダを連ねていたけどリィナはどうしていたのだろう?
こうやって孤高に立つ姿も良いけれど、たくさんのラクダを背にぐったりしているリィナもそれはそれで似合いそうだ。
まあどっちかと聞かれたらそれは応えるまでもないけどね。





「ラ〜ン。
何だれてんの?」
少しぼけーっとしていたらリィナが話しかけてきた。
太陽を避けての昼夜逆転した生活。
視察を行い歓待を受ける僕らにそれは許されない。
場合によっては今みたいに真っ昼間に出発することになる。
「ん、いけないいけない。
暑いからかな。
ちょっと気力がね」
「はい、水♪
ランみたいな砂漠初心者はきちんと水を取らないとだめよ。
こうしてる間にもどんどん水分失ってるんだからね。
あと少し陽が傾いたらそれほど暑くは無くなるはずだからそれまでの辛抱よ」
そういうと皮袋を渡してくれる。
既に暖かくなっているそれがのどを通るだけで身体全体が潤うような癒しの感覚。
「ありがと。
それにしても鎮鋼に来るまでも砂漠だった気はするんだけど今のところとは大違いだね。
この前はもっと楽だったと思ったんだけどな」
「確かにここらより前回の方が楽ではあるけどね。
ランが楽に感じたのはどちらかというとエンが初心者のランのためを思った旅程を組んだからよ。
真昼間は動かないようにしてたし上に布を伸ばして日陰のできるような馬車を用意してくれてたでしょ」
言われてみれば、わざと強行軍をさせられて燕にしっかりしろと言われたあの時以来倒れるどころか体調を崩すなんてこともなかった。
風土のまったく違う鎮鋼まで来てこうやって元気で居られるのも婦人のおいしいご飯を食べて安心できる雰囲気の元でしっかり休養をとってるお陰なのは間違い ないし。
「ま、エンってば得な性格してるくせして目に見えない心遣い全開な人だから気づかなかったとしてもしょうがないけどね。
前回のエンの立てた計画に対して今回は5,6週間で庫車まで往復。
そんなにゆっくりしてる暇は無いでしょ。
ってもねー、まだ楽しい旅行は始まったばかりじゃない。
もうちょっとくらいシャキッとしなさい。
明日からしばらくはオアシスの間隔が長くなるからもっときつくなるのよ」
「おやおや、リィナさんは央路に詳しいようですね。
その通りです。
紅殿も頑張ってくださいよ」
横から副長の秦が割って入ってくる。
そういう秦自身も砂漠を歩くのは得意なようだ。
見た感じ25かそこそこの若さで営都指揮使を務める程なんだからやはりただの優しいだけの男ではないと言った所。
「何言ってんのよチンさん、当然じゃない。
なんたってあたしがここを通って帝国に来たのはたった1ヶ月前ですもの。
でも、北路の方は通って来たから知ってるんであって、南路の方はさっぱりよ」
「ふふ、今どき南路を通って旅する予定の人なんて私たち位でしょうね。
私たちだってひょっとしたらまた北路で戻って来ざるを得ないかもしれませんよ。
今、南路はひどいですから」
砂漠で道がだめになる原因は限られている。
「そういえば私の来た時も当然のようにみんな北路を選んでたわね。
水でも出なくなったの?」
「いいえ、オアシスなんて数も規模もあちらの方が勝ってますから水に関しては問題ありません。
それに通ること自体向こうの方が楽ですし。
北路より2日も早くつけるほどですから。
ですが、出ると言う話なんです。
魔獣の一とされている火炎蜥蜴。
お陰でオアシスの町も廃れてしまって。
たとえ魔獣が出るという話が本当でも旅程に変更は出ませんが、捨てられた町の数によってはこの規模の部隊だと十分な補給が出来なくなってしまうかもしれま せんからね」
リィナは意外そうな顔をする。
「へ、サラマンドラ?
既に絶滅種のはずよ。
それに央路に巣食うなんて向こう見ずな魔獣が居るとは思えないけど……
まあ、現に出てるという噂があって道一本使えなくなってる以上何かがあるのは間違いないんでしょうね。
今回は運良くあたしが居るから大丈夫だろうけど、そんなのこれだけの人数が居ても倒せるとは限らない相手じゃない。
どう戦っても死者は避けられないわよ。
それなのにたかが視察でそんな旅程を組むなんて、何を考えてるの」
魔獣なんて架空のものだと思っていたけれどリィナの驚きようを見ていると実在するらしい。
その上、秦が
「大丈夫ですよ、リィナさん。
ここら辺に住んでいる火炎蜥蜴達は頭が良いので。
これだけの人数がいればあちらにとっても危険ですから決して襲ってはきません。
逆に言うと退治したくても討伐隊を差し向けようが無いのですがね」
などと妙に具体的なことを言う。
「ふ〜ん」
「まあ、今回は例え何かあったとしてもリィナさんが居ることですし。
大船に乗ったつもりで居させてもらいます」
「まっかせなさい!
少なくともランだけは何があっても守るから」
胸を張って限定するリィナ。
「いえ、出来れば私達も……」
秦は困ったように曖昧な笑みを浮かべている。
「与力があったらね」
「リィナ」
「分かってるわよ。
ちょっとからかっただけじゃない。
それじゃ、あたしは先頭の方に行ってるわよ」
「おやおや、紅殿も大変ですね」
女の子って難しいな。
どうやら急に不機嫌になってしまったみたいだ。

 鎮鋼を出発してから二週間がたった。
旅は順調に続き僕もかなり砂漠に慣れて来た。
行く町々では立派な歓待を受ける。
町にしてみればこれだけで帝国の勢力圏として守ってもらえるのだからありがたいということらしい。
町と町の合い間は砂漠用の簡素な携帯食なので豪華なものの食べすぎで体調が、ということもない。
「さあ、見えてきましたよ。
あれが庫車の一つ前の町吐露です。
ここは山脈の裂け目が近くにあるため、山脈の北に居る騎馬民族からの侵攻を受けやすくなっています。
お陰で見ての通り我が帝国の町のように全体が城壁で囲まれて居ます。
まあ、他のオアシスも似たようなものでしたが他より頑丈そうでしょう」
確かに。
町自体が規模的に大きいとはいえ、その城壁はその差を補って余りある強固さに見えた。
でも、
「山脈の裂け目から北の騎馬民族?
天山北路なんだよね?」
ちなみに天山北路や南路と言う名前は天山山脈の北側を通るか南側を通るかで分けられている。
「いえ、山脈と言っても戊琉甫山脈の方です。
今は天山山脈側を歩いているので見えないでしょうが、あちら側に一日ほど行けばまた山脈に突き当たります。
あちら側の麓付近にも道から外れているために町にはなっていないけれども水の豊富なオアシスがあります。
略奪に来るにはもってこいの地形ですね。
そう言った脅威を他のオアシスよりも直接的に感じているためか私たちの帝国の存在をありがたく感じて下さっているようで。
町としては中規模ですが対応はこの視察でも一番いいと思いますよ」
「でも、ここを守っているのは帝国兵じゃなくて傭兵なんでしょう?
恩を感じる理由は?」
「傭兵でも騎馬民族の略奪を毎回完全には阻止出来ませんよ。
襲う側もここできちんと戦利品を手に入れないと今度は自分達が困るので命がけですからね。
ですが、私達帝国は略奪を阻止できなかった場合でも略奪後の対応をきちんとしてあげていますから。
鎮鋼や西安には略奪の多い町に対してそれ専用の予算もあるのですよ」
それは知っている。
書類の山にいくつかそういったものも含まれて居たから。
だが、彼等の被害は死者何名とか拉致された女・子供何十名とかそう言ったものも並んでいた。
それはどうあがいても補償できないもの。
町の人たちはそれをどうやって受け止めているのだろう。
一覧へ前へ次へ

こ のページにしおりを挟む

戻る

感想等は感想フォームか、
yukinoyumeki@yahoo.co.jpにお願いします。