堅遼が皇帝自ら延帝国に降って四日。 遼王趙基、元堅遼皇帝にして現在京では時の人である彼がうちを訪ねてきていた。 うち、と言っても如春と住んでいる新しい方の家じゃあなくて親父の家。 つまりは実家。 親父は枢密使であり、中書礼と二人でとはいえ宰相も兼任して居る。 これは臣下の身分じゃ帝国の最高位だ。 そして枢密院はこれから対ハルン・盛夏討伐を起こす帝国軍を統率するもの。 一方の趙基はその前線となるであろう堅遼の王。 ならば趙基が親父を訪ねて来ることには何の問題もない。 気になったのはそれがちょうど俺の居る時であった点。 今は俺にも如春の待つ帰るべき家がある。 そんな俺が実家に寄ったその時に趙基が訪れたというのは偶然なのかどうか。 あの男は堅遼の降伏を認めるというあの決断の時に陛下が俺を見て安心したのに気付いていた。 そして、俺がそれに気付いていたことにも。 今日はちょっと寄るだけのつもりだったのだがそのことが気になっていまだ帰れずにいる。 趙基来訪の目的が俺なのに俺が帰ってしまっちゃ目も当てられないじゃないか。 「辛様、お父君がお呼びでございます」 そしてこういう感はよく当たるんだよな。 告げられた行き先は書斎だった。 書斎で一杯のお茶、これが親父にとっては最高級の歓迎だ。 真剣に話し合うためにはこれがあれば十分ということらしい。 宴席などただのおだて、接待に過ぎない。 言っておくが如春同伴の夕餉に招かれたあいつは論外だぜ。 婿にしようという相手と客人、同じ土俵に乗せること自体が間違っている。 「うむ趙基殿、これが愚息の辛だ」 俺が入ると二人は会話を止めて俺のほうを見た。 「張辛にございます」 紹介され頭を下げる。 「辛、趙基殿のことは知っているな。 つい先日堅遼王になられた方だ。 延帝国が堅遼とハルンについてどこまで把握しているのか知りたいということでな。 そういったことに関してはお前の方が詳しいであろう」 俺が頷くと親父は立ち上がり、頼んだぞと言い残すと部屋を出る。 何やら二人きりで話させたいことがあるということか。 親父は目的も何も言わずに席を外したがそれは察せということ。 それは俺が信頼されている証。 それは俺が同情無しでも親父の息子で居られる力。 実子同様に扱うだけではなく、末娘をもその存在の抹消までして譲ってくれた。 親父がなんと思おうと、それだけの価値を俺は示し続けねばならない。 「悪いがお主のことは調べさせてもらった」 二人きりになった途端、唐突に劉基はそう言ってくる。 亡国の王、しかも延帝国とは戦わずして、だ。 嘲っているやつも居るようだが俺は違う。 無断で朝廷に乱入して降伏するなんていうことを考え、実際にやってのけるという時点で舐めて掛かれる相手であるはずがないのだ。 不意を付くような台詞もこちらに思考をまとめさせないためか。 「延帝国から見た堅遼及びハルンということで呼ばれたと聞いておりますが?」 なら、こちらはタテマエを聞き返すまで。 話をしたがっているのは向こうなのだ、焦る必要はない。 「そのことならば前の朝廷で盗み聞きさせてもらったわ。 あの時に感想も言っておいたであろう。 お主の考える我が国の強さは楽観的に過ぎる、と。 本当に知りたかったのはお主という人についてだ。 陛下に信頼を得、枢密使殿をして自分より詳しいと言わしめるほどの御仁。 情報収集力も分析力も桁違い、それでいながらその他大勢からの評価はかなり悪い。 そんな人となりに少々興味をいだいてな」 「それではこうやって話すほどのこともございませんでしょう。 調べられれば分かる通り。 外戚という身分を利用して陛下に取り入ってはいるものの出世からは縁のない無能な男にございます」 ま、やっかみ10割といったところで俺は余り好かれちゃいない。 似たような噂はちょっと調べれば幾らでも聞けたはずだ。 「出世に興味のないものならどこにでも居るであろう。 我とて身分などより我を慕う民を守るために延帝国の下に着くことを選んだのだ。 そのような生き方を選ぶ者が存在することも目の前に居る者がそういった者であるかどうかも。 それは我にとっては自明の理。 我はそのような不毛な禅問答をしに来たのではない」 痺れを切らしたようにそういう。 気が短いなと思ってはたと気付く。 そういえばこの人は元皇帝、となればさすがに俺みたいな若造から話を逸らされるのに慣れてはないわな。 「では、どのようなご用件で」 正直に答えが返ってくるなんて思っちゃいなかったのだが。 「義兄弟の契りを交わしに来た」 一瞬、ほんの一瞬だけ、俺の思考が固まる だって義兄弟だぜ? まあ、狙いはさっぱりだが俺も買い被られたもんだ。 「我はこれでも堅遼を支配していた者、使える手足ならいくらでもある。 が、これからは延帝国の下に着く身。 今までとは違い堅遼内のことだけではいかぬ。 大陸東部全体の流れを掴めるものが必要なのだ」 なるほどね、確かに俺は親父のために働いているからその情報量は半端じゃない。 そちらが俺を必要なのはわかった。 もちろん有数の強国であった堅遼のこと、情報収集や諜報に力を割いていなかったはずがない。 が、国が違えばそれだけ持てる情報に違いが出る。 得意とする諜報分野、知りたい事柄、友好関係にある者、そういったものが変われば集まる情報が変わってくるのも当然だろう。 延帝国固有の情報、枢密使である親父とのパイプ、そこら辺が義兄弟とまでいわせたか。 けどな、俺だって暇じゃない。 「まことに申し訳ございませんが、そのような……」 断りの言葉を述べようとすると趙基は留めるように強引に言葉を継ぐ。 「我はお主のことは調べさせてもらったと言ったのだ。 お主と枢密使殿の本当の関係も、花嫁殿がどなたであられるかも。 全て存じておる」 調べるも何も、その二つを知っているのはうちに仕えるものの中でもごくわずかだ。 特に信頼出来る者のみ、彼等は例えどんな拷問を受けようと決してもらしはしまい。 他に如春本人以外で知っている者といえば…… 「つまり、父君からおぬしのことは全て聞いておる。 父君の許可を得てお主の秘密を知って。 そして我は義兄弟の契りを求めているのだ」 親父が、ばらした? それは義兄弟の相手として認めたということ。 そこまでこの遼王を信頼し、買っているというのか? 「全てを聞いておられるのならお分かりいただけるでしょうが、私は生みの親の跡を継いで父上の手足をしております。 手足たるもの、その本分を最上といたしませねば。 手足が他の事に縛られていては頭である父上が困ってしまいます」 親父がやれというのならこれを断ることは出来ない。 しかし、それならそれで俺を納得させてほしかった。 趙基本人から、納得して味方に付こうと思うだけの説得程度はしてほしかったのだ。 それに、忙しいというのはあながち嘘じゃない。 俺の仕事は主に親父のための情報収集と分析。 情報収集と言ってもこの広い大陸東部、俺一人じゃ限界がある。 よって、俺の持つ情報はほぼ全て配下からの情報だ。 暗部衆と呼ばれ、実父に従っていた彼等に俺はどの地方のどの情報が欲しいか等を全国内どころか国外にまで渡って指示しなければならない。 そうして得た雑多な情報はまだ価値はあっても原石のままだ。 俺はさらにそれをまとめ上げて使える状態にして親父に提示しなければならないのだ。 当然詳しく聞かれることや自分の意見を求められることもあるのだからそれへの準備も必要になる。 さらに、暗部衆はその名前からも分かるとおり実父の頃はただの情報収集や密偵だけが仕事ではなかった。 そんな彼等の暴走を押さえ込むのも実は結構大変なのだ。 俺と親父のためを思っての行動だったりするものだから尚更に…… 「陛下のことは?」 確かに、陛下の相談に乗るのも俺の仕事だ。 それに時間を割かれていては親父の手足としては支障が出る。 ただ、親父が国政を決めるための情報と陛下に国勢をお伝えするための情報ではそれに必要な量も質もまるで違う。 陛下にお話しすることなど、実際は親父のために準備していた情報だけで事足りてしまったりするのだ。 ま、とはいえ後宮で暮らす陛下に会う。 そこまでの過程だけでも当然時間は削られるわけだが。 そこはほら、弟みたいなものだし。 息抜き息抜き。 「陛下には敬愛の念と共に兄弟のような感情をもいだいております」 兄弟、兄と思っているか弟と思っているかは秘密だ。 「そして、何より陛下はこの国になくてはならない存在。 陛下あっての帝国。 陛下あっての父上。 どうして陛下のことを軽く扱えましょう?」 その答えに予想していたかのように頷く趙基。 「兄弟のような存在、か。 だからこそ我はお主と義兄弟の契りを結ぼうとしているのだ」 ふむ、ここまで趙基の言動は一致している。 俺の助力が必要で、それを得られるのが家族のみというのなら俺と義兄弟になることも辞さない、か。 そして彼はおそらく断られることを考えていない。 それは考えが足りていないのではなく…… 「元皇帝、堅遼王などと言われようと延帝国には味方等一人も居なかった身。 おぬしの父君には後援を頼んだのだ。 はじめ、おぬしを使いたいと頼んだら『あれは自分の手足だ』とばっさり断られた。 それでもしつこく頼んだらな、『自分はあれの父親だから仕事を助けてもらっている。陛下も甥じゃ。もし、趙基殿があれの兄弟であったならあれも必ずや張基 殿のために働いたでしょう』という答えを得たのだ。 それにな、我は我自身のために働けと言っておるのではない。 皇帝という肩書きのなくなった今、お主の養父である枢密使どのに人柄・実力共に敵わぬのはわかっておる。 だが、今後我は実質には延帝国の前線司令という身になろう。 すなわち我を通して父君の、そして陛下の御為になると思えばどうであろうか」 そんなこと言ったら帝国の民は誰だって陛下のために働いてることになっちまう…… 「はぁ、そのようなものですかねえ」 正直言って趙基はまだ力不足だ。 その領内に有る人も物も全てを所有する皇帝という地位にあったせいだろう、個人としての能力は高そうだが結局俺を納得させることは出来ていない。 だが、そのことを自覚しているなら徐々に変わっていくことは出来るだろう。 「わかりました。ご助力はいたしましょう。 しかし義兄弟というのは回りに妙な憶測を立てられるだけであり益はないかと思いますが?」 「ふむ、そのような関係には憧れて居ったのだがお主がそう言うのであれば仕方がないな」 愚鈍なたわ言というよりは無邪気そのものの表情でそう言うとあっさり引き下がる。 有能で元皇帝でその上無邪気? まあ、義兄弟になってやればそれはそれで面白いのかもしれない。 でもなあ、義兄弟といわれてぱっと思い浮かんだのは陛下とあともう一人だからなー。 もう一人、最近まで朝食を共にし、今は鎮鋼で悲鳴を上げているであろう青年。 そして、如春と俺の思いに気付きそれを言葉にまで仕立て上げた青年。 |
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