えと、解説者です。 取りあえず3章オアシス部を終えるに当たって辺境部の説明でもいかが? いらないという方はこちらから続きへどうぞ。 まず、央路東部について。 これは京を始点とする場合と西安を始点とする場合の二通りが有りますが、どちらにしても鎮鋼府までを第10区とします。 京-鎮鋼間とすると実は一区間としては破格の長さになるのですが、安全で楽・同一国内などを考えると妥当でしょう。 砂漠での100キロと街道での100キロは重みがまったく異なります。 実際、この区間を通る人々は帝国民が大半でそこには央路を旅しているという意識はありません。 第9区は鎮鋼から楼蘭まで、そこから紅狼たちが今居る吐露を経由して庫車にいたるまでが第8路天山北路及び南路ですから南路の場合はまた違うルートでこの 二路を費やします。 庫車からは天山山脈の低い箇所を越えて天山南路に出られますが、実際はそんなところ通る人はほとんど居ません。 実際の合流地フェルガルヌまでは庫車から更に6,7路を経、そこからサマルガンドに至るまでの道が第5路となります。 (http://www.nhk.or.jp/silkroad/playback/index2.html 現実にはこんな感じで西のカシュガルから南西 に下っていった所にサマルガンドがあります) また、天山北路はこれから説明する分類では砂漠には当たらないのですが、(一般には草原(ステップ)の道と呼ばれている程です。とはいえ日本語の草原の語 感を考 えればそれも言いすぎでしょう。) 北にもう一つ山脈を持ってくることでそこいらも砂漠・沙漠化させてしまいました。 ここで「沙漠」と書きましたがこの地帯の代表的な土地属性として草原・荒野・沙漠・砂漠があり、違いは主に水・草の量の違いで右に行くほど少なくなりま す。 草原から沙漠までは一応生活が可能ですが、定住できるほどの地力はありませんから放牧などをしながらの遊牧が主となるわけです。 例えば礫沙漠といえば細かな小石が大地を覆いちらほらと緑が覗く感じですかね。 一方、最後の砂漠部に住むことはほとんど不可能で、そのことが逆にオアシスという中継地点としての定住地帯を作る事になっています。 で、もう一方の天山南路ですがこちらは大部分が砂漠です。 シルクロードというイメージから来る砂漠はむしろこちらですね。 しかもこの砂漠は天山山脈南側広域に広がっています。 さて、そうなると南北両路が山脈に沿っている理由も分かるでしょう。 山脈は冬の降雪を貯める自然の貯水池として機能し、それがオアシスへの水の供給源となるためです。 では、火炎蜥蜴(火蜥蜴と書きたかったのですが……これまた蛇足ながらサラマンドラと火炎蜥蜴という呼称の違いも名前の時と似た理由です。サラマンドラが 普通名詞 ではなく固有名詞と認識されてしまったが故に生じたものです)の居る南路は現在どうなっているのでしょうか。 交易や交易商人目当てのサービス業が主体のオアシスですからサラマンドラを恐れて客足が遠のくとやっていけなくなり、ついには町を捨てなければならなくな ります。 が、今回の場合一概にそうは言い切れません。 南路の側には生活圏ではない砂漠が広がっているため普通に通るだけでも北路より大変なのですが、 それは逆に言えばそこで生活をするのも大変だと言うことを意味します。 つまり、遊牧騎馬民族等の賊の居ない比較的安全な旅を保障してくれるのです。 北から来ようとする賊に対しては天山山脈自体が壁となっています。 火炎蜥蜴の出現を心配する必要の無いだけの規模を持つ隊商にとって南路は商品を奪われる恐れの少ない安全な道となるわけです。 結果、小規模な隊商は北路を、大規模な対象は南路をという住み分けが出来てきています。 以上がフェルガルヌまでの道です、そこから先のサマルガンドまでは川沿いの道です。 サマルガンドは分岐地点となり、ここから西北西へ向かうと連合へ、南西へ向かうとホウスティス諸王国へ向かう道と別れます。 元々はホウスティスを経由して連合へと向かう道が栄えていたのですが、連合の成立・興隆に伴ってホウスティス圏に入らずに西北西へと向かう道も発達して、 仕 舞いにはこちら側をメイン にして央路とされるまでになってしまいました。 もちろん、西南側ホウスティス路も多少交通量が減った程度で寂れてはいません。 図にするとこのようになります。(簡易版です) |