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無限の日


作:夢希
2−1.侘ビ桜

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「はぁっ、 はぁっ、はぁっ」
両側を田んぼに挟まれた細い道を少女が駆けてゆく。
「早くゆうきが居なくなっていないか確かめないと。
守に後をつけられないようにしないと」

 向かう先には小山があり、その中央には一筋うんざりする程長い石段が見えている。
山頂など見る気も起きないがそれでも無理して見上げれば無意味に大きな石の鳥居が目に付くだろう。
山の下、階段の開始地点にも小さいながら同じような鳥居がある
考えるまでもない。
ここは、真の意味での社だ。
だが、小山の下までたどり着くと少女はそんなこと気にも留めずに石段を駆け登り頂上を目ざし始める。
どうやらこの山頂に用があるらしい。
 けれどそこは小さな少女のこと。
疲れたのかすぐにその足どりは大人が歩いて登るよりもはるかに遅くなる。
不安になったのか後ろを振り返る。

 子供が一人遠くに見えた。

田んぼの中のあぜ道を駆けてくる、少女よりも更にまだ二つか三つくらいは幼いであろう少年。
一応こちらへ向かって来てはいるようだが、ここまではまだかなり距離はある。
「良かった、これだけ引きはなせばもう大丈夫。
ここが立ち入り禁止なのは守も教わってるから私がここに居るなんて考えもしないはずよね」
少女は安心すると一息ついてまた階段を駆け登り始めた。

石段を登る姿が木々の間からちらちらと漏れているのに少女は少しも気付いていない。
少年は目を凝らしてそれを見ると小山の方へと歩を進めていった。


 長い石段、ようやく登りきると鳥居をくぐる。
そこは小山の頂。
真ん中には一本巨大な樹、葉が生い茂っている。
桜の木だ。
幹の中程には奇妙な模様の描かれた白い紙が巻かれている。
それ以外は何もない、誰も居ない。
当たり前だ。
ここは社、そういう場所なのだから。



「ゆうきー!」
桜の前に立つと少女が大声で何かを叫ぶ。
しばらくその声が響き渡った後。
「ん、なんだ慧か。
もうそんな時期なのか」
奥から何モノかの声がする。
その何モノかは徐々に近づいてくる。
と言ってもここは山の頂き。
奥?一体どこにそんなものがあるというのか。
だが、声は確かに奥から響いてくる。
「よかった、まだ居た」
警戒を深める我とは対象的に安堵の息を吐いて少女はそれをじっと待つ。

 突然、風景が一変した。

今まで目の前に有ったと思っていた大木は跡形も無くなっており、そこには平屋の小さな、だが感じの良い屋敷が一軒建っていた。
人の敷地に入っていたらしい、見渡すと周りには小さな家に不釣合いな程高い垣根がそびえている。
垣根の入り口は見当たらない。
私だけなら気付いたら中に居たということも十分にありえるのだが少女まで中に居るのだからどこかに入り口があったということなのだろう。
 屋敷の奥から声が近づいてくる。
「まったく、そんなに急いでどうするというのだ?
そんなに慌てずとも我は逃げぬといつも言っておろうに。
しとやかさは淑女に欠かせぬものの一つだぞ」
そう言いながら家の中から出てきたのは長く伸ばした髪を一つにまとめ、無精髭を生やした長身の若い男。
若いと言っても少女と比べれば立派に大人だ。
男は我の方を一瞬睨んだがすぐに興味なさそうに目を逸らし、それ以降私の方を気にするそぶりは見せない。
睨んだと言うのも気のせいだろうか、やはり他のモノ同様気付いていないのか。

 少女は男を見るとうれしそうに駆け寄り抱きついた。
ここに来るまでの疲れなど男と会っただけで吹き飛んでしまったようだ、そして
「ホントのホント?」
先のちゃかすような男の言葉に少女は猜疑の目を向けてそう聞く。
ホントとは?何に対してホントかを聞いているのか。
そうか、逃げぬということか。
「本当だ。 何せ動けぬからな」
「でも私ゆうきが何なのか分かったよ。
それでも本当に居なくならない?」
瞬間、ゆうきという名のモノの周囲で空気が変わる。
少女はそれを恐れてか逃げられないようにか、さらに強くゆうきにしがみつく。
「縛られていては居なくなりようがないだろう。
だが、我の正体が分かったとな?
おもしろい、言ってみるがよい」
「あのね、ここの階段の上と下にとりいがあるでしょ。
でね、とりいの中には神様が住んでるんだって。
ゆうきはここから出られないんでしょ?
だから、ゆうき実は神様なんだよ」
少女が語り終える頃にはゆうきはまた元に戻っていた。
「神様か、まあそのようなものかもしれぬな。
それで慧よ。
我が逃げぬと分かったのに何故にまだ捕まえてるいるのだ」
「あのね、神様っておねがいをかなえてくれるんでしょ。
私かなえてほしいおねがいがあるの」
それを聞いたゆうきの顔が今度こそ激しく変わる。
だがしがみついていて上の見れない慧と呼ばれた少女はそれに気付いていないだろう。
傷ついた顔、諦めの顔、そして悟った顔。
そして一度首を振ると何事も無かったかのように続ける。
「何だ?言ってみるがよい」
「あのね、夏休みをもっと長くして欲しいの。
私がここに居ていいのは夏の休みの間だけなの。
だから」
子供特有のくだらないお願い。
「そんなもの、休みが終わってもここに居ればよいだけの話だ。
叶えるまでもあるまい」
そんな無茶を言うゆうきは神の話をする前の穏やかなものへと戻っていた。
「そしたらパパとママに会えないよ」
当然慧は反論するが分かっていて言っているのだからゆうきも譲らない。
「そのモノ等もここに連れてくればよい」
「それができたら頼まないもん。
パパもママもすごく忙しいんだから」
慧はなぜか忙しいというところで胸を張りながらそう言う。
「では、我とそのモノ等どちらが大事だ?」
答えられずに困っている慧。
ゆうきはそれを見て軽くため息をつく。
「どちらも大事、か。
まあよい、まだそんなものだろう。
何にせよ我はここに封じられておるだけでな、願いを叶えられるわけではない。
封印にほとんどの力を割かれておるせいで力もほとんど持てぬしな。
だがそうがっかりするな。
今年の夏はまだ始まったばかりなのだ、まだまだ居られるのだろう?
それを楽しもうではないか」
封印に力を割く?ゆうきが封じられているのではないのか?
妙な違和感を私は感じたが、
「うん!」
ゆうきのその声に慧はさっきまで困っていたのが嘘のように明るい返事を返す。
「それで、何故我はまだ捕まれておるのだ?」
「そんなのゆうきだからに決まってるよ!」
ゆうきの疑問に慧は明るい声を返すとギュッとしがみつく。
 しばらくしがみつかれたままで頭を撫でた後、ゆうきが縁側に座ると慧もその隣に座りゆうきのひざを枕にする。
そして慧がせがむとゆうきは何か語り始めた。
何の事は無いただの昔話。
だが、それらは全て生々しくまるで実際にそこへ行き見てきたかのような現実感を伴っていた。





「そろそろ帰らないと」
何時間が経ったのだろう。
昔話をしてお茶を淹れて慧の近況を聞き他愛の無い話をして慧が眠るのを優しい目で見つめて慧が寝ているのを飽きもせずじっと眺めて起きた慧に茶菓子を与え また話をして。
慧とゆうきは日が傾き始めるまで縁側でずっとそうしていた。
「いつもより少し早いようだが」
「ゆうきでもそんなの気にするんだ」
「我は慧のことであれば何であれ細心の注意を払うとも」
「アハハ、そういうことにしといてあげる。
あのね、今年は守って言うのが一緒に来ててここにはそいつに黙って来ちゃったから。
さすがに日が暮れるまでに家に着いてないとあいつが騒いで大変なことになっちゃうかもしれないじゃない」
「心配ないさ」
ただの気休めにしてはゆうきの口元が笑っている。
が、慧は気休めとしか捉えなかったようで、
「宮様のお屋敷帰るのにも時間かかるしそうも言ってられないのよ。
……
ねえ!」
しばらく何か考えるように黙っていた後、突然慧がせがむような目でゆうきを見る。
「あいつも連れてきていい?
ちょっと生意気で変わってるけどここのことは絶対にばらしたりしないと思うから」
慧の頼みを聞いて今度こそゆうきは笑い出す。
「それは我の許可を取るに及ばぬようだぞ。
なあ?」
そしてゆうきは虚空に向かって話し掛けた。

その声に合わせて慧よりもさらに二つか三つ小さいであろう少年が顔を出す。
ここに来る途中で見かけた少年だ。

「守!」
呼ばれて少年は片手を挙げるとどうでも良さそうに周りを眺める。
「慧を帰してから相手してやろうと思っておったが、時期的にも慧の知り合いだろうと思っておったわ。
だが、慧を探して迷い込んだなどという言い訳は信じぬぞ。
自力でここに入って来れて隠れ方まで身に付けておるようであるしな。
慧、こやつは何者だ?」
「この子が守だよ、神代守。
私の二つ下で何か将来私と守がけっこんするとか勝手に決まってるみたい」
「ふむ、誰かと思ったら神代のモノか。
我が結界如きに宮家を一つおかねばならぬほど弱体化したモノ等が今更何をしに来た?」
我が結界?まただ。
ゆうきは封じておるのか封じられておるのか、訳が分からぬ。
「ロリコン野郎に教えてやるつもりはねえなぁ」
それに対して少年がぶきらっぽうに返事をする。
幼さを存分に残すその外見からは想像も出来ない語り口だ。
「ロリコン?
神を相手に新しき言葉を使うなと言われておろうに」
ゆうきはそう言うとしばらく空を眺めていたがしばらくして頷くと続ける。
「なるほどそういう意味か。
当たらずとも遠からずだが一緒にせぬでもらいたいな。
どんなに大事にしたところで人はすぐ死んでしまう。
なら少しでも長く共に居たいではないか。
その幼さを愛し成長していく様を愛し、その愚かさを愛し熟れゆく様を愛し、老いし後もその美しい在り様を愛す。
これだけ楽しんでも時を共にしておられるのはほんの数十年のみなのだぞ。
小さな頃から大事にして一瞬でも長くと願う我の気持ちをそのような物差しで測らぬでもらいたい」
そこで一息つくと普段のゆうきに戻る。
「それにしても、お主らの方こそ分からぬ。
確かに多少血の良いのは認めるがこやつは我が労をかけたからこその我にとってのみの特別だ。
何ゆえ神代のモノが嫁に欲しがるのだ?」
「俺は俺だ、親が何と言おうと神代も何も関係は無い。
ただ、カネというものにかかれば愛も血統も裸足で逃げ出すらしいな」
それを聞いて面白そうにゆうきが笑う。
「はははははは、それなら合点がゆくぞ。
神代も地に落ちたものよな」
「守もゆうきも何を言ってるの?」
慧の声にゆうきは慧の身体を抱き寄せるとひざの上にちょこんと乗せる。
「それで、神代のモノがどうするつもりだ。
まさか『神』の代理風情が我を邪魔するつもりはあるまい?」
守はそれを聞くと小馬鹿にしたように笑う。
「代理?
馬鹿なことを。
選ばれしモノ、神共の代表が神代だ。
お前ごときに代理呼ばわりされる謂れは無いな」
ゆうきも笑う。
「ハッ!代表だと?
いつから神代がそんなに偉くなったというのだ。
どうやら代理殿は記憶を引き継ぐのに失敗したどころか伝承すらきちんと出来ていないようだな。
『神』共もさぞかし嘆いておろう」
それに対して守はむっとしたように返す。
「俺らの仕事見てれば代理か代表か位は簡単に分かるだろうが。
神の代理が神を取り締まれるかよ」
「ふむ、『神』の存在自体知らぬか。
どうやら我が篭っておった僅かな時間も人の身を持つ神代には長すぎたらしいな。
噂には聞いておったがあの神代がここまでボケるとは思わなんだぞ。
それとも、知らぬふりをしておるだけか」
「で、用件だったな」
守はあえて無視するように話を戻す。
「簡単だ、慧を返してもらいたい。
もともと人を惑わして己がモノにすることは禁止されているはずだ」
「だが、我は術など用いてはおらぬ。
我に慕うモノを我が神少女となすことに何の問題が在る?
それに先に禁を破ったのは人だ。
お主も神代なら知っておるであろう。
何故我がこのような場に留まらねばならぬのだ?
常に力を吸われつつ神去ることすらまかりならずに。
その咎を我に慕う娘一人で済ませてやろうというのだ。
何モノも不幸にならぬ、不幸にはせぬ。
これで我を相手にせずとも済むのだ、神代にとっても悪い話ではないはずだが」
「悪いな、別段慧に興味があるわけじゃないが何度も言うように俺は神代である以前に守だ。
許嫁というのは置いておいても知り合いが道具のように扱われるのに何も感ぜずにはいられないな。
人は人の世に。
打算的になるのはもっと歳くってからで良いはずさ」
「ふむ、勇ましいことを言う。
だが本人の意思はどうするのだ?
彼女は本当に人の世に歓迎されているのかね?」
ゆうきは試すようにそう聞く。
「慧、帰るぞ」
「……」
守が手を差し出すが慧はそれを無表情に見つめるだけで反応しない。
「もうここへ来てはだめだ。
明日からは村の奴らとでも遊ぶんだな」
慧がゆうきのひざの上でゆうきと守を相互に見比べる。
 そして、
「いや!」
そう叫ぶとゆうきにしがみつく。
「無茶言うな、お前は神に取り憑かれかけてるんだぞ」
「死ぬの?」
憑かれているという言葉にさすがに慧が反応する。
「いや、書き換えられて神のモノになるだけだ」
「なら構わないよ。
だって、ゆうきは私を必要としてくれてるもん。
来るのを楽しみにしてくれて私のこといつも気にかけてくれてる。
村の子達なんてかっこつけてるとか言って私のことばかにするだけじゃない」
少女の必死の叫びを少年は何でも無いというように冷静に返す。
「原島の者が田舎のガキ相手に何をくだらない。
人の世は誰も歓迎しない、時には来る物を拒もうとすらする。
だがな、人は歓迎されて生きているんじゃない。
存在する理由は自分で作るんだ。
それに、村のガキ共からも話は聞いている。
お前はあいつ等と仲良くしようという努力すら放棄してたんじゃないのか?」
言っていることからは慧よりも小さな子供だとは到底思えない。

「でも、そんなの奇麗事だもん」

 少女の叫びに呼応するように突然屋敷、いやこの世界全体が大きくゆがむ。
そして、辺りは真っ暗な世界にかわった。
夜でないのは明白だ、月も星も無く曇っているという訳でもない。
周囲の空気も親しみ慣れたそれではない、まるで違う世界に来てしまったかのようだ。

 さすがに守もこれには驚いたよう。
「ゆうき、何をしようとしてやがる……
っと、お前にも予想外の事態か。
何が起こってやがる」
守は注意深く辺りを窺う 。
守の言うようにゆうきにとっても予定外のことらしく、ゆうきの表情は守を相手にしていた時のからかいの混じったそれから真剣なものに変わっている。
「え、ゆうき?」
それに対して守が叫ぶ。
「ちっ、弾き飛ばされてやがるぜ。
これはやっぱそういうことだよな。
全く、間が良いんだか悪いんだか」
「なに?守」
「ふん、力を得て備えようと思っておったが少し遅かったようだな。
この結界が崩されたということはそれなりに強くなったということであろう。
最悪、突然変異種かも知れぬ。
厄介な」
「ゆうき?」
「しゃあねえ、少し遊んでやるか。
慧、声を出すなよ」
そういう守の後ろで何かが生まれる。
いや、無から何かが生まれるはずなどない。
元からそこにあったのだ、きっと。
「どうしたの?
ゆうきも守も怖い」
「下がってろ、元の場所に戻るぞ。
猿神様のおなりだ」
その守の声と共に突然光が戻り、それに目が慣れると同時に何かが目の端でうごめいているのに気付く。
いや、それらの目前に自分の居る空間が割り込んだのだと認識させられる。
元の場所に戻る、こういうことか。
無数の小さきもの。
違う、決して小さくなんかはない。
それでも人よりはわずかに大きいかという位。
だが、その数は四,五百!
かなり素早いのかみるみる近づいてくる。
本能がそれらが味方ではないことを容易に告げ、逃げろと警告を発する。
だが、ゆうきや守から離れる方がより危険なようにも思えて考えがまとまらない。

そうしている間にもゆうきが腕を振り、守が空に何かを生むとそれを奴等に投げつけた。
振られたゆうきの腕から風が生まれ、守の光る球体は奴等に届くと炸裂する。

キィイイイイッ!

奇妙なわめき声と共に小さなものの群れは散開、逃げ後れたほんの数匹を飲み込むとそれらはまた無へと消えていく。
それを確かめてからゆうきは守の方を振り向く。
「神代のモノよ、どうするのだ?
手があるなら従おう」
答えを求めてはいるが、手など無いのは知っていて笑っているようにも感ぜられる。
「犬を用意してもらおうか」
キザにそう言って見せてから一転して叫ぶ。
「って今時そんなものが通用するかってんだ、ちくしょう。
手なんかねえよ。
夏の休暇でこんな目に合うなんて誰が思うかって。
そもそも、俺は昔からちっこくてすばしこいのは嫌いなんだ」
「自身も小さいくせに良く言うわ。
まあよい。
今のでやつらもこちらの力量は分かったはずだ、引いてくれるとよいが……」
どんどん近づいて来る。
「封印を破ったといっても現の世に戻るにはここを通らにゃならねえんだ。
そう都合よくはいかねえよな」
「お主の他に神代のモノは?」
不思議なことに打つ手が無いと言っている割に二人の会話にはそれほど緊迫した感じがない。
「ここにゃいねえ。
とうの昔に力を失った宮家の奴なら居るがそんなの呼んでどうなるもんでも無いだろ。
日都の奴らが来てくれているとは思うがそれもしばらく時間がかかるだろうし。
だからといって放って置いたらこいつらの荒らしたい放題だ。
この封印の場合表に出さないようにするイコール正面対決だからな。
簡単と言えば簡単だが、今は厄介なことこの上ない」
「猿知恵とすばしっこさにこの数か、確かに面倒な相手だ」
「さっきの要領で打ち落とす」
「あの要領では近づかれるまでに二,三十匹と言ったところか」
「肉弾戦」
「我は構わぬが、お主と慧の器の方はぼろぼろになるのではないかな。
それに、それでは素通りされる分を止めることが出来ぬ」
「あいつら全員を一発でしとめるだけの強大な力」
「持っていたなら今こうして悩んではいないだろうな」
「ちくしょう、役にたたねえ」
「お互い様だと言っておこう」
「ねえ、ゆうき」
「どうした?」
慧に対してはどこまでも優しい声のゆうき。
「あのね、仲良くするってだめかな?
みんなで仲良くすれば倒さなくても良くなるよ」
少女の純粋な願いを、
「却下」
それよりも小さな少年が簡単に打ち砕く。
「あいつらにとって人や家畜、そして動物は最高の餌だ。
もし共存しようとしたとしたら必ず生態系が崩れる。
それが彼等の存在意義だからな」
「?」
困っている慧にゆうきが説明しなおす。
「あれは自然からの使者なのだ。
直接的には人を喰らいし猿が原因と言われているが、本質的には崩れかけた生態系の再生を担う。
放っておいてもここいら一体を荒らして急激に数を増やした後、共食いを初めそのうち自滅する。
元は自然が掃除用に作り出したもので問題は無いのだ。
ただ」
「ただ?」
反射的に聞き返しているがそう理解できているわけではないのだろう。
それでもゆうきは続ける。
「これらは我を重石にして数百年の間封印されていたやつらだからな。
全く、素直に滅ぼされておれば良いものをなまじ抵抗など考えるからこういう事になるのだ。
平均寿命数日と言うやつらがそれだけ生きればどう変化しているか正直分からぬ。
小さな被害を押し込めて行くうちについにたまって暴発した。
そのときの被害はいつも通りに小さくてすむのやら」
「にしてもあんたも物好きだな。
あんたなら弾かれた後にわざわざ戻らずとも隠れてやり過ごしたり逃げることだって出来ただろうに」
本当に何をしてるんだかという感じで守が聞く。
「人が死ぬのは好きではないものでな」
これに守が大きくため息をつく。
「全く、こんなことなら宮家なんて置く必要なかったのにな」
「なに?」
さすがにこの言葉は唐突だったのかゆうきが聞き返す。
「あんただよ、あんたが宮家の置かれた理由だったんだ。
自然の使者への封印なんてこの国にゃごまんとある、そんなモノのために宮家なんか置いてたら本気できりが無いぜ。
侘桜宮家は猿神封印の重石に封ぜられたあんたが自由になった時に即座に対応できるようにするためのものだ」
「おやおや、信用されておらぬな」
ゆうきはしばし呆然としていたが肩をすくめておどけてみせる。
守はそれでも真剣な顔で続ける。
「当たり前だろ。
裏切られた神ほど手におえないのは居ないからな。
その上あんたは高位の中でも上位と来てる、用心するに越したことはねえさ。
現にこうして慧をかどかわしてるじゃねえか」
それに対してゆうきは自嘲するように笑う
「たかが裏切りの一度や二度で激昂せねばならぬほどに我は 人を買っておらぬものでな。
だが、それ以前に封印のために力のほとんどを吸われて 住処もこの程度のマヨイガ。
こんな我に何が出来るというのだか」
守は『たかが裏切りの一度や二度』と繰り返すとそんなもんかねえと首を振る。
「にしてもこの封印を作った術師、信じられねえ腕前だぜ。
たかが猿神の封印如きにあんたの生み出す力ほとんど全てを使うなんて。
どんなシステムを描けば出来るのか教えて欲しい位だぜ。
しかも特殊すぎてあの頃の神代のモノでも造り変えを断念したくらいだ。
この数百年間まともに作動してたの自体が奇跡だったな」
そんなことを話しているうちにも猿神は近づいてくる。
それに連れて、ゆうきと守の顔が何故か怪訝なそれに代わる。
「なあ」
ついに守は呆れたような顔でゆうきに問い掛ける。
「どうした神代の者?」
「こいつらどう思う?」
「我はな、封印の重石にされて後の猿神の『進化』の話が印象的でな。
こいつらも無意識で『進化』して学習したものと思っておった。
だが、ひょっとするとだ」
「あぁ、たぶんこいつら『進化』前のままだぜ。
良く考えたら猿神の『進化』ってここの封印後のことじゃねえか」
「なるほど、と言うことはこいつらは我が知っている頃の雑魚のままと言うことか」
「あんたの知ってる猿神は知識としてしか知らないが要するにこれで良いんだろ?」
守はそう言うと無造作に力を集める。
その力に吸い寄せられるように猿神が集まってくる。
「さあて、来たぞ!」
近づいてくる。それを、

ヴゥゥウゥン!

「まあ、こうやって密集してくれれば楽勝なんだよな」

守が力を放ちゆうきもそれにあわせて腕を振るう。
猿の群れを光が襲い、風が引き千切る。
守の放った炎の塊はゆうきの風に煽られ猿共を包み込みつつ大きく膨らむ。
先程と違い群れの中心への攻撃に猿共は避けようもなく次々と葬られていく。

「それでもまだ随分残っておるぞ。
ここまで見事に密集してくれるとは我も思わなかったな」
攻撃自体は先のものと大して変わらないものの繰り返しのようだが今ので一、二割程が消えた。
力に寄ってきた猿達はさらに密集せざるを得なくなり、逃げるだけの時間と場所を自らなくしていたのだ。
残りも今のに怯えてか先程よりはるか遠くから遠巻きに周りを囲むだけで攻めて来ようとはしない。
対して二人にとってこの程度の攻撃は大したものではないのか守もゆうきも疲れたそぶりすら見せてはいない。
「『進化』前の旧種で助かったぜ、この調子ならどうにかなるな」
一息ついた守がホッとした表情でそう呟く。
「だが、用心しろ。
この程度ならそもそも結界が破れるはずなどないのだから」
「そういえばそうだったな。
下手糞なくせに必死で破れないようにしてあったあの結界を破るとはね。
ま、この調子で一時間も待ってりゃ誰か来てくれるさ」
守が気楽な調子でそう言う。
が。その声とともに、


「げ……」
新たな群れが現れる。
見えるだけでも数千か。
ひょっとしたら数万かもしれないが前の方しか見えないために数えられない。
先程とは比較にすらならない。
個の識別などもはや無用。
今までの攻撃が何度直撃した所でほとんど影響を与えないだろう。

「これは、なんとも驚いたな」
「無限増殖ってやつか。
こいつら何らかの餌を見つけてそれを素に繁殖してたみたいだな。
結界の崩壊は単純に容量オーバが原因か。
まあ、崩壊の原因が突然変異種の出現じゃなかった分最悪じゃあないのだろうが。
これはちょっと困ったな」
それを聞いていたゆうきが呟く。
「餌か。
存外それは我かも知れぬな」
「なに?」
「不思議に思わぬか?
お主自身言っておったではないか。
我の生み出す力を封印だけに回すなどというのはやはり信じがたい。
ひょっとすると力の一部は結界の内部に漏れて奴らの餌になっておったのかも知れぬ。
いや、ひょっとすると我に力を持たせぬためにわざとそうしおった可能性も十分にある」
「重石が力を回復するのを恐れて結界の中に餌をばら撒いてたってのか?
全く、最後まで迷惑掛ける術師だ。
で、どうする?
正直ここまでの大群になると兄上達か父上か。
他の奴らじゃ焼け石に水、歯が立たねえぜ」
「それらはどこに居るのだ?」
「さあな、あいつ等がどこにいるかなんて兄貴達以外分かんねえよ。
ただ、待ってれば奴らに食われるのだけは確実かな」
その通り、なだれのように、うごめきながら、それらがやってくる。
「ふむ、これはさすがに仕方があるまいな。
ここに居るのは我を含めて四人。
この中では我が一番長く生きておるようであるしな」
四人?ひょっとすると私も数えられているのか?
「消えるべき者としてもっとふさわしいのなら居るけど全然足りてねえしな」
守が訳の分からぬ相槌を打つ。
「ふむ、止めてくれぬのか」
「神の意思と神代の意思が一致してるってのに何で止める必要があるんだ?」
「それが人情と言うものだと思っておったが」
「まあ、良いんじゃねえの?
俺は嘘をつくの好きじゃねえしあんたも本気で止められたら困るんだろ」
強がりのように聞こえなくもない。
「それもそうではあるな。
神代のモノよ、後は頼んだぞ」
「言っておくけど慧のことなら本気で興味ねえぜ。
まあ、命の恩人の言葉だ。
面倒は見るがな」
「そうか、我としても慧にはもう少しまともなモノに嫁いで欲しいからそれで構わない。
それでは行くとしよう」
その声と共にゆうきの身体がグングン大きくなる。
そして、ついには小山の大きな鳥居さえくぐらねば通れぬほどの大きさになる。
だがそこまで、そこで止まる。
雲にも届かんとする伸びようだっただけにこれは意外だった。
ゆうきも一度首をかしげる。
「ふむ、ここまでか。
これは、神代の封印だな。
信用されぬとは全く面倒なことよ。
仕方が無い神代のモノ、手伝ってもらうぞ」
「しゃあねえな。
でもこれは俺もちっと骨が折れるぜ。
この封印はな、内の大と外の小の二段構成で封じてるんだ」
「ゆうき?」
最早完全に話しに取り残されて一人呆然としている慧に向かってゆうきは笑い掛ける。
その、大きすぎる掌で慧の小さな頭を注意深く撫でる。
「慧よ、今まで我に付いてくれたこと礼を言う。
本来ならこのまま我が巫女としたいところだがそれも出来なくなったようでな」
「ゆうき?」
もはや完全に付いていけなくなった慧は泣きそうな表情でその名だけを繰り返す。
「見ていな、慧」
振り向きもせずにそう言うと守はりんと声を張り上げる。
『巨人族でぃだらぼっち科大太。
帝国東部、特に帝都・水都両管理区を好み、巨人族としては稀有な知能を持ちながらもその純朴な性格のために人に騙されることも多い心優しき種族。
その中でも有数の力を持ちながらも長として担ぎ上げられるのを恐れてはるか西、この土都管理区まで逃れた太多。
我はこのモノを認めよう。
高天原に住まいし『神々』よ神の系列として……』
呪文の詠唱? 内容からするとゆうきに関するもののようだが。
「ふむ、やはり『神』を知っておるのではないか。
そのずる賢さ、やはり神代のモノと言ったところか」
そう呟くゆうきに守はにやりと笑って見せる。
「巨人族でぃだらぼっち科大太よ。
その構成を放ちて力とせよ、我神代のモノとしてそれを助けん」





 突然、世界がゆがむ。
同時に激しい目まいに襲われ……

 気が着くと元の小山の上に居た。
大木が一つあるだけの寂しい頂き。
その大木も雷に打たれたように焦げて真ん中から二つに裂けている。
あれほど生い茂っていた葉もすっかり消え、今や燃えカスすら見当たらない。
周り一帯死に絶えたような剥き出しの地肌が広がる。
だが、ここはどこだ?屋敷はどこに消えた?猿神共は?
近くに慧と守が見える。
ゆうきは、見当たらない。
「ゆうき!」
慧も私と同じ思考をたどったのか大声でその名を呼ぶ。
「ふむ、慧の声が聞こえる。
まだ意識はあるようだな」
予想に反してどこからともなくゆうきの声が聞こえてきた。
「だが、すぐ消える」
守は無常なことを平気で言う。
もう片方のために平気でいようとしている。
「何でよ。
何が起こったのよ!」
当然の疑問。
特に彼女にとっては今までの出来事は全て一瞬のことだったろう。
「今の我の力では足りなかった、だから我が身を使ったまでのこと」
今度こそ本当にどこからだか分からない、が確かにゆうきの声だ。
「どういうこと」
戸惑う慧に守が答える。
「力の在りようには『力』と『身』の二種類がある。
『力』は好きなように使えるもので、『身』とは自身を構成する力だ。
『力』は神なら放っておけば集まってくるが、一方で『身』の力は再生しない。
使ってしまえばその部分だけ存在のデータが消えてしまう。
最早それは欠けた部分のあるプログラミングのようなもの。
どうでも良い部分を消していくうちはほとんど問題ないが、それでも必要な個所を消してしまうのだからどこかに必ずバグは現れる。
まして、ここまで大量に消えてしまうと……」
冷静を装ってはいるがさすがの守も声に感情がこもっていない。
「まだ、手はあるぞ」
「どうするんだよ。
再生の儀か、それも禁止されているはずだ」
「だが、お主は神代である以前に守であるのだろう?」
ゆうきが楽しそうに笑う。
「守!」
二人のやり取りを聞いていた慧は訳がわからないながらも叫んでいた。
「慧、ゆうきは今のままでは消滅してしまう」
やがて守は諦めたように慧に話し掛ける。
慧が息を呑む。
守は子供に教えるようにゆっくりと丁寧に続ける。
「今はこの場にゆうきだったモノが充満しているがそれもすぐに散ってしまう。
ただ、それを集めたとしても元に戻すことは出来ない。
どうにかするには再生の儀というものがある」
「やる!」
慧は即答する。
「だが、再生といっても完全なモノじゃない。
新しいゆうきは慧を知っているゆうきじゃないし、慧の知っているゆうきでもない。
そして、多分十年から二十年は待たなくてはならない。
ひょっとしたら産まれてこないかもしれない。
それでも」
「やる」
またしても慧は即答する。
「どんなでも良いよ、ゆうきが居なくなるなんて絶対いや!」
その声に守は頷くと覚悟を決めたように立ち上がる。

『儀・再生。
対象者は巨人族デイダラボッチ科大太、またの名はゆうき。
受胎者は対象者の神少女となるために対象者に小さな頃から力を注がれている原嶋のモノ。
媒介は神代今上の三男守。
受胎者の死亡可能性はほぼ0、成功率も高い……』
呪文の詠唱?
儀式の概要を話し許可を取っているようにも見れる。

「?」
慧は言ってることが分からないという顔をする、当然だろう。
「慧にゆうきを宿す。
慧が大人になって子供を産む、それは慧とその夫の子供として人であると同時にゆうきでもあるんだ。
俺ら神代の初代もそうだったらしい」
「神代の初代の元になったのはもっととんでもない奴だったがな」
「お前も『神』代(シンダイ)以前からの神、変わんねえよ」
「ゆうきはそれでいいの?」
「よいのだよ。
慧がこの地に迷い込んでからの数年間、我は常にこの時期が楽しみであった。
高高数年、その一部のみでそなたは我に積もる積年の恨みを氷解させてくれた。
今となっては慧が巫女として、嫁として私のものとなるのも。
我が人となり、子となり慧のものとなるのも。
どちらも私には大して変わらない。
ふむ、厳密に人にはなれぬか。
しばらく眠らなければならないこと、起きても慧のことを覚えている我ではなくなってしまっていること、この二つが少し残念だがそれも今となっては些細なこ と。
神代のモノももう少し手伝え」
「はっきり言ってさっきので消耗しすぎた、全然足らん。
誰か待ってりゃよいがそうしたら儀自体中止させられるな。
近くに知り合いはいねえのか?」
「居るのなら端から呼んでいる。
仕方在るまい、そこの奴を借りよう」
「幾ら知らないでやってるとはいえただで盗み見はいけねえよな。
時間との勝負だ、しょうがないな」

キーンッ!

その声と共に『私』が奪われる。
自我が強力にかき消される。
存在が分から





 私は漂っていた。
私が何なのか、何故在るのか、何も知らない。
音が聞こえてくる。

「ゆうきは?ゆうきはどうなったの?」
「お前の中に宿った。
しばらくすれば子となるだろう」
「私結婚してないよ?パパも居ない」
「それ以前に子の生める体にもなっていない。
で、だ。
俺はお前の許嫁らしいが?」
「だめだよ、結婚は好きな人同士がするんだから」
「空論だな。
だが、賛成だ」
「ねえ、どうしたらよいの?」
「早く好きな相手を見つけて結婚するしかないな」
「ゆうきは?」
「予言してやろう。
将来俺やゆうきよりはるかにお前に相応しい男が現れる。
お前はただその時が来るのを待っていればよい。
待っているだけじゃ逃しちまうかも知れねえがな」
「……」
「……」
良く聞こえない。
「分った。
溶け込んで、神を調べる。
もう、訳も分からずに何かを失うのはいやだから」
「人の知でいくら頑張ったところで届かねえよ。
だが、まあ頑張りな」

 そして、音と共に二つのモノは離れていき。
ついに音は完全に聞こえなくなった。

私は、どうすればよい?
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