「帰る」
朋のアパートで寛いでいた慧はそれだけ言うと立ち上がり帰り仕度を始める。 別にけんかを始めた訳ではない。 慧は朋の家と自分の家に一晩交代で泊まっているのだが、今日は実家に帰る方の日というだけ。 二日に一度外泊が出来るのなら親公認ということなのだろうが、それでも両方に住むということは学校への定期券等も含め生活道具のほとんど全てが二つ必要となり何かと大変なはず。 まあ、慧にお金の心配をする必要は無いようだ。 それでもそこまでやる位なら同棲した方が楽だと思うのだがそうしない理由が『親が寂しがる』というのは慧らしいのか意外なのか。 とはいえ朋が居て欲しそうな顔をすればそれだけで今日は泊まりと決めてしまう慧を見ればどちらを優先させているのかは明らかだった。 「おやすみ、ところで守さんといつ会うかはもう決めたの?」 慧が居るにも関わらずずっと端末を繋げたディスプレイに張り付いていた朋がようやく画面から目を離すとそう言う。 守、侘び桜の地で何度となく聞いた名前。 不思議な慧の幼馴染だ。 「あら、もう会ったわよ」 「もう会ったって。 宮の所から帰って来てまだ二日しか経っていないのに」 守というモノには興味があったので会うのなら慧に付いていきたいと思っていたのだが。 まさかもう会っていたとは。 「私達大学が同じだから、端末で時間と場所さえ決めれば簡単に会えるのよ。 守はお仕事の方が忙しい時は数日、数週間単位で学校に来ない事も多いけれどね」 ならば昼に慧の方へ付いていればいつかは会えるということか。 「守さんって確か」 これだけで慧は朋の言いたいことが分かったようで続きを続ける。 「私の二つ下、あなたの一つ上で受験も就活もしない法学部生。 四年のこの時期、普通なら来る必要はほとんど無いはずなのだけれど…… まあ、卒業くらいは出来るはずよ」 法学部生が司法試験も公務員試験も受けずに就職活動もしていない。 そもそも今は冬も始まろうかという11月の初め。 結果はともかくどちらも既に終えているはず。 それでまだ大学へ頻繁に来ているとすれば理由は一つ。 普通なら楽に取り終えているはずの単位が足らないのだ…… 「去年は夏も冬も試験の時期に仕事が出来ちゃって大変だったらしいね。 受けれれば楽に取れたはずなのに。 でも、守さんって人並外れて努力家だしさすがに今年はレポート重視の授業を中心にとったんだっけ。 心配する必要はないかな」 この二人から努力家と言われるだけでもそれはとんでもない努力家ということだろうに人並外れて努力家と来たらどれ程のモノなのか。 想像もつかない。 ……ところでレポート重視ならこれまた大学へ頻繁に来る必要は無いはずなのでは? 「で、守さんに聞いた結果は。 と言っても聞くまで話してくれなかったということは……」 「そ、駄目だったわ。 守自身そんな文献聞いたこと無いみたい。 調べてくれるように頼んではみたけれどこれも断られたわ」 本当に知らないのかは分からないけれどね、慧はそうつぶやく。 「それじゃ振り出しに戻ったのかな」 神書があっても情報を得られなくてはしょうが無い。 「そうでも無いの」 だが、頼みの綱の守から何も情報を得られなかったというのに慧は全く失望していない。 「守は無理だったけれどみさきちゃんが後ろで面白そうな顔していたわ」 みさきちゃん?守の恋人であろうか。 だが宮の話を聞いている限り、それでは情報を得ることなど出来ないだろうからひょっとしたら妹か何かかもしれない。 「みさきさんが? それは嬉しいような嬉しくないような……」 「まあ気まぐれなモノだから教えてくれるのがいつになるのかは分からない、それが困ったところね。 今すぐ来るかもしれないしひょっとしたら教えてくれないかもしれない」 「守さんは最近どんな調子だって?」 「結構大変らしいわ。 ただ最近は帝都を中心に活動しているらしいから移動の手間が無い分楽だって」 「活動って言うと……」 「意図的に離れ神を集めて歯向かわせようとしているのが居るらしいわ。 その後手に回っててんやわんや」 「離れ神?」 これを会話と言っても良いのだろうか。 背景を分からない朋はただ問い返すだけ。 それでも慧はむしろ上機嫌で説明を始める。 「神代の治世に組み込まれていなかったりはぐれてしまったモノがはぐれ神。 意図的に離れて行ったモノが離れ神。 組み込まれているモノは神と呼ばれてるいわ。 はぐれ神が神代の存在すら知らないこともあるのに対して離れ神には神代という体系そのものに不満を持って機会さえあれば人に危害を加えたいと思っているモノが多いみたい。 それにしてもこうやって何でも話せるのって楽で良いわね」 なるほど、朋を侘び桜の地へ連れて行ったのはあちら側に居た朋をこちら側へ連れこむためでもあったのか。 今の朋は神の話を聞いてもその存在に対して疑いなど微塵も抱いてはいない。 慧の機嫌が良いのも当然、まだ多少まどろっこしいがもうしばらくすればそれも消え、朋と全てを話しあえるようになるのだから。 船木に関しては良く分からないが避けたがる彼は彼なりに神代の法と何らかの関わりがあるのかもしれない。 ところで、そうなると私ははぐれ神と言うことになるのだろうか。 確かに彼等に付いていなければ神代の存在など当分知らずに居たであろう。 だが神として知らないうちに組み込まれているのかもしれない。 私は何なのか?話しかけることが出来ないというのはこういう時に不便で適わない。 「慧は守さんに会う時はいつもそう言う話をしてたの?」 私がそんなことを考えている間に朋の口調は少し拗ねたものになっていた。 「どうして?」 「今まで僕に言えないだけで色々なことを二人で話してたのかと思うとちょっとね」 妬いている。 正直に口に出すのは二人らしいがまあ良いことなのだろう。 だが、慧はそれでも気付かない。 「そうでも無いわ。 あいつは私が知っていることしか話そうとしないから。 それでも知識の幅が広がったり実感を伴ったり有益ではあるけれどもね」 「ちょっと嫉妬して良い?」 「後が怖いしそれ以前にあなたが嫉妬する必要は無いから駄目。 私とあいつは近すぎるからそんな心配しなくて大丈夫」 嫉妬が必要かどうかはそんなに簡単に決められるものなのだろうか。 「必要がないって、恋人が自分の知らないことを自分より年の近い男と話してるのって嫌だし不安だよ」 ようやく朋の表情に気付いたのか慧は困った子ねという顔をすると朋の側に寄ると彼の額に自分の額をくっつける。 他のモノらの前では決して見れない二人の時だけの顔。 気を利かして去ろうかとも考えたが話しの続きは気に掛かる。 「あいつも私も他人から見たら羨ましい境遇かもしれないけれど私達にとってそれはどうでも良いこと。 二人して思い通りにならない環境に縛られながらそれでも思い切り我が侭に生きようとしているの」 「慧には僕がいる」 「そうね、私は両親から愛されていてあなたまで居るからまだまし。 むしろ今は幸せよ、真紀達さえ元に戻ってあなたが元気なら他にもう何もいらない。 でも、あいつにはまだ私しか居ない。 こんなこと言ったらあいつは断固否定するでしょうけれどね」 嫉妬を持っている相手にその言い方は逆効果では。 「みさきさんが……」 「彼女は人で無いどころか神でも無いわ」 慧がそう呟くと同時に朋は嫉妬すら忘れて少し驚いた顔をする。 「神代の役割や守さんの仕事。 今までの話から守さんの相棒であるみさきさんが人では無い可能性を考えてはいたけれど。 神でも無いって?」 「名前を変え有り様を変えて皇家の正当な史書に書かれ祀られてもいる存在。 モノである以上何かから生まれてこなければならないのに彼女は『降りて来た』ことになっているわ。 彼女と言う存在にはその元が無い。 それが何を意味するのかまだ分からないけれど今の所の結論、彼女はモノではない」 「モノじゃないって大げさな。 降りて来たのだってどこかで生まれてそこから降りてきたんだよね」 「招かれてこの世界に降りてきたのよ。 ここでは無いどこかで生まれてそこから降りてきた存在は果たしてモノなの? 最低でも文字通りにこの世のモノではない」 そう言って自分のお腹を愛おしそうに撫でると続ける。 「ゆうきは神代の治世に組み込まれているわけでは無かったけれどもそれは意図的に離れたわけでも神代を知らない訳でも無かった。 異端のはぐれ神、そんな枠組みにはめ込まれるにはモノとして大きすぎたの」 「そう言えばゆうきの一族はでぃだらぼっちだっけ。 正統な史書では聞かないのに伝説としては各地に散らばっているよね。 それで、あれから色々考えていたのだけれどゆうきって話を聞いている限りだとすごそうだよね。 だけど何で慧を守る時にほとんど抵抗らしい抵抗もしないで身体を構成する力を解き放って消えてしまったのだろう」 慧が一瞬悲しそうな顔をする。 いや、悔しそうな顔?良く分からない。 「結界に力を吸われていたせい。 回復させていく傍から力を吸われてたのだから。 ゆうきも悔しかったはずよ」 それに朋は納得したように頷く。 「ゆうきは稀代の大魔法使いだけれどマジックポイントがほとんど無かったので技が使えず、やむなくメガンテで散ったという感じかな」 「何それ」 朋は納得しているが慧がそれを一蹴する。 メガンテ、確かTVゲームの呪文であったような。 慧に分かる訳が無い。 「まあ良いや。 それと、何で家のある自分の世界なんか構築したんだろう。 少しでも力を蓄えておきたいならそんなのは浪費じゃないのかな」 「ゆうきがマヨイガを創った理由、それは私も考えた。 そして考えた限りでは二つの理由があると思う。 一つには弱った自分を周囲から隔離するため。 私が入って行けたのはゆうきが招いてくれたから。 多分、不完全なモノだと思うけれどマヨイガに関する話しを一つ紹介すると、女が一人迷い込んだが村に帰って話をしても誰もそんな家は知らない。 だが、彼女の持ち帰った升で取った櫃からは米が一粒も減らなかった。 もちろんそれが本当なら探しに行こうということなった。 でも女の記憶を頼りに人が百人程度で探しても結局見つからなかった。 この場合初めに迷い込んだ女もきっと私と同じように創ったモノが気まぐれで呼んだのでしょうね。 後で見つからなかったのは当然創ったモノがマヨイガを閉じたから。 類似の話は偏りを持ちつつも分布している。 ここからは推測になるのだけれど完全なマヨイガを創ってそこに閉じこもってるなら例えそこに居ると分かっていても入ることは困難ね。 要するにあの地には猿神を閉じ込める内側への結界、ゆうきを閉じ込める内側への結界、そしてゆうきの姿を隠す外側への結界の三つが同時に存在してたことになる」 「後を付けてきても完全な結界なら閉じられて終わるんじゃ…… なら守さんは何で入れたのかな。 ああ、慧が入った時点でそこはもう完全に閉じたマヨイガではなくなってしまっていたのか」 「そういうことね。 そしてマヨイガを創ったもう一つの理由は多分正気を保つため。 幾らゆうきが数千年を生きる種族と言っても封印の柱として何百年も同じ場所に封じられれば気が狂うことも十分に考えられるわ。 せめて自分の望む住処を再現することで少しでもまともで居ようとしたのでしょうね。 それでもずっと一人、私と居た時でさえ十二ヶ月のうち十一ヶ月は一人であそこに居たんだと考えるぞっとするわね」 言いながら慧は端末を取り出すと何かを打ち込む。 「どうしたの?」 「ん、何だかもうちょっと話したくなったの。 今日はここに泊まる」 「そんな我が侭な」 と言っている割に朋は嬉しそうだ。 「いや?」 甘えた声ではないが慧の場合それは魅力を損なわない。 「もちろん大歓迎」 それを聞くと慧はキッチンへ向かう。 「お酒でもどう?」 そう言いながら棚から瓶とおちょこを取り出す。 安くは無さそうなそれは確実に朋のものだがもちろん慧がそんなことを気に掛けるはずも無い。 「どうってもう十一時半だよ。 今から飲むの?」 朋も少し呆れている。 「私は別に明日早起きしなくても良い立場だから」 楽しそうだ。 朋に隠してきたことが話せた上、さらに嫉妬をされたことも嬉しかったのだろう。 朋が慧を大事にしているのは傍目にも分かるが気持ちを表に出さないからその大事にする理由、一番大事な点、が分かりにくいのだ。 「僕はそう言う立場じゃないんだけれどまあ良いか」 慧も滅多に甘えることはないため、なんだかんだ言いつつ朋は嬉しそうにしている。 まったく、気持ちを表に出して欲しいくせに二人してそれが下手なのだから。 「でもさ、何でおじさんは慧と皇家の縁組なんて考えたのだろう。 そこ等辺が原因で侘桜宮家への養子縁組にまで話しが広がって言ったんでしょ」 慧は二人分のお酒を注ぐと乾杯と小さく言いながら杯を合わせる。 「多分大きくなったら何になりたいって聞かれて花嫁さんと言ったから。 私自身覚えてないのだけれどそれなら相応しい花婿さんが必要だなって言うことで色々手を回したらしいわ」 「慧が覚えて無いくらい昔って五歳以下……」 「そうね、そのくらい。 それでその次の年の夏からは侘桜宮家に夏の間行くことになったから、その時点でもう全て決まっていたのかもしれないわね」 「侘桜宮家は子供が居ない上に力を失っており力有るものを養子として迎えることを望み、皇家は三番目の皇子をどう厄介払いするかで悩み、原嶋家はとにかく娘に相応しそうな男を捜していたと。 これは面白い具合に三家の望みが一致してるね」 「そうね、それがあの事件のせいで状況は一転したわ。 宮家は廃絶が決定、お荷物のはずの三男坊もそれなりの金星を立ててしまった。 そして私は、神代の子を成すには不都合なものになっていた。 さらに何よりも私達が結婚を望んでいない、それに気付いたうちの両親は早々に破談にしたわ」 「それにしても両親は慧が原嶋家を次ぐことは全く望んでいなかったのかな」 それに慧が不思議そうな顔をすると続ける。 「あら、私にお兄様がいるのは言ってなかったかしら。 お父様の補佐としてあちこち飛び回ってるわ」 朋の目が点になる。 「今まで一度も聞いて無いよ。 で、どんなお兄さんなの」 「知らない」 「知らないって」 「だって滅多に話さないんだもの。 お父様が言うにはもう自分がいつ引退しても大丈夫な程度にはなってるって」 「どのくらい年上なのさ……」 「私より七つ上になるのかしら。 年が離れているし私も甘えなかったから」 「そんな」 「今なら分かるわ。 甘えたくても纏っている空気が怖くて甘えられなかった私。 甘えて欲しくてもどう接して良いのか分からなかったお兄様。 どちらが悪いと言うのでもない。 ただ、お互いが望んでいても叶わないことなんて幾らでも有るというだけのこと」 向かい合って座っていたのがいつのまにか慧は朋の隣にいた。 「そうだね、僕等はお互いの想いが充分なものになるまで真紀さんが守っていてくれた」 「あれから一年以上経つのね。 思い出すと少し恥ずかしい」 どうやら思い出話のようだがこれ以上話そうとはしない、詳細を話してくれるわけでは無さそうだ。 これ以上居るのは野暮と言うもの。 外に出て行くとしよう。 |
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