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無限の日



作:夢希
5−2.朋

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 朋の部屋。
慧と船木も居る。
真紀は居ない。
母親と共にこれまで世話を掛けた人たちへの挨拶回りの後、病院へ精密検査のための入院。
まあ、病院は母親に泣き付かれて仕方なくのことなので問題はないだろう。
朋に憑いている合間を縫ってちょくちょく見に行っているが案の定近くの病室の子供達と元気に走り回っていた。
彼女がああなった理由の直樹は相変わらずのままだが。
もう、問題は無さそうだ。

「さて。
本人は居ないようだが、とにかく真紀の復活を祝って……
かんぱい!」
船木が音頭を取ると三人で缶のままのビールを当てて乾杯をする。
「でも、思ったより元気だったなあいつ」
「そうですね、元に戻ってもやっぱり直樹さんはあの通りですから。
すぐ弱っちゃうんじゃないかとも心配してたのですがそうでもないようですね。
無理して明るく振舞っているという印象も受けませんし。
完全復活ですね」
「そうだな。
それにしても慧の歌だけで復活したって言うじゃねえか。
それはそれで大したもんだとは思うがな。
なら、効く可能性が有ったのにどうしてこれまで試さなかったんだ?」
それに慧は余計なことを!という顔をし、朋が目に見えるほど落ち込む。
「ですよね、戻らないと思っていたからこそ他の人にも協力してもらったし自分も苦労していたっていうのに。
結局、僕はただ甘やかしていただけなのかな。
本人はもう起きたい、起こしてって言ってるのに夢の生活を押し付けて。
そうして助けられない自分を正当化して甘やかしていたんですね。
それだけじゃない、ひょっとしたらまだ真紀さんのことが忘れられていなくて実は真紀さんとのあの日々を楽しんですら居たのかも……」
いきなり自分を責め始める朋。
今までと比べると極端に気弱になっている。
回復させたいとは思っていながらも回復した後のことにまでは気が回っていなかったのだろう。
まして慧が何と言おうとそれは「ただの歌」だったのだ。
それだけで回復してしまったのだからもっと早く起こせたはず、と朋が考えても仕方が無い。
そして今の真紀は見ての通り完全に元気。
強硬に現状維持を主張していた恥ずかしさも有るかもしれない。
でも、やはり真紀にとって一番良いと思ってやってきたことが、これまでの努力が、それが全て甘やかしに過ぎなかった。
そのことが応えているのだろう。
慧はそんな朋に軽く笑ってみせる。
「無駄なんかじゃないわ。
慧の悲しみは時間が癒してくれていて。
だから」
『だから』、今の真紀は元気だと続けたいのだろう。
が、それを聞いた途端に船木は呆れたような顔になった。
慰めるにしろもっとマシな台詞を、と目が言っている。
だからって普通は慰めの台詞に食って掛かったりはしないが……
「そんなわきゃねえだろ。
あいつの悲しみはそんな甘っちょろいもんじゃあなかった。
心の堤防を苦もなく突っ切る悲しみの存在。
原嶋ちゃんだって分かってんだろ?」
『原嶋ちゃんだって分かってんだろ?』という問い。
船木はゆうきのことを知らない。
それでも慧がそういう体験を持つことを船木は悟っていた。
そして時間が癒すということに対する強い反発。
なら、簡単だ。
船木も同じ種類の想い出を抱えて生きているのだろう。
「そうね、時間は悲しみなど少しも癒せはしない」
船木からの予想外の強い反発を先程の自分の言葉なぞ無いかのように慧は肯定して話を続ける。
「それでも、時間は悲しみに打ち勝つ機会を与える。
目を反らす、打ち潰す、乗り越える思考、エトセトラ。
表面上真紀はただ現実から目を反らしていただけ。
真紀は言っていた、暗闇で、一人。
でもあの真紀はどう見ても暗闇の中に居るという感じではなかった。
ならつまり表に出ていた真紀の他にもう一つの人格があったということも考えられる。
それが何か役割を担っていたなら」
多重人格?だが、直樹の現状を認めていない真紀と闇の中にうずくまっている真紀。
例え本当だとしても どちらも現実から目を反らしているだけなのには変わりないように思えるが。
それで時間をいくら過ごしたところで……
「俺は二重人格を信じちゃいない。
脳が二人分の働きをしたって?
それは感覚的におかしいというだけじゃなく完全なオーバーワークだ。
例え短期間の状態として可能性を認めたとしても、それを長期間出来る訳が無い。
馬鹿げている」
あくまでも理詰めで否定を続ける船木。
慧も冷静に反論する。
「完璧な二人ならね。
でも、分かるでしょ。
表に出ていた真紀はあの通りいつもの真紀とは比較にならない。
閉じこもっていた人格の方も思考していたとはいえ通常なら外部から与えられるはずの膨大な情報,つまり音、光、感情その他全て,を遮断していた。
不完全な二つ。
なら二人分といっても通常の一人分にすら如(シ)かないのかもしれない」
確かにかつての真紀と今の真紀とのギャップは大きい。
かつての真紀を表層の真紀として今の真紀と比較するなら、確かにそこにはもう一つの不完全な人格を許容するスペース位は有るのかもしれない。
船木は慧の言い分を聞いて笑う。
「多重人格者は皆一つ一つの人格が薄いと?」
そして茶化す様な発言。
だが、慧に自分の発言への責任を求めている。
本人、二重人格は信じないと言ったばかりのはずなのだが……
「他の症例は知らない。
一人だけでも手一杯で持て余しているのだから。
ただ私の知っている真紀という子に関してはそうだろうと言っている」
聞いて船木はまじめな顔になると考え始める。
代わって朋が聞き返す。
「それじゃ、表に出ていた真紀さんと空の中にいた真紀さんの二人がずっと共存してたっていうこと?」
さっきから何度もそう言っている。
「二人とは限らないわ」
だが、朋の確認を慧は否定した。
「おいおい、もっと居たって言うのか?」
船木は呆れたよう。
「そうね、同時に存在するのは二人が最高でしょうね。
でも電話に怯えるあの真紀は尋常じゃなかった。
そして次の日には記憶を持たない真紀」
続きは言わなくとも分かるだろうという風にそこで慧は言葉を切る。
が、正直良くわからない、
船木も同じように困惑しつつ考え込む。
だが朋には伝わったのかその横では朋が頷いていた。
「複数の真紀さんの可能性、でも同時には二人までで、毎朝まっさらになる記憶。
表の真紀さんは一日ごとに消えていたって言いたいの?
定められた通りの行動をこなして時間がきたら消えるだけ?
そんな、酷過ぎる……」
「なら何であんな記憶を繰り返す真紀にしたのかが問題ね。
それにわざわざもう一つ人格を作らなくとも閉じこもる方法などいくらでも有りそうだし」
「初めの一つに関してだが、そんなの考えるまでも無いさ」
意外にも話に追いつくのがやっとのように見えた船木が答える。
その顔からは全てのピースを正しくはめ、理解したという自信が見てとれる。
直前に「あ、効率化か」と口にしていたのが気にかかるが。
「一番楽だったのさ、それが。
あの日、あの時、思い描いていた普通の暮らしだ。
永遠と続くはずの直樹の居る平和な暮らし。
突然直樹が倒れて強烈な不安に押し潰されそうになりながらも信じて思い続けた暮らしだ。
簡単だろう?
それをコピーしちまうのがな」
「でも、わざわざコピーなんてしなくても……」
「甘いな。
負荷を少しでも軽くしようと思ったらどうする?
ルールで縛っちまえばいいのさ。
ロールプレイングゲームでも考えてみれば良い。
どんなに高い自由度が売りだったとしてもだ、例えどんな経路を通りどうやって進めたところで所詮はゲームの幅以上のことなんか出来ないし辿り着くラストは 誰がやっても一つだけだ。
複数のラストがあったとしてもそれが決められたラストなのに代わりはない。
真紀も基本的にはそれと変わらない、お陰で極めて小さなパフォーマンスしか許されない表皮の真紀でも傍目からは日常とそう変わらない生活を演出できたの さ。
で、ルールから外れれば即ゲームオーバー。
残念、また次の日にやり直し!ってわけだ。
その上新しい情報は一日分以上蓄積されないんだからな。
ホント徹底的に合理化されてるぜ。
周りがサポートするというのだってひょっとしたら織り込み済みだったのかもな。
同じように考えれば思考のみの真紀というのも実に合理的だ。
常に外部情報を取得、更新されていくのが真の意味での思考だとしてもあの真紀に必要だったのは直樹との決別のための気持ちの整理、それに新しい情報 なんて必要なかった。
遮断された瞑き状態にして、考えたいことだけを延々考え続ければ良かったわけさ。
「外界の情報に左右されずに、ですか。
ある意味悟りの境地ですね」
「無心も唯一心も似たようなもんだろ。
こうなった理由も分からず、まだ希望は有るというのに気持ちの整理は付けなくちゃならないんだ。
辛いぜ。
何らかの答えを得るまで開放されることはないはずだ」
それは真紀が辛いのは分かる。
だが、これまでの話は全て仮定に仮定を接いだ仮説。
何故誰も疑わないのだろうか?
そう考えている間に真紀がまた問いかける。
初めに二重人格ではと疑った真紀が。
「そうね、そして答えを得た真紀は戻ってきた。
だけど、それなら何故一日の終わりが絶叫で無くてはならなかったの。
あれは、負荷を掛ける」
船木は真剣に応える。
結論、誰もこれをただの仮説とは考えていない。
「確かにな。
本当なら眠りに付くと同時に初期化と言うのが一番ストレスを掛けず低負荷だし願望を正確にコピーしただけならそうなるのが筋だろう。
ならば、何故現実の真紀は違ったのか。
一つはバグと考えることも出来る。
極度の緊張状態にあった真紀にとってあの電話が印象的過ぎたために理想の一日が正確にコピーされず、電話と絶望の二つが入り込んで来てしまった可能性だ。
まあ、ここまで効率化を追求しておいてそんな単純なバグを出すとは思えないが、逆にここまでしなきゃならない程追い込まれていた精神状態ならどんなミスを しでかしても不思議じゃない。
もしくはコピーの人格を消すためというのも考えられる。
消すと簡単に言っても対象は一つの人格だ、寝て起きたら消えてましたなんていうのが毎回上手く行くとも限らないしひょっとしたら抵抗することだって有るか もしれない。
だからショックを与え自分から消えてしまっても構わないと思わせるあの記憶を植え付けることによってきっかけを与えた。
揺らして崩れやすくし、人格に消えることから抵抗する意思を無くさせた。
これも有るといえば有るだろう。
だがな、俺が思うに多分あれはわざとだ」
わざと?
妙なことを言う。
確かに辛苦は成長の糧となるかもしれない。
とはいえ、パニックに陥った状態で誰が好き好んで辛い思いをしてまで成長などしたがるものか。
だが、慧の辿り着いた答えは私とは違うようだ。
「直樹は苦しんでいる。
なのに私だけ……ね。
逃げながらも完全に逃げ切れてないところが真紀らしいと言えばそうなのかしらね」
慧がそう続けるが、ゆっくり首を振って船木はそれを否定する。
「そもそも、何でコピーをしたのだと思う?」
それを受けて朋が思考を始める。
「何でって、言われても。
二つの人格を脳の許容量に。
あれ、でもどうして二つ必要だったんだろう?
片方があれば……
なら、他に理由が?
どうしても二つ必要だった?
なぜ?
一つは殻に篭って考え抜くため。
もう一つは外で日常を不完全にとはいえ体験するため。
でも、新しい情報をいらないのなら体験する必要なんか……
なら違う?
体験する以外。
表に出ていた真紀さんという存在。
存在が必要?
なら、それは真紀さんのためじゃない。
それ以外の……
っ!!!」
突然朋は電撃に打たれたかのように激しく震え始める。
「そうだな、真紀にとってはコピーの人格なんて必要なかった。
夜になれば記憶が消去されちまうんじゃ何の役にも立たない、健忘症などで消した記憶ってのは大概戻っては来ないそうだ。
実際今の真紀にこれまでの記憶はない。
そしてただ閉じこもって居たいなら殻の上に薄っぺらい人格を貼り付けることはない。
なら、何でか?何で負荷を増大させてまでそんなことをした?
簡単なことさ、知っていたからだ。
自分まで閉じこもると駄目になってしまう人達が居ることをな」
「それじゃ……」
今までの朋からは考えられないくらいに自信を喪失している。
「何のことはない、みんなで仲良くお食事っつうのは何も真紀だけの夢じゃなかったってことだ。
壊れた真紀を助けているつもりでお前ら二人とも真紀に面倒見てもらってたのさ」
「そんな、そんな……」
一見丈夫そうな人こそこういうとき危険だ。
それにしても。

 なぜ、船木はここまで朋を追い詰める?

「真紀に面倒をみられるのは嫌か?」
「嫌だとかそんなんじゃなくて、情けないです。
真紀さんは大変だったのにそれでも一生懸命どうすれば自分が立ち直れるか考えてて。
それだけでも凄いことなのに、そんな最中にも僕たちのことを。
その間僕等は日常からお二人が消えるという恐怖を真紀さんの仮想日常を守り、回復させるという目的に奔走することで忘れることが出来た。
真紀さんに無理させて……」
「僕等、ね。
慧は歌で真紀を直したな。
でも、それは本当にその時思いついたのかな?
実は起こす方法なんざとうに知っていてただ時が来るのを待ってたんじゃないか?
俺は知らないが一緒に居るお前なら心当たりがあるかも知れないな、その頃に慧が真紀を起こそうとしたきっかけでもあったんじゃないのか?」
荒御鋒の発言か。
「知ってたんだ、みさきさんも慧も。
真紀さんがああしていた理由を……
知っていたなら、つまりそれは付き合っていただけ。
じゃあ、弱いのは僕だけ?
アパートに集まってたのもみんな僕のため?」
真紀のためで無いのならそうなる。
「真紀だけではなく慧や俺にすら世話を掛けられていたと思うのは嫌か?」
それに朋は答えない。
「なん、で……
頑張ってきたのに。
真紀さん、直樹さん、船木さん、そして慧も。
周りに居る人達が凄いのは分かってた。
それでも、必死で同じ立場に居ようと思ってた。
居られたと思ってたのに。
それは、僕が思い込んでいただけで。
僕は……」
「馬鹿かお前は」
船木の台詞からは何で俺がこんなこと言わなければいけないんだというイラツキにも似た思いが容易に見て取れる。
だが、その奥にある暖かいものは何だ?
「お前は気を張り過ぎてんだよ。
良いか、俺たちの中じゃお前が一番の年下だ。
しかもダントツの、な」
思い起こしてみると朋の他は全員大学院生。
何をしているのか良く分からない真紀にしても慧と同い年となれば明らかに上だろう。
「ですが、僕なりに精一杯……」
「やんなくて良いんだよ。
ああ違う、一生懸命やってくれる分には構わないが無茶はしてくれるなと言いたいんだ。
俺はまあ先輩だからもちろん頼ってもらって構わない。
で、他の奴らは何だ?
友人だろ、恋人だろ?
張り合う相手じゃないんだ。
毎日研究に差し障る程に真紀を訪ねていた頃のことを思い出してみろ。
真紀・直樹・慧、そして俺にまで迷惑を掛けてそれでも誰にもそれを嫌だとは思わせていなかっただろ?
頑張らなくても良いんだよ」
「なら、せめて対等な相手として」
「対等ってのはな。
対等ってな、お互いを思いやれてなおかつ頼りにも出来ることだ。
誰も頼ろうとしない奴に対等な関係なぞ築けやしない」
「対等?」
「俺たちが頼りにならねえのか?
違うだろ、逆だろう?
それなのに頑張って無理しちまうからしまいにゃ自分が何をしたかったかすら忘れちまうんだよ」
「何をしたかったか?」
先程から気付いていたが、朋の様子がおかしい。
船木の台詞にオウム返しで答えるだけ。
「逃げ出したのは何も真紀一人じゃなかったってことさ。
慧が詫び桜の宮邸へ行こうと言った本当の理由になにも気付いちゃいない」 
「船木さん。
それ、違う。
違うから。
私はそんなにひ……」
慧が否定するがそれで止まる船木じゃない。
「何が違うって?
否定すること自体その内容を推測できてるということだろう?
それに卑怯なんかじゃないさ、こういう状態でもなければ幾ら理詰めで説明したところで神代の理なんて受け入れられるはず無いんだからな、俺みたいに」
そこまでいうと船木は急に窓の外を、次いで神棚の下を見やる。
それに合わせて、どうしようもなく重かった空気も霧散していった。
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